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4、赤いワイン
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「は? なんで勝手に座ってるの?」
「え?」
ウエキは、えらそうにあごを上げて、お姉さまを見下した。問い返すお姉さまの表情は、明らかに驚いていた。
そうよ。だってユーリアはそんな荒っぽい言葉遣いなんてしたことがないもの。
「どうしたの? ユーリア。やっぱり具合が悪いんじゃないの?」
きっとわたしに熱がないか確認しようとしてくれたのだろう。
お姉さまが手を伸ばして、わたしのひたいに触れようとする。
パシッ、という音。華奢なその手を、ウエキが叩いた。
生まれて初めて、アマリアお姉さまに暴力をふるってしまったことが、信じられなかった。
たとえ自分の意思ではないとしても、叩いたのはわたしの手だから。
お姉さまの色の白い手の甲が、じんわりと赤く染まる。
「あたしは、近い将来に王太子妃になるのよ。お姉さまなんて、せいぜい騎士の妻でしょ。身分が違うの。あたしの許可なく座っていいと思っているの? あたしに触れようだなんて、立場をわきまえなさい」
眩暈がした。
誰の妻になろうが、身分がどうだろうが関係ない。
わたしにとって、アマリアお姉さまはとても大事な人なのだから。
面と向かって相手を罵る人間を、わたしはこれまで見たことがなかった。
とくとく、とウエキがグラスにワインを注いだ。
ウエキは、グラスを口へは運ばなかった。立ちあがり、グラスを持った手を払うように動かす。
パシャン、と音がした。
お姉さまの顔に、赤いお酒がかけられた。
「ふんっ。イケメンを侍らせて、いい気になってるんじゃないわよ」
お姉さまは、凍りついたように固まってしまった。
はちみつ色の前髪から、長い睫毛から、ワインが滴り落ちる。何が起こったのか、何をされたのか分かっていないみたいだった。
わたしの中で、なにかがブチッと音を立てて切れた。
(いい加減にしてっ!)
ウエキのなかで、彼女のどろどろの檻に閉じ込められているわたしは立ちあがった。どす黒くて、粘ついたヘドロのようなものを掴んで引きちぎる。
自分にそんな力があることを、初めて知った。
ボタボタと、ちぎれた汚いヘドロが落ちていく。
(あなたは頭が悪いのよ。人の体を乗っ取るのなら、もっとうまくやるべきよ。酒浸りになって、怠惰にダラダラとして。最低だわ)
もっと、もっとウエキの檻をちぎって、捨てて。もっと、もっとこの愚かな女の檻を壊して。
わたしは外に出るの。わたしが、わたしこそがユーリア・ベルセリウスなのだから。
次の瞬間、ウエキに乗っ取られた体が地面に倒れた。
「ユーリア!」
「お姉さま!」
互いを呼ぶふたりの声が重なった。
地面に生えた草の葉の向こうに、お姉さまの心配そうな顔が見える。
久しぶりに戻ってきた体の重さ。庭に咲きほこる薔薇の甘い香りがする。代々植え替えられ、手入れされてきたハーブの爽やかな香りも。それらに重なるワインと、時間の経ったアルコールの嫌な臭いも。
「お姉さま、わたしよ。これがわたしよ」
わたしは地面に倒れたまま、声を張りあげた。
「ユーリア。あなた……」
急いで立ち上がり、テーブルに置いてあるナプキンでお姉さまにかけられたワインを拭きとる。
眩暈がする。足がふらついて、立っていられない。
「ごめんなさい。ウエキの暴挙を止められなくて。ごめんなさい。こんな目に遭わせてしまって」
ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。
大好きなアマリアお姉さまの顔が、ぼやけてしまう。もっとちゃんと見ていたいのに。
またドロドロが、わたしの足に絡まって。体が檻に囚われていく。
やめて、ウエキ。
もう誰も傷つけないで。あなたは存在するだけで凶器なのよ。
「お姉さま……大好き」
わたしの手から、赤紫に染まったテーブルナプキンが落ちた。
そしてわたしは、再び暗い檻に閉じ込められた。
「え?」
ウエキは、えらそうにあごを上げて、お姉さまを見下した。問い返すお姉さまの表情は、明らかに驚いていた。
そうよ。だってユーリアはそんな荒っぽい言葉遣いなんてしたことがないもの。
「どうしたの? ユーリア。やっぱり具合が悪いんじゃないの?」
きっとわたしに熱がないか確認しようとしてくれたのだろう。
お姉さまが手を伸ばして、わたしのひたいに触れようとする。
パシッ、という音。華奢なその手を、ウエキが叩いた。
生まれて初めて、アマリアお姉さまに暴力をふるってしまったことが、信じられなかった。
たとえ自分の意思ではないとしても、叩いたのはわたしの手だから。
お姉さまの色の白い手の甲が、じんわりと赤く染まる。
「あたしは、近い将来に王太子妃になるのよ。お姉さまなんて、せいぜい騎士の妻でしょ。身分が違うの。あたしの許可なく座っていいと思っているの? あたしに触れようだなんて、立場をわきまえなさい」
眩暈がした。
誰の妻になろうが、身分がどうだろうが関係ない。
わたしにとって、アマリアお姉さまはとても大事な人なのだから。
面と向かって相手を罵る人間を、わたしはこれまで見たことがなかった。
とくとく、とウエキがグラスにワインを注いだ。
ウエキは、グラスを口へは運ばなかった。立ちあがり、グラスを持った手を払うように動かす。
パシャン、と音がした。
お姉さまの顔に、赤いお酒がかけられた。
「ふんっ。イケメンを侍らせて、いい気になってるんじゃないわよ」
お姉さまは、凍りついたように固まってしまった。
はちみつ色の前髪から、長い睫毛から、ワインが滴り落ちる。何が起こったのか、何をされたのか分かっていないみたいだった。
わたしの中で、なにかがブチッと音を立てて切れた。
(いい加減にしてっ!)
ウエキのなかで、彼女のどろどろの檻に閉じ込められているわたしは立ちあがった。どす黒くて、粘ついたヘドロのようなものを掴んで引きちぎる。
自分にそんな力があることを、初めて知った。
ボタボタと、ちぎれた汚いヘドロが落ちていく。
(あなたは頭が悪いのよ。人の体を乗っ取るのなら、もっとうまくやるべきよ。酒浸りになって、怠惰にダラダラとして。最低だわ)
もっと、もっとウエキの檻をちぎって、捨てて。もっと、もっとこの愚かな女の檻を壊して。
わたしは外に出るの。わたしが、わたしこそがユーリア・ベルセリウスなのだから。
次の瞬間、ウエキに乗っ取られた体が地面に倒れた。
「ユーリア!」
「お姉さま!」
互いを呼ぶふたりの声が重なった。
地面に生えた草の葉の向こうに、お姉さまの心配そうな顔が見える。
久しぶりに戻ってきた体の重さ。庭に咲きほこる薔薇の甘い香りがする。代々植え替えられ、手入れされてきたハーブの爽やかな香りも。それらに重なるワインと、時間の経ったアルコールの嫌な臭いも。
「お姉さま、わたしよ。これがわたしよ」
わたしは地面に倒れたまま、声を張りあげた。
「ユーリア。あなた……」
急いで立ち上がり、テーブルに置いてあるナプキンでお姉さまにかけられたワインを拭きとる。
眩暈がする。足がふらついて、立っていられない。
「ごめんなさい。ウエキの暴挙を止められなくて。ごめんなさい。こんな目に遭わせてしまって」
ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。
大好きなアマリアお姉さまの顔が、ぼやけてしまう。もっとちゃんと見ていたいのに。
またドロドロが、わたしの足に絡まって。体が檻に囚われていく。
やめて、ウエキ。
もう誰も傷つけないで。あなたは存在するだけで凶器なのよ。
「お姉さま……大好き」
わたしの手から、赤紫に染まったテーブルナプキンが落ちた。
そしてわたしは、再び暗い檻に閉じ込められた。
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