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5、水族館
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海の近くの水族館は、水の匂いがした。
水槽の水と、潮風の匂いが混じっている。
入ってすぐの巨大な水槽で泳ぐ魚の群れを見ては、お嬢は目を輝かせてる。
夏休みで、しかも土曜日ということもあって親子連れが多い。お嬢が迷子にならんように、俺は彼女と手をつないだ。
「子どもみたい。恥ずかしいよ」
「小学生は子どもです。子ども料金で入ったやないですか」
「そうだけど」と、お嬢は口を尖らせた。
まぁ、しゃあないよな。小学六年生くらいで、大人と手をつないでる子はおらへんもんな。
けど、俺と出かけてるのに、大切なお嬢に何かあったらオヤジに申し訳が立たん。
俺の大きい手の中に、お嬢の小さい手がすっぽりと包まれる。
ピアノを習てるからやろか。去年よりも、お嬢の指は長くなってる気がした。
館内は暗く、少しひんやりとしてた。俺はサングラスを外してTシャツの首のとこにひっかける。
白くてぼんやりとしたクラゲの水槽の前で、お嬢は立ちどまった。
「クラゲってきれいね」
「そうですか? 俺はガキの時に、海でクラゲに刺された記憶のほうが強いわ。知ってますか? クラゲの足がちぎれても、しばらくは刺すんですよ。まーぁ、皮膚が赤なって痛かったわ」
当時のことを思いだして、俺は眉をしかめた。
お嬢は怖なったんか、すぐにクラゲの水槽から離れる。
水族館は不思議や。そこに海があるのに、陸の上に魚やらを棲まわせてんのやから。
「見て見て、花ちゃん。すっごい足が長いカニ」「出てこないねー、チンアナゴ」「真っ青な小魚。きれいねー」と、水槽ごとにお嬢は目を輝かせてる。
気になる魚がいると、俺の手をぐいぐいと引っぱって。しゃあないから、俺は早足でついていったるんや。
風邪を引いてしもたオヤジには申し訳ないけど。今日はお嬢とこうして出かけることができて、感謝やな。
ペンギンやアシカを見ながら通路を進んでた時、俺は足を止めた。
『カワウソと握手できます』と書いた紙が貼ってある。
先着順やけど。ちょうど受付が始まったばっかりなんか、俺とお嬢は参加することができた。
「こんな小さな穴から手だけ、出すのね」
「カワウソは可愛い顔をしてるけど、凶暴なとこもあるっていいますからね。この小さい穴やったら、指を噛まれることもないんでしょう」
「噛むの?」
お嬢の声は、脅えた様子でかすれていた。
「花ちゃん、お先にどうぞ」
「いやいや。レディーファーストですよ」
先を譲ったっても、お嬢は俺の後に並んだ。背中にぴったりとくっついて、絶対に俺よりも先にいこうとはせぇへん。
しゃあないから、俺は先にコツメカワウソっていうのんを握手をした。
透明なアクリルの壁に開けられた穴から、指をちょっとだけ入れる。
すこし生臭いような水の匂いがして、それはもう小さな茶色い指が、俺の人さし指に触れた。
「うわっ。なんや、これ」
濡れた真っ黒な目が、俺を見つめてくる。可愛い。そう、可愛いや。
「花ちゃん。目がきらきらしてるよ」
「そんなん、サングラス越しで分からへんでしょ」
「暗いからって、さっき外してたよ」
お嬢に冷静に指摘されて、俺は言葉に詰まってしまった。
「お嬢。俺は気づきました」
「うん?」
カワウソとの握手を、お嬢に譲る。指先だけに湿り気が残っとった。
お嬢は慎重に、カワウソと指と指を合わせてる。なんか古い映画で、こんなんあったよな。あれは宇宙人とやったっけ。指先が光ったり、宇宙人を自転車の前かごに乗せて空を飛んでいくん。
「どうやら俺は可愛いのが好きみたいです」
「このカワウソとか?」
「はい」
「ネコとか?」
こくりと俺はうなずいた。
立ちあがったお嬢が、俺を見あげてくる。
「花ちゃんは、他にはどんなのが好きなの? わたしはねー、とかげが好きなの」
トカゲ? あんなにゅるっとした爬虫類が、お嬢は好きなん? 気持ち悪ないんやろか。
「せやったら、爬虫類のとこに行きましょか。イグアナとかおると思いますよ」
「うーん、そうじゃなくて」
お嬢が言うには、トカゲやけど恐竜の生き残りの子ぉで。海のすみっこに暮らすお母さん恐竜と離れて、トカゲの偽物とばれんように暮らすキャラらしい。
ややこしい。
「花ちゃんは?」
「俺の好きなのですか? そんなん決まっとうやないですか」
「お」と言いかけて、開きかけた口を閉じる。
「えー、教えてよ」
俺はお嬢に背中を向けた。リネンのジャケットのすそを、お嬢がくいっと引っ張る。
なんでやろ。後ろを向くことができへん。
いや、赤ん坊の頃から知っとうお嬢のことは大好きやで。そんなん当たり前のことやん。
これまでやったら、いくらでも口にできてたのに。
ここが外やからやろか。人がぎょうさんおるからやろか。それともこれがデートやからやろか。
「え? デート?」
いやいやいや。俺は今日はオヤジの代わりの保護者や。なんぼ婚約者同士とゆうても、相手は小学生やで。
いや、小学生は「可愛い」で合ってるやん。
でも俺みたいなええ年のヤクザもんが口にしたら、犯罪のにおいがする……気がする。
「うん。デーツはおいしいよね」
「へ?」
お嬢の言葉に、俺はふり返ってしもた。
「ほら、ドバイで売ってたの。デーツにチョコがかかってたでしょ。甘すぎって思ってたけど。久しぶりに食べたくなっちゃった」
「そうそう、デーツ」
俺はへらっと笑った。確かに甘すぎなんやけど。ここは乗っかっといた方がよさそうや。
甘いものは嫌いやないけど。デーツにチョコはやりすぎや。とくにホワイトチョコな。
うかつに好きなもんをごまかしたことを、俺は後になって悔いた。
数か月後、海外に行ったオヤジの土産で、大量のデーツをもらってしもたからや。それもさらに甘々のホワイトチョコのやつ。
水槽の水と、潮風の匂いが混じっている。
入ってすぐの巨大な水槽で泳ぐ魚の群れを見ては、お嬢は目を輝かせてる。
夏休みで、しかも土曜日ということもあって親子連れが多い。お嬢が迷子にならんように、俺は彼女と手をつないだ。
「子どもみたい。恥ずかしいよ」
「小学生は子どもです。子ども料金で入ったやないですか」
「そうだけど」と、お嬢は口を尖らせた。
まぁ、しゃあないよな。小学六年生くらいで、大人と手をつないでる子はおらへんもんな。
けど、俺と出かけてるのに、大切なお嬢に何かあったらオヤジに申し訳が立たん。
俺の大きい手の中に、お嬢の小さい手がすっぽりと包まれる。
ピアノを習てるからやろか。去年よりも、お嬢の指は長くなってる気がした。
館内は暗く、少しひんやりとしてた。俺はサングラスを外してTシャツの首のとこにひっかける。
白くてぼんやりとしたクラゲの水槽の前で、お嬢は立ちどまった。
「クラゲってきれいね」
「そうですか? 俺はガキの時に、海でクラゲに刺された記憶のほうが強いわ。知ってますか? クラゲの足がちぎれても、しばらくは刺すんですよ。まーぁ、皮膚が赤なって痛かったわ」
当時のことを思いだして、俺は眉をしかめた。
お嬢は怖なったんか、すぐにクラゲの水槽から離れる。
水族館は不思議や。そこに海があるのに、陸の上に魚やらを棲まわせてんのやから。
「見て見て、花ちゃん。すっごい足が長いカニ」「出てこないねー、チンアナゴ」「真っ青な小魚。きれいねー」と、水槽ごとにお嬢は目を輝かせてる。
気になる魚がいると、俺の手をぐいぐいと引っぱって。しゃあないから、俺は早足でついていったるんや。
風邪を引いてしもたオヤジには申し訳ないけど。今日はお嬢とこうして出かけることができて、感謝やな。
ペンギンやアシカを見ながら通路を進んでた時、俺は足を止めた。
『カワウソと握手できます』と書いた紙が貼ってある。
先着順やけど。ちょうど受付が始まったばっかりなんか、俺とお嬢は参加することができた。
「こんな小さな穴から手だけ、出すのね」
「カワウソは可愛い顔をしてるけど、凶暴なとこもあるっていいますからね。この小さい穴やったら、指を噛まれることもないんでしょう」
「噛むの?」
お嬢の声は、脅えた様子でかすれていた。
「花ちゃん、お先にどうぞ」
「いやいや。レディーファーストですよ」
先を譲ったっても、お嬢は俺の後に並んだ。背中にぴったりとくっついて、絶対に俺よりも先にいこうとはせぇへん。
しゃあないから、俺は先にコツメカワウソっていうのんを握手をした。
透明なアクリルの壁に開けられた穴から、指をちょっとだけ入れる。
すこし生臭いような水の匂いがして、それはもう小さな茶色い指が、俺の人さし指に触れた。
「うわっ。なんや、これ」
濡れた真っ黒な目が、俺を見つめてくる。可愛い。そう、可愛いや。
「花ちゃん。目がきらきらしてるよ」
「そんなん、サングラス越しで分からへんでしょ」
「暗いからって、さっき外してたよ」
お嬢に冷静に指摘されて、俺は言葉に詰まってしまった。
「お嬢。俺は気づきました」
「うん?」
カワウソとの握手を、お嬢に譲る。指先だけに湿り気が残っとった。
お嬢は慎重に、カワウソと指と指を合わせてる。なんか古い映画で、こんなんあったよな。あれは宇宙人とやったっけ。指先が光ったり、宇宙人を自転車の前かごに乗せて空を飛んでいくん。
「どうやら俺は可愛いのが好きみたいです」
「このカワウソとか?」
「はい」
「ネコとか?」
こくりと俺はうなずいた。
立ちあがったお嬢が、俺を見あげてくる。
「花ちゃんは、他にはどんなのが好きなの? わたしはねー、とかげが好きなの」
トカゲ? あんなにゅるっとした爬虫類が、お嬢は好きなん? 気持ち悪ないんやろか。
「せやったら、爬虫類のとこに行きましょか。イグアナとかおると思いますよ」
「うーん、そうじゃなくて」
お嬢が言うには、トカゲやけど恐竜の生き残りの子ぉで。海のすみっこに暮らすお母さん恐竜と離れて、トカゲの偽物とばれんように暮らすキャラらしい。
ややこしい。
「花ちゃんは?」
「俺の好きなのですか? そんなん決まっとうやないですか」
「お」と言いかけて、開きかけた口を閉じる。
「えー、教えてよ」
俺はお嬢に背中を向けた。リネンのジャケットのすそを、お嬢がくいっと引っ張る。
なんでやろ。後ろを向くことができへん。
いや、赤ん坊の頃から知っとうお嬢のことは大好きやで。そんなん当たり前のことやん。
これまでやったら、いくらでも口にできてたのに。
ここが外やからやろか。人がぎょうさんおるからやろか。それともこれがデートやからやろか。
「え? デート?」
いやいやいや。俺は今日はオヤジの代わりの保護者や。なんぼ婚約者同士とゆうても、相手は小学生やで。
いや、小学生は「可愛い」で合ってるやん。
でも俺みたいなええ年のヤクザもんが口にしたら、犯罪のにおいがする……気がする。
「うん。デーツはおいしいよね」
「へ?」
お嬢の言葉に、俺はふり返ってしもた。
「ほら、ドバイで売ってたの。デーツにチョコがかかってたでしょ。甘すぎって思ってたけど。久しぶりに食べたくなっちゃった」
「そうそう、デーツ」
俺はへらっと笑った。確かに甘すぎなんやけど。ここは乗っかっといた方がよさそうや。
甘いものは嫌いやないけど。デーツにチョコはやりすぎや。とくにホワイトチョコな。
うかつに好きなもんをごまかしたことを、俺は後になって悔いた。
数か月後、海外に行ったオヤジの土産で、大量のデーツをもらってしもたからや。それもさらに甘々のホワイトチョコのやつ。
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