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番外編

アランは手がかかるから【3】※ソフィ10歳

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 俺が目を覚ました時、家の中に人の気配はなかった。

「ソフィ?」

 耳を澄ましても返事もないし、足音も物音も聞こえない。
 どうしたんだ、まさか外に出たのか? 買い物に行ったんじゃないだろうな。
 杖をつきながら入り口のドアを開く。
 
 まだ日が暮れていないが、木々に囲まれた家はすでに陰に沈んでいる。吹く風は昼間よりも涼しく、夕暮れまで時間はあまりない。

 どっちだ。どこに向かった? 地面に目を凝らし、ソフィの足跡を見つけ出す。
 とにかく彼女を見失わないこと、追いつくことが重要だ。
 十歳の子が一人で出かけただけで、過保護なのかと嗤われるかもしれないが。ソフィは普通の子じゃない。
 俺が手元に置いて守ってやらないといけないんだ。

 地面ばかり見ていたので、自分が何処に向かっていたのか気づいていなかった。
 ふわっと鼻をかすめる甘い香り。これまで木々に閉ざされていた視界が開けると、そこには一面の花野が広がっていた。

 薄紅、薄紫、淡い水色。ここは天上か、と思うような光景が広がっていた。
 寝間着の裾を揺らした風が、花野へと吹き抜けていく。
 はらはら、と散る花びらが風に舞い上がる。

 その美しい光景の中に、ソフィが倒れていた。俺は声を上げることも出来ず、杖を放り出して花の中へと駆けだした。
 
「ソフィ、ソフィ! 大丈夫か、しっかりしろ」

 色とりどりの花に囲まれて、ソフィは硬く瞼を閉じている。銀色の絹のような柔らかな髪が乱れ、抱き上げても手はだらりと落ちている。
 
「だから家にいろと言ったのに」

 頬に触れると温もりを感じる。俺は深呼吸してから、ソフィの息を確かめ、彼女の薄い胸元に耳を寄せた。
 心臓の音は聞こえる。浅いが呼吸もしている。
 安堵はするものの、こんな屋外で倒れているなどただ事ではない。

 頭を打っていたら動かさない方がいい。だが、医者を呼びに行くにもソフィを放置していい場所ではない。
 
「ソフィ。なぜ俺から離れた……」

 彼女の手には花が握られている。もしかして苦しさに耐えかねて、花を引き千切ったのだろうか。その華奢な指にそっと触れると、ソフィの瞼が微かに動いた。
 深い蒼の瞳が、長い睫毛から覗く。

「……アラン、どうして?」
「どうしてじゃない。お前の姿が見えないから、俺は慌てて……。外は危険なんだ、危ないんだ、一人で出かけるんじゃない」
「危険も危ないも、同じ意味だけど」

 ソフィは、普段の調子で言葉を返してきた。
 それが、心底嬉しくて。ああ、何も問題はなかったのだ。彼女が誰かに傷つけられることもなく、ただの俺の取り越し苦労だったのだ。
 きっと気まぐれに花野に出かけただけだったのだろう。

「ソフィ。俺から離れるな。ずっと俺の傍にいろ」
「アラン?」

 抱きしめたソフィは、花の甘く涼しい香りがした。腕の中にすっぽりと収まる愛しい子。ずっと俺が守ってやるから、だから俺と共にいてくれ。

「あ、あのね。アランにお見舞いのお花を摘んでいたの。早く良くなりますようにって」
「俺のために?」
「うん。お花を見ると元気になるのよ。そしたら眠くなっちゃって」
「ありがとう……だが、俺はソフィがいるだけで元気になれるから。だから……」

 彼女の薄い肩に顔を埋め、さらに強く抱きしめる。
 おずおずと背中に伸ばされるソフィの腕。ためらいがちに抱き返してくる、その頼りない力に泣きたいような気持になる。
 十歳の今日まで、ソフィも何事もなく育ったわけではない。夜中に熱を出すことも怪我をして呼び出されることも、地主の息子を泣かせたことも……いろいろあった。
 多分これからも、心配ばかりさせられるだろう。
 
 なのに、そんな幼いソフィが俺を案じてくれたことが、とても嬉しい。嬉しくて、淡く柔らかな色に咲き誇る花々が滲んで見える。

「もーう、アランったら子どもみたい」
「野原で寝てしまう子どもに言われたくはないな」

 背中に回されていたソフィの手が、もぞもぞと動いている。ふわりと香る花。なんだろうと思って髪に手を触れると、耳元に小さな花の束が飾ってあった。

「お似合いよ、アラン。すっごく可愛い」
「いや、俺に花は似合わんだろう」
「んーん。キスしてあげたくなるくらい、似合ってる」

 ソフィは身を乗り出してくると、アランの唇を狙ってきた。
 待て。ちょっと待て。人の感動に水を差すな。

「動いちゃだめ。ほら、耳に飾ったお見舞いのお花が落ちちゃうわ」
「見舞いの花って、そういうもんじゃないだろ」
「んーっ」

 なんとかソフィのキスを押しとどめようと、彼女の肩を手で制するが。手が滑った瞬間に、ソフィの狙いが外れて。
 ちゅっ、という軽い音。同時に感じる柔らかな感触。
 俺は、首筋にキスされてしまった。
 甘い花の香りに包まれたキスだった。

……お願い、ソフィさん。襲わないでください。
 違う意味で泣きたくなった。
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