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二章

15、どきどきした

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 ユスティーナが敷物の上に突っ伏して、さらにファルケにのしかかられているから。彼女のひたいは赤くなっていた。

 本人は痛くないと言うが。そんなことはないだろう。
 小川に落ちたが、抱きしめているとユスティーナの体はすぐに温まった。不思議なもので、今では俺の方が手が冷えているほどだ。

 男性と女性の差なのか、あるいは年齢の差なのか。それらが体温に関係するのか、よく分からないが。

 ユスティーナのひたいに手を当てると、彼女の閉じた瞼まで隠れてしまった。
 なんだ、これ。まるで目隠しをしているようで、妙な背徳感を覚えるぞ。

 バクバク、と音が聞こえる。
 俺の心臓の鼓動だ。それにしては、他にもドキドキと微かな音が聞こえる。心臓は確か一つだよな。

 俺の武骨な手で目隠しをされたユスティーナは、まるで王子さまのキスを待つ姫のように思えた。
 ふっくらとしたサクランボ色の唇。視界を奪われた彼女の緊張が、俺のてのひらにつたわってくる。

 だから……俺は少し屈みこんで。そして軽くキスをしたんだ。決して王子ではないけれど。

 てのひらに、ユスティーナの睫毛の震えが伝わってくる。
 きっと本当の王子なら目隠しなどしないし、今すぐにでも手を離してやるのだろう。

 だが、済まない。俺は騎士で、しかも冷たいと言われている男だ。
 再び顔を寄せ、ユスティーナの唇を塞いだ。

 ようやく唇を、それから目隠しをしていた手を外してやると、ユスティーナはその場にへたりと座り込んだ。
 慌てたファルケが「どうしたの? どうしたの?」とユスティーナの顔を覗きこんでいる。
 俺には犬の言葉は分からないが、どうやら「『ちゅー』なんて、わたしといっつもしてるじゃない」とでも言いたげな様子だ。
 
「君は俺だけの愛しい人だ。誰にも、横恋慕もさせはしない」
「あ、あの?」

 ユスティーナは驚いたように目を丸くして、瞬きを繰り返している。
 そうだな。あなたは、団長に密かに懸想されかけていたことすら知らないのだったな。

 それを教えてやるほど、俺は団長に対して親切でもお人よしでもない。そう、優しいユスティーナが苦しむかもしれないからだ。

「大丈夫かい? ユスティーナ」

 俺は声音を優しくして、真っ赤な顔をしているユスティーナの頭を撫でる。
 微かに触れた柔らかな唇の感触は、今も残っている。
 
「……平気です……びっくりしただけなの」
「うん。分かるよ」
「くぅーん」

 ほら、ファルケも同意している。

 その時、がやがやと喋る声が聞こえてきた。
 声の高さから、どうやら狩りに同行しているご婦人方がやってきたのだと分かった。

「ユスティーナ、顔を上げなさい」
「はい」

 今にも消え入りそうな声だったが、ユスティーナは深呼吸をして背筋をただした。
 さっきまでの触れるだけのキスに混乱していた少女の姿は、もうそこにはなかった。
 
 凛とした眼差しなのに、柔らかな笑みを浮かべて立ち上がったんだ。

「こんなところにいらしたの? ユスティーナさま」
「ウサギが捕れなくて困りましたのよ。雨も降ってくるから雨宿りしていたの」
「あら。もうお着替えを? あ、ウサギと格闘なさったのね」

 令嬢の集団は、木の枝にかかった濡れた乗馬服とワンピース姿のユスティーナを見比べた。
 どうやら勝手に「ウサギを追いかけて、雨に濡れた」と解釈してくれたようだ。
 実際は犬を追いかけて川に落ちたんだけどな。

「では、ごきげんよう」
「獲物がなかったからといって、気落ちなさらないで」

 にこやかに微笑みながら、令嬢たちは去っていった。
 再び賑やかにしゃべり始める。ユスティーナは、ああいう社交は向かないなと直感した。切れ切れに聞こえてくる声は、噂話だからだ。。

「笑顔が張りついてしまいました」
「え? ああ。こっちを向いてごらん」

 ユスティーナの頬に手を当てて、むにむにと動かす。すると笑顔のまま固まっていた顔の表情が、ようやく緩んだ。
 
「わたしは伯爵位を継ぐことが決まっているから。意地悪をされないだけなんです。でも、マティアスさまがいてくださると一人ではないですから。嬉しいの」

 さっきのような強張った笑顔ではなく、少し寂しい笑みをユスティーナは浮かべた。

 そうか。ファルケが猟犬という立場を越えて、ユスティーナにべったりしているのは、心を許せる友人だからなんだな。
 社交界での付き合いは、必ずしも良好な友人関係とは限らない。
 いや、むしろ良好である方が少ないだろう。同じような階級の中でしか付き合えない狭い世界だ。

「俺とファルケがいるから。大丈夫だよ、きっと」

 俺の言葉に、ユスティーナの笑顔は本当に明るくなった。
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