88 / 93
番外編
アランは手がかかるから【3】※ソフィ10歳
しおりを挟む
俺が目を覚ました時、家の中に人の気配はなかった。
「ソフィ?」
耳を澄ましても返事もないし、足音も物音も聞こえない。
どうしたんだ、まさか外に出たのか? 買い物に行ったんじゃないだろうな。
杖をつきながら入り口のドアを開く。
まだ日が暮れていないが、木々に囲まれた家はすでに陰に沈んでいる。吹く風は昼間よりも涼しく、夕暮れまで時間はあまりない。
どっちだ。どこに向かった? 地面に目を凝らし、ソフィの足跡を見つけ出す。
とにかく彼女を見失わないこと、追いつくことが重要だ。
十歳の子が一人で出かけただけで、過保護なのかと嗤われるかもしれないが。ソフィは普通の子じゃない。
俺が手元に置いて守ってやらないといけないんだ。
地面ばかり見ていたので、自分が何処に向かっていたのか気づいていなかった。
ふわっと鼻をかすめる甘い香り。これまで木々に閉ざされていた視界が開けると、そこには一面の花野が広がっていた。
薄紅、薄紫、淡い水色。ここは天上か、と思うような光景が広がっていた。
寝間着の裾を揺らした風が、花野へと吹き抜けていく。
はらはら、と散る花びらが風に舞い上がる。
その美しい光景の中に、ソフィが倒れていた。俺は声を上げることも出来ず、杖を放り出して花の中へと駆けだした。
「ソフィ、ソフィ! 大丈夫か、しっかりしろ」
色とりどりの花に囲まれて、ソフィは硬く瞼を閉じている。銀色の絹のような柔らかな髪が乱れ、抱き上げても手はだらりと落ちている。
「だから家にいろと言ったのに」
頬に触れると温もりを感じる。俺は深呼吸してから、ソフィの息を確かめ、彼女の薄い胸元に耳を寄せた。
心臓の音は聞こえる。浅いが呼吸もしている。
安堵はするものの、こんな屋外で倒れているなどただ事ではない。
頭を打っていたら動かさない方がいい。だが、医者を呼びに行くにもソフィを放置していい場所ではない。
「ソフィ。なぜ俺から離れた……」
彼女の手には花が握られている。もしかして苦しさに耐えかねて、花を引き千切ったのだろうか。その華奢な指にそっと触れると、ソフィの瞼が微かに動いた。
深い蒼の瞳が、長い睫毛から覗く。
「……アラン、どうして?」
「どうしてじゃない。お前の姿が見えないから、俺は慌てて……。外は危険なんだ、危ないんだ、一人で出かけるんじゃない」
「危険も危ないも、同じ意味だけど」
ソフィは、普段の調子で言葉を返してきた。
それが、心底嬉しくて。ああ、何も問題はなかったのだ。彼女が誰かに傷つけられることもなく、ただの俺の取り越し苦労だったのだ。
きっと気まぐれに花野に出かけただけだったのだろう。
「ソフィ。俺から離れるな。ずっと俺の傍にいろ」
「アラン?」
抱きしめたソフィは、花の甘く涼しい香りがした。腕の中にすっぽりと収まる愛しい子。ずっと俺が守ってやるから、だから俺と共にいてくれ。
「あ、あのね。アランにお見舞いのお花を摘んでいたの。早く良くなりますようにって」
「俺のために?」
「うん。お花を見ると元気になるのよ。そしたら眠くなっちゃって」
「ありがとう……だが、俺はソフィがいるだけで元気になれるから。だから……」
彼女の薄い肩に顔を埋め、さらに強く抱きしめる。
おずおずと背中に伸ばされるソフィの腕。ためらいがちに抱き返してくる、その頼りない力に泣きたいような気持になる。
十歳の今日まで、ソフィも何事もなく育ったわけではない。夜中に熱を出すことも怪我をして呼び出されることも、地主の息子を泣かせたことも……いろいろあった。
多分これからも、心配ばかりさせられるだろう。
なのに、そんな幼いソフィが俺を案じてくれたことが、とても嬉しい。嬉しくて、淡く柔らかな色に咲き誇る花々が滲んで見える。
「もーう、アランったら子どもみたい」
「野原で寝てしまう子どもに言われたくはないな」
背中に回されていたソフィの手が、もぞもぞと動いている。ふわりと香る花。なんだろうと思って髪に手を触れると、耳元に小さな花の束が飾ってあった。
「お似合いよ、アラン。すっごく可愛い」
「いや、俺に花は似合わんだろう」
「んーん。キスしてあげたくなるくらい、似合ってる」
ソフィは身を乗り出してくると、アランの唇を狙ってきた。
待て。ちょっと待て。人の感動に水を差すな。
「動いちゃだめ。ほら、耳に飾ったお見舞いのお花が落ちちゃうわ」
「見舞いの花って、そういうもんじゃないだろ」
「んーっ」
なんとかソフィのキスを押しとどめようと、彼女の肩を手で制するが。手が滑った瞬間に、ソフィの狙いが外れて。
ちゅっ、という軽い音。同時に感じる柔らかな感触。
俺は、首筋にキスされてしまった。
甘い花の香りに包まれたキスだった。
……お願い、ソフィさん。襲わないでください。
違う意味で泣きたくなった。
「ソフィ?」
耳を澄ましても返事もないし、足音も物音も聞こえない。
どうしたんだ、まさか外に出たのか? 買い物に行ったんじゃないだろうな。
杖をつきながら入り口のドアを開く。
まだ日が暮れていないが、木々に囲まれた家はすでに陰に沈んでいる。吹く風は昼間よりも涼しく、夕暮れまで時間はあまりない。
どっちだ。どこに向かった? 地面に目を凝らし、ソフィの足跡を見つけ出す。
とにかく彼女を見失わないこと、追いつくことが重要だ。
十歳の子が一人で出かけただけで、過保護なのかと嗤われるかもしれないが。ソフィは普通の子じゃない。
俺が手元に置いて守ってやらないといけないんだ。
地面ばかり見ていたので、自分が何処に向かっていたのか気づいていなかった。
ふわっと鼻をかすめる甘い香り。これまで木々に閉ざされていた視界が開けると、そこには一面の花野が広がっていた。
薄紅、薄紫、淡い水色。ここは天上か、と思うような光景が広がっていた。
寝間着の裾を揺らした風が、花野へと吹き抜けていく。
はらはら、と散る花びらが風に舞い上がる。
その美しい光景の中に、ソフィが倒れていた。俺は声を上げることも出来ず、杖を放り出して花の中へと駆けだした。
「ソフィ、ソフィ! 大丈夫か、しっかりしろ」
色とりどりの花に囲まれて、ソフィは硬く瞼を閉じている。銀色の絹のような柔らかな髪が乱れ、抱き上げても手はだらりと落ちている。
「だから家にいろと言ったのに」
頬に触れると温もりを感じる。俺は深呼吸してから、ソフィの息を確かめ、彼女の薄い胸元に耳を寄せた。
心臓の音は聞こえる。浅いが呼吸もしている。
安堵はするものの、こんな屋外で倒れているなどただ事ではない。
頭を打っていたら動かさない方がいい。だが、医者を呼びに行くにもソフィを放置していい場所ではない。
「ソフィ。なぜ俺から離れた……」
彼女の手には花が握られている。もしかして苦しさに耐えかねて、花を引き千切ったのだろうか。その華奢な指にそっと触れると、ソフィの瞼が微かに動いた。
深い蒼の瞳が、長い睫毛から覗く。
「……アラン、どうして?」
「どうしてじゃない。お前の姿が見えないから、俺は慌てて……。外は危険なんだ、危ないんだ、一人で出かけるんじゃない」
「危険も危ないも、同じ意味だけど」
ソフィは、普段の調子で言葉を返してきた。
それが、心底嬉しくて。ああ、何も問題はなかったのだ。彼女が誰かに傷つけられることもなく、ただの俺の取り越し苦労だったのだ。
きっと気まぐれに花野に出かけただけだったのだろう。
「ソフィ。俺から離れるな。ずっと俺の傍にいろ」
「アラン?」
抱きしめたソフィは、花の甘く涼しい香りがした。腕の中にすっぽりと収まる愛しい子。ずっと俺が守ってやるから、だから俺と共にいてくれ。
「あ、あのね。アランにお見舞いのお花を摘んでいたの。早く良くなりますようにって」
「俺のために?」
「うん。お花を見ると元気になるのよ。そしたら眠くなっちゃって」
「ありがとう……だが、俺はソフィがいるだけで元気になれるから。だから……」
彼女の薄い肩に顔を埋め、さらに強く抱きしめる。
おずおずと背中に伸ばされるソフィの腕。ためらいがちに抱き返してくる、その頼りない力に泣きたいような気持になる。
十歳の今日まで、ソフィも何事もなく育ったわけではない。夜中に熱を出すことも怪我をして呼び出されることも、地主の息子を泣かせたことも……いろいろあった。
多分これからも、心配ばかりさせられるだろう。
なのに、そんな幼いソフィが俺を案じてくれたことが、とても嬉しい。嬉しくて、淡く柔らかな色に咲き誇る花々が滲んで見える。
「もーう、アランったら子どもみたい」
「野原で寝てしまう子どもに言われたくはないな」
背中に回されていたソフィの手が、もぞもぞと動いている。ふわりと香る花。なんだろうと思って髪に手を触れると、耳元に小さな花の束が飾ってあった。
「お似合いよ、アラン。すっごく可愛い」
「いや、俺に花は似合わんだろう」
「んーん。キスしてあげたくなるくらい、似合ってる」
ソフィは身を乗り出してくると、アランの唇を狙ってきた。
待て。ちょっと待て。人の感動に水を差すな。
「動いちゃだめ。ほら、耳に飾ったお見舞いのお花が落ちちゃうわ」
「見舞いの花って、そういうもんじゃないだろ」
「んーっ」
なんとかソフィのキスを押しとどめようと、彼女の肩を手で制するが。手が滑った瞬間に、ソフィの狙いが外れて。
ちゅっ、という軽い音。同時に感じる柔らかな感触。
俺は、首筋にキスされてしまった。
甘い花の香りに包まれたキスだった。
……お願い、ソフィさん。襲わないでください。
違う意味で泣きたくなった。
0
お気に入りに追加
786
あなたにおすすめの小説
運命の恋人は銀の騎士〜甘やかな独占愛の千一夜〜
藤谷藍
恋愛
今年こそは、王城での舞踏会に参加できますように……。素敵な出会いに憧れる侯爵令嬢リリアは、適齢期をとっくに超えた二十歳だというのに社交界デビューができていない。侍女と二人暮らし、ポーション作りで生計を立てつつ、舞踏会へ出る費用を工面していたある日。リリアは騎士団を指揮する青銀の髪の青年、ジェイドに森で出会った。気になる彼からその場は逃げ出したものの。王都での事件に巻き込まれ、それがきっかけで異国へと転移してしまいーー。その上、偶然にも転移をしたのはリリアだけではなくて……⁉︎ 思いがけず、人生の方向展開をすることに決めたリリアの、恋と冒険のドキドキファンタジーです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
親友の断罪回避に奔走したら断罪されました~悪女の友人は旦那様の溺愛ルートに入ったようで~
二階堂まや
恋愛
王女フランチェスカは、幼少期に助けられたことをきっかけに令嬢エリザのことを慕っていた。しかしエリザは大国ドラフィアに 嫁いだ後、人々から冷遇されたことにより精神的なバランスを崩してしまう。そしてフランチェスカはエリザを支えるため、ドラフィアの隣国バルティデルの王ゴードンの元へ嫁いだのだった。
その後フランチェスカは、とある夜会でエリザのために嘘をついてゴードンの元へ嫁いだことを糾弾される。
万事休すと思いきや、彼女を庇ったのはその場に居合わせたゴードンであった。
+関連作「騎士団長との淫らな秘めごと~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~」
+本作単体でも楽しめる仕様になっております。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる