64 / 93
十二章
9、鼻血じゃありません
しおりを挟む
「城の外に出るぞ。走れるな」
傍らにいるソフィにだけ聞こえるほどに小さな声で、アランは囁いた。
ソフィは、脱出経路を頭の中に描く。
弔いの門近くの城壁に上がった時、運河に掛かる橋に見張りがいなかったのは確認済みだ。中から閂を外せば、外に出られるだろう。
でもレイフの後ろには、馬賊が控えている。落馬で怪我をしたり、馬は逃げてしまっているが。動ける者もいる。
アランはソフィの盾となり、奴らと戦うだろう。
見るからに重そうな閂を外し、蝶番の錆びた門を自分一人の力だけで開けることができるだろうか。
(アランは逃げ切れるの?)
ソフィは、握りしめた拳に力を込めた。
とにかく外へ。一刻も早く、一緒に外に出るためには、どうすれば。
(これだわ!)
一瞬目を輝かせたソフィは、すぐに大げさに咳きこんだ。
そのままよろめいて、アランの足下にしゃがみ込む。
そこには、まだ雪を染めた彼の血の赤が鮮やかだ。
「お、おい。ソフィ」
「来ちゃダメ。病気がうつるから」
ソフィは手で口を覆って、咳をする。
真似とはいえ咳をするのは、きつい。
さらに体を屈め、顔を雪上の血に近づける。
「仕立て屋さんが言ってたの。感染するから、わたしに近づいちゃいけないって」
「鼻血がうつるのか?」
ちがーう! これは吐血のつもりなんだってば。
と、言えるはずもなく。ソフィはちらりとアランを見上げて、咳を続けた。
とにかく、うつる病気であると、アピールしなければ。
レイフは、苦しそうに咳きこむソフィに近づこうとして、やはり感染が恐ろしいのか、一定の距離以上は近づいてこない。
げほ……ごほっ、げほげほっ。ごほ、ごほっ。
可愛らしい咳じゃ真実味に欠ける、と思って真剣にやっていたら「おぇっ」と吐きそうになった。
うう、さすがにこれは汚いかも。
レイフが一歩どころか、数歩下がる。
「誰か、イヴォンネさまを医者へ」
鼻と口を手で押さえながら、レイフが周囲にいる馬賊に命令する。けれど馬賊は、彼よりもさらに引いた場所にいる。
「大切な人だと主張する割に、あんたは自分で助けないんだな」
ぐいっとソフィの体が持ち上がった。
咳きこみすぎた涙で滲んだ視界に、アランの顔が映っている。
心配しているような、怒っているような、眉根をしかめた表情だ。それも、とても至近距離で。
まるで子どもの頃に抱えてもらっていたように、片腕で抱き上げられている。
「落ちると危ないから、俺の首にしがみついていろ」
「え、でも」
「早く」と急かされて、おずおずとアランの首に腕をまわす。
あと少し顔を近づけたら、アランの頬にくっついてしまいそうだ。
自分の今の状態を考えると、ソフィは顔がかっと熱くなった。
「イヴォンネさま、お顔が赤うございます。お熱があるのでは」
レイフは明らかにおろおろとしているのに、それでもソフィに近寄ろうとはしない。
まるで見えない壁があるかのように、一定の距離を保っている。
「もう諦めろ。もし仮にソフィがイヴォンネであったとしても、あんたは自分の方が可愛いんだ。自分を犠牲にすることなんて、できやしないんだよ」
「そんなこと、あるはずがありません!」
「ふーん」
アランはソフィを抱えたまま、レイフに向かって歩き出した。「ひぃ」と掠れた悲鳴を上げて、レイフが尻もちをつく。
あわてて立ち上がったが、レイフの動揺の跡は、しっかりと残っていた。
「無理はするもんじゃない。……だろ?」
「わ、私はっ! イヴォンネさまのためならば、この身を投げ出しても惜しくはないっ」
ひゅん、と風の鳴る音。走りだそうとしたレイフの足下に、背後から矢が射られた。
「見苦しい。もうおやめなさい」
後方で矢を放ったのは、グンネルだった。
傍らにいるソフィにだけ聞こえるほどに小さな声で、アランは囁いた。
ソフィは、脱出経路を頭の中に描く。
弔いの門近くの城壁に上がった時、運河に掛かる橋に見張りがいなかったのは確認済みだ。中から閂を外せば、外に出られるだろう。
でもレイフの後ろには、馬賊が控えている。落馬で怪我をしたり、馬は逃げてしまっているが。動ける者もいる。
アランはソフィの盾となり、奴らと戦うだろう。
見るからに重そうな閂を外し、蝶番の錆びた門を自分一人の力だけで開けることができるだろうか。
(アランは逃げ切れるの?)
ソフィは、握りしめた拳に力を込めた。
とにかく外へ。一刻も早く、一緒に外に出るためには、どうすれば。
(これだわ!)
一瞬目を輝かせたソフィは、すぐに大げさに咳きこんだ。
そのままよろめいて、アランの足下にしゃがみ込む。
そこには、まだ雪を染めた彼の血の赤が鮮やかだ。
「お、おい。ソフィ」
「来ちゃダメ。病気がうつるから」
ソフィは手で口を覆って、咳をする。
真似とはいえ咳をするのは、きつい。
さらに体を屈め、顔を雪上の血に近づける。
「仕立て屋さんが言ってたの。感染するから、わたしに近づいちゃいけないって」
「鼻血がうつるのか?」
ちがーう! これは吐血のつもりなんだってば。
と、言えるはずもなく。ソフィはちらりとアランを見上げて、咳を続けた。
とにかく、うつる病気であると、アピールしなければ。
レイフは、苦しそうに咳きこむソフィに近づこうとして、やはり感染が恐ろしいのか、一定の距離以上は近づいてこない。
げほ……ごほっ、げほげほっ。ごほ、ごほっ。
可愛らしい咳じゃ真実味に欠ける、と思って真剣にやっていたら「おぇっ」と吐きそうになった。
うう、さすがにこれは汚いかも。
レイフが一歩どころか、数歩下がる。
「誰か、イヴォンネさまを医者へ」
鼻と口を手で押さえながら、レイフが周囲にいる馬賊に命令する。けれど馬賊は、彼よりもさらに引いた場所にいる。
「大切な人だと主張する割に、あんたは自分で助けないんだな」
ぐいっとソフィの体が持ち上がった。
咳きこみすぎた涙で滲んだ視界に、アランの顔が映っている。
心配しているような、怒っているような、眉根をしかめた表情だ。それも、とても至近距離で。
まるで子どもの頃に抱えてもらっていたように、片腕で抱き上げられている。
「落ちると危ないから、俺の首にしがみついていろ」
「え、でも」
「早く」と急かされて、おずおずとアランの首に腕をまわす。
あと少し顔を近づけたら、アランの頬にくっついてしまいそうだ。
自分の今の状態を考えると、ソフィは顔がかっと熱くなった。
「イヴォンネさま、お顔が赤うございます。お熱があるのでは」
レイフは明らかにおろおろとしているのに、それでもソフィに近寄ろうとはしない。
まるで見えない壁があるかのように、一定の距離を保っている。
「もう諦めろ。もし仮にソフィがイヴォンネであったとしても、あんたは自分の方が可愛いんだ。自分を犠牲にすることなんて、できやしないんだよ」
「そんなこと、あるはずがありません!」
「ふーん」
アランはソフィを抱えたまま、レイフに向かって歩き出した。「ひぃ」と掠れた悲鳴を上げて、レイフが尻もちをつく。
あわてて立ち上がったが、レイフの動揺の跡は、しっかりと残っていた。
「無理はするもんじゃない。……だろ?」
「わ、私はっ! イヴォンネさまのためならば、この身を投げ出しても惜しくはないっ」
ひゅん、と風の鳴る音。走りだそうとしたレイフの足下に、背後から矢が射られた。
「見苦しい。もうおやめなさい」
後方で矢を放ったのは、グンネルだった。
0
お気に入りに追加
782
あなたにおすすめの小説
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
国王陛下は悪役令嬢の子宮で溺れる
一ノ瀬 彩音
恋愛
「俺様」なイケメン国王陛下。彼は自分の婚約者である悪役令嬢・エリザベッタを愛していた。
そんな時、謎の男から『エリザベッタを妊娠させる薬』を受け取る。
それを使って彼女を孕ませる事に成功したのだが──まさかの展開!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
奥手なメイドは美貌の腹黒公爵様に狩られました
灰兎
恋愛
「レイチェルは僕のこと好き?
僕はレイチェルのこと大好きだよ。」
没落貴族出身のレイチェルは、13才でシーモア公爵のお屋敷に奉公に出される。
それ以来4年間、勤勉で平穏な毎日を送って来た。
けれどそんな日々は、優しかった公爵夫妻が隠居して、嫡男で7つ年上のオズワルドが即位してから、急激に変化していく。
なぜかエメラルドの瞳にのぞきこまれると、落ち着かない。
あのハスキーで甘い声を聞くと頭と心がしびれたように蕩けてしまう。
奥手なレイチェルが美しくも腹黒い公爵様にどろどろに溺愛されるお話です。
イケボな宰相と逃げる女騎士
ほのじー
恋愛
イケボな宰相×腰がくだけないよう踏ん張る女騎士
【Hotランキング2位ありがとうございます!!】
生真面目なジュリアは王妃の女騎士となり、二年が経った。22歳となり行き遅れとなった彼女はもう結婚も諦め一生王妃に仕えると心で誓っていた。
真面目で仕事中感情を乱さない彼女にも苦手な人物がいる。それは誰もが恐れる“氷の宰相”サイラスだ。なぜなら彼の中性的な声が腰にくるからで・・・
サイラス:「ジュリア殿、この書類間違ってませんかね」
ジュリア:「っ・・・もう一度確認しておきます!失礼します!!」
ーバタンー
ジュリア:「はぅぅ・・」(耳元で話しかけないでー!!)
※本編はR15程度です。番外編にてR18表現が入ってきます
【R18】国王陛下に婚活を命じられたら、宰相閣下の様子がおかしくなった
ほづみ
恋愛
国王から「平和になったので婚活しておいで」と言われた月の女神シアに仕える女神官ロイシュネリア。彼女の持つ未来を視る力は、処女喪失とともに失われる。先視の力をほかの人間に利用されることを恐れた国王からの命令だった。好きな人がいるけどその人には好かれていないし、命令だからしかたがないね、と婚活を始めるロイシュネリアと、彼女のことをひそかに想っていた宰相リフェウスとのあれこれ。両片思いがこじらせています。
あいかわらずゆるふわです。雰囲気重視。
細かいことは気にしないでください!
他サイトにも掲載しています。
注意 ヒロインが腕を切る描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
R18 優秀な騎士だけが全裸に見える私が、国を救った英雄の氷の騎士団長を着ぐるみを着て溺愛する理由。
シェルビビ
恋愛
シャルロッテは幼い時から優秀な騎士たちが全裸に見える。騎士団の凱旋を見た時に何で全裸でお馬さんに乗っているのだろうと疑問に思っていたが、月日が経つと優秀な騎士たちは全裸に見えるものだと納得した。
時は流れ18歳になると優秀な騎士を見分けられることと騎士学校のサポート学科で優秀な成績を残したことから、騎士団の事務員として採用された。給料も良くて一生独身でも生きて行けるくらい充実している就職先は最高の環境。リストラの権限も持つようになった時、国の砦を守った英雄エリオスが全裸に見えなくなる瞬間が多くなっていった。どうやら長年付き合っていた婚約者が、貢物を散々貰ったくせにダメ男の子を妊娠して婚約破棄したらしい。
国の希望であるエリオスはこのままだと騎士団を辞めないといけなくなってしまう。
シャルロッテは、騎士団のファンクラブに入ってエリオスの事を調べていた。
ところがエリオスにストーカーと勘違いされて好かれてしまった。元婚約者の婚約破棄以降、何かがおかしい。
クマのぬいぐるみが好きだと言っていたから、やる気を出させるためにクマの着ぐるみで出勤したら違う方向に元気になってしまった。溺愛することが好きだと聞いていたから、溺愛し返したらなんだか様子がおかしい。
天然王妃は国王陛下に溺愛される~甘く淫らに啼く様~
一ノ瀬 彩音
恋愛
クレイアは天然の王妃であった。
無邪気な笑顔で、その豊満過ぎる胸を押し付けてくるクレイアが可愛くて仕方がない国王。
そんな二人の間に二人の側室が邪魔をする!
果たして国王と王妃は結ばれることが出来るのか!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる