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3、ごきげんよう、お幸せに ※加筆あり
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「それならちょうどいい機会だから、うちにくるお客さんのお茶出しをあなたにお願いしようかしら。隣国のかたもいらっしゃるから、外国語も覚えられてちょうどいいわね」
「いや、それは……さすがに」
フローラお嬢さんの提案に、わたしの涙はひっこみました。
「テオの話なんて、彼を知らないお客さまにできるはずもないから。自然と、会話も上達するわね」
わたしには荷が重すぎます。フローラお嬢さんの家は、貴族とも取引があるんですよ。
「できないっていうの? ついてくるって言ったわよね」
ぎろりとにらみつけられて、どうして断ることなどできましょう。
「あと『いや』って言うのはおよしなさい。下品でしてよ。否定するなら『いえ』までになさい」
「は、はい」
結局わたしは、フローラお嬢さんの特訓を受けながら、空いた時間にはヴェールマン商会でお仕事をすることになりました。
ありがたいことに、お給金だっていただけます。
だから、手を抜くことなんてできませんし。隣国の言葉だって勉強しました。むろん時事に詳しくなるために、新聞も読みこんで。
ランプをベッドの近くに置いて、ブランケットにもぐりこんで新聞を読む日々。
読みながら眠りに落ちることもしばしばで。わたしのベッドはインクのにおいがするのです。
ヴェールマン商会で働きはじめてひとつきが経った頃。
ようやくわたしは仕事に慣れてきました。
「やぁ。いつもおいしいお茶をありがとう」
ときおり、ヴェールマン商会に買いつけにいらしゃる紳士が、わたしに笑顔を向けてくれます。
お名前はサムエル・アウリーンさま。
わたしよりも五、六歳上でしょうか。きれいに整えられた金髪に、仕立てのよい服をお召しです。
「ようこそいらっしゃいました。お会いできてうれしいです」
紳士は隣国のかた。たどたどしく彼の国の言葉であいさつするわたしを、にこやかに眺めていらっしゃいます。
たたえられた微笑みは穏やかで。つい、つられてわたしまで頬がほころびます。
「前は商談が終わればすぐに帰っていたのだが。今はあなたがいるからね。つい長居をしてしまうよ。この商会に通ううちに、あなたがますます美しくなっていくのがまぶしくて。あなたは勉強も努力も怠らないし、本当にヴェールマンさんは、素敵な女性を見つけたものだ」
「あ、あの」
「ああ、すまない。私の言葉は分かりづらいな。えーと、素敵なあなたがいるから、とてもうれしい」
え? ええっ?
それはどういうことなの?
アウリーンさんの言葉は冗談かと思ったのです。でも、彼はまじめな顔で。
でもきっと社交辞令よね。ええ、そうに決まってるわ。
◇◇◇
季節は秋の終わりになっていました。
きいろく色づいた木々の葉が、寒風に吹かれて。頼りなくひらひらと散りはじめています。
「雪だわ」
ヴェールマン商会からの帰り道。白い息を吐きながら、わたしはてのひらを差しだしました。小さな雪の粒が、じわっと溶けていきます。
嬉しかったことがあります。
今日、フローラお嬢さんに「あなたはもう素敵なレディよ」と言ってもらえたのです。
「よかった。ほんとうによかったわ」
がんばった甲斐がありました。
これまでは道を歩けば、おじさんたちにぶつかられ、舌打ちまでされていたのに。
今では、そんな失礼な人はいません。
いえ、街で暮らす人は同じです。でも、わたしに対する態度が変わったんです。
「ヴィオラ。久しぶりだね」
街はずれまで帰ったとき。突然、テオに声をかけられました。
ほんとうにひさしぶりです。
これまで、ほとんど会っていませんでした。
わたしが特訓で忙しすぎるのもあったのでしょう。
フローラお嬢さんに、テオの話ばかりするのはおやめなさいと指摘されたのもあるでしょう。
テオから連絡もなく、逢瀬をすることもなく。そういえば結婚を申し込まれていたのだと、ようやく思いだすほどに。
テオの背後に、見たことのあるような女性が立っていました。
艶のない髪をむすんで。顔は血色も悪くて、肌はかさついています。それに眼鏡。姿勢は悪く、猫背です。
まるでわたしだわ。
かつてのわたしが、テオに寄り添っているのです。
「ヴィオラ。君との婚約はなかったことにしてほしい」
「え?」
「どうにも、君から安らぎを感じないんだ。だから別れてほしい。ぼくはこの人と結婚を決めたんだ」
まぁ、びっくりです。
「ええ、お幸せにね」
イヤミでもなんでもなく、素直な気持ちでそう答えることができました。
その女性は勝ち誇ってもいいのに。困ったように、おずおずとテオを見あげています。
「あの、わたしなんかでいいの? だって、こんな素敵なレディをふる理由がわからないわ」
「君がいいんだよ。ぼくは君が好きになってしまったんだ」
「ほんとうに? ほんとうにわたしでいいの?」
「当たり前だよ」
「わたし、頑張るわ。テオにふさわしい女性になるように」
決意する野暮ったい女性を見て、わたしは「ああ、この子もいずれ捨てられてしまうのだわ」と悲しくなりました。
きっとこの子は、努力してきれいになるでしょう。森の温泉に通い、肌を磨いて、スタイルもよくなって。
でも、その頃にはテオは次の「かわいそうな」女性を見つけるの。
雪が強さを増してきました。
白くなる景色の中、テオと女性はぴったりとくっついて去っていきました。
足もとに落ちた雪が、石畳を濡らしていきます。
わたしの顔にも雪が当たります。わたしは、指先で濡れた頬にふれました。
不思議ね。ほんの少しの涙も出てこないなんて。
「ごきげんよう」
自分より下の人間しか愛せないテオ。
哀れな女性に愛を施して、自分は優しいと勘違いして。それで満足しているのね。
これからずっと、テオは野暮ったい女性を探しては捨て続けるのね。
あなたはどこにも定住しないのね。
可哀想な人。
婚約を破棄されて、こんなにも清々しいなんて。
知りませんでした。
後日。
やはりまたテオが婚約破棄をしたという噂が、街にひろがりました。
二人も連続で恋人を捨てたテオの評判は、みごとに地に落ちました。
もともと高くもなかったけれど……。
そしてわたしのもとには、アウリーンさんからの手紙が。
あわい水色の便箋にしたためられているのは、宵の群青色のインクの文字。
――親愛なるヴィオラ。よろしければ私と一緒にでかけませんか?
「いや、それは……さすがに」
フローラお嬢さんの提案に、わたしの涙はひっこみました。
「テオの話なんて、彼を知らないお客さまにできるはずもないから。自然と、会話も上達するわね」
わたしには荷が重すぎます。フローラお嬢さんの家は、貴族とも取引があるんですよ。
「できないっていうの? ついてくるって言ったわよね」
ぎろりとにらみつけられて、どうして断ることなどできましょう。
「あと『いや』って言うのはおよしなさい。下品でしてよ。否定するなら『いえ』までになさい」
「は、はい」
結局わたしは、フローラお嬢さんの特訓を受けながら、空いた時間にはヴェールマン商会でお仕事をすることになりました。
ありがたいことに、お給金だっていただけます。
だから、手を抜くことなんてできませんし。隣国の言葉だって勉強しました。むろん時事に詳しくなるために、新聞も読みこんで。
ランプをベッドの近くに置いて、ブランケットにもぐりこんで新聞を読む日々。
読みながら眠りに落ちることもしばしばで。わたしのベッドはインクのにおいがするのです。
ヴェールマン商会で働きはじめてひとつきが経った頃。
ようやくわたしは仕事に慣れてきました。
「やぁ。いつもおいしいお茶をありがとう」
ときおり、ヴェールマン商会に買いつけにいらしゃる紳士が、わたしに笑顔を向けてくれます。
お名前はサムエル・アウリーンさま。
わたしよりも五、六歳上でしょうか。きれいに整えられた金髪に、仕立てのよい服をお召しです。
「ようこそいらっしゃいました。お会いできてうれしいです」
紳士は隣国のかた。たどたどしく彼の国の言葉であいさつするわたしを、にこやかに眺めていらっしゃいます。
たたえられた微笑みは穏やかで。つい、つられてわたしまで頬がほころびます。
「前は商談が終わればすぐに帰っていたのだが。今はあなたがいるからね。つい長居をしてしまうよ。この商会に通ううちに、あなたがますます美しくなっていくのがまぶしくて。あなたは勉強も努力も怠らないし、本当にヴェールマンさんは、素敵な女性を見つけたものだ」
「あ、あの」
「ああ、すまない。私の言葉は分かりづらいな。えーと、素敵なあなたがいるから、とてもうれしい」
え? ええっ?
それはどういうことなの?
アウリーンさんの言葉は冗談かと思ったのです。でも、彼はまじめな顔で。
でもきっと社交辞令よね。ええ、そうに決まってるわ。
◇◇◇
季節は秋の終わりになっていました。
きいろく色づいた木々の葉が、寒風に吹かれて。頼りなくひらひらと散りはじめています。
「雪だわ」
ヴェールマン商会からの帰り道。白い息を吐きながら、わたしはてのひらを差しだしました。小さな雪の粒が、じわっと溶けていきます。
嬉しかったことがあります。
今日、フローラお嬢さんに「あなたはもう素敵なレディよ」と言ってもらえたのです。
「よかった。ほんとうによかったわ」
がんばった甲斐がありました。
これまでは道を歩けば、おじさんたちにぶつかられ、舌打ちまでされていたのに。
今では、そんな失礼な人はいません。
いえ、街で暮らす人は同じです。でも、わたしに対する態度が変わったんです。
「ヴィオラ。久しぶりだね」
街はずれまで帰ったとき。突然、テオに声をかけられました。
ほんとうにひさしぶりです。
これまで、ほとんど会っていませんでした。
わたしが特訓で忙しすぎるのもあったのでしょう。
フローラお嬢さんに、テオの話ばかりするのはおやめなさいと指摘されたのもあるでしょう。
テオから連絡もなく、逢瀬をすることもなく。そういえば結婚を申し込まれていたのだと、ようやく思いだすほどに。
テオの背後に、見たことのあるような女性が立っていました。
艶のない髪をむすんで。顔は血色も悪くて、肌はかさついています。それに眼鏡。姿勢は悪く、猫背です。
まるでわたしだわ。
かつてのわたしが、テオに寄り添っているのです。
「ヴィオラ。君との婚約はなかったことにしてほしい」
「え?」
「どうにも、君から安らぎを感じないんだ。だから別れてほしい。ぼくはこの人と結婚を決めたんだ」
まぁ、びっくりです。
「ええ、お幸せにね」
イヤミでもなんでもなく、素直な気持ちでそう答えることができました。
その女性は勝ち誇ってもいいのに。困ったように、おずおずとテオを見あげています。
「あの、わたしなんかでいいの? だって、こんな素敵なレディをふる理由がわからないわ」
「君がいいんだよ。ぼくは君が好きになってしまったんだ」
「ほんとうに? ほんとうにわたしでいいの?」
「当たり前だよ」
「わたし、頑張るわ。テオにふさわしい女性になるように」
決意する野暮ったい女性を見て、わたしは「ああ、この子もいずれ捨てられてしまうのだわ」と悲しくなりました。
きっとこの子は、努力してきれいになるでしょう。森の温泉に通い、肌を磨いて、スタイルもよくなって。
でも、その頃にはテオは次の「かわいそうな」女性を見つけるの。
雪が強さを増してきました。
白くなる景色の中、テオと女性はぴったりとくっついて去っていきました。
足もとに落ちた雪が、石畳を濡らしていきます。
わたしの顔にも雪が当たります。わたしは、指先で濡れた頬にふれました。
不思議ね。ほんの少しの涙も出てこないなんて。
「ごきげんよう」
自分より下の人間しか愛せないテオ。
哀れな女性に愛を施して、自分は優しいと勘違いして。それで満足しているのね。
これからずっと、テオは野暮ったい女性を探しては捨て続けるのね。
あなたはどこにも定住しないのね。
可哀想な人。
婚約を破棄されて、こんなにも清々しいなんて。
知りませんでした。
後日。
やはりまたテオが婚約破棄をしたという噂が、街にひろがりました。
二人も連続で恋人を捨てたテオの評判は、みごとに地に落ちました。
もともと高くもなかったけれど……。
そしてわたしのもとには、アウリーンさんからの手紙が。
あわい水色の便箋にしたためられているのは、宵の群青色のインクの文字。
――親愛なるヴィオラ。よろしければ私と一緒にでかけませんか?
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テオさんは、「野暮ったい女性を美しくするきっかけを作る人」として需要がありそうな?🤭
(でも、努力して結果を出すのは恋人となった女性なんですけどね♪)
テオさん。考えようによってはすごい人かも!?
ランゲルハンスさま。感想ありがとうございます。テオはたしかに女性を美しくする何かがあるのかもしれません。でも、綺麗になった相手を捨てたけれど、実は次々と女性に見捨てられてるんですよね。
テオ殿とおさらばしたので、この後はサムエル殿に口説き落とされて貰われて行きますよね!?その辺り読んでみたいです❣️その後の甘々なデート等💕︎«٩(*´ ꒳ `*)۶»💕
夢梨さま。感想ありがとうございます。そうですね、ヴィオラ自身はサムエルに好意を寄せられていると気づいていませんが。いずれおつきあいという流れになりますね。甘々デート、いいですね。