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十二章

4、冷静でなんかいられない

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 兵と馬賊が戦っている城門へ向かうのは危険だ。

 とはいえ、この城で暮らしていたのは赤ん坊の頃と、連れて来られてから、ほぼ外に出ていないソフィに城の詳細は分からない。

 アランは腰につけた革の鞄から、折りたたまれた紙を取りだした。広げると、それは城の見取り図だった。

「ベアタが描いてくれたんだ」

 アランの言葉は少なかったが、ベアタが本気でエルヴェーラを逃がそうと考えてくれているのが、痛いほどに伝わって来た。

「今いる温室が、地図上でここだから。鐘の塔の方へ向かうと、小さな門があるわ」
「弔いの門だ。警備が手薄だと言っていた。馬賊もあまり近づきたがらないと。ただそれは平時のことだ。今、その情報は参考程度に留めておかないとな」

 城の見取り図を頭に叩き込んでおくように、とアランに紙を渡される。

 次第に頭が冴えてくる。
 令嬢として育てられなくて良かった。たとえダンスが踊れても、刺繍がうまくても、礼儀作法が完璧でも。生きる道を自分で選んだ時に、ただ助けを待っているだけなんて、嫌だ。

「アラン。武器は何がある?」
「剣と短剣。だがこれは白兵戦用だからな。できれば弓矢を手に入れたい」
「うん。投げられる物でもあればいいんだけど」

 辺りを見回したソフィは、ガラス張りの温室に目を輝かせた。

「ある! 投擲とうてきできる武器」
「温室に? あ、ああ。なるほど」

 温室に鍵はかかっていなかった。

 中に入ると、温かさにほっとした。
 ソフィたちが暮らすプーマラでも夏にしか咲かない、橙色の大きな芙蓉。水盤には、澄んだ水を花の形に細工したような睡蓮が花開いている。
 とはいえ、花を愛でる余裕はない。

 鮮やかな緑の間を抜けて、二人は道具を保管してある棚へと向かった。
 草を刈る鎌に、土を掘り起こす鍬。農具は立派な武器になる。アランはそれらを手にした。
 一方ソフィは、積み上げられている空の植木鉢を持ち上げる。

「うん、使えそう」

 左右の袖からびらびらと下がっているレースを引きちぎり、重ねる。
 使用している糸は繊細だが、模様が細かくて緻密なので、二枚合わせることで強度も上がるはず。

「豪快だな。それって手編みのレースなんだろ。相当高価なんじゃないのか?」
「うん。糸の宝石って呼ばれてる」
「……卒倒しそうだ」
「タンスの中にしまい込まれてるよりは、役に立った方がいいじゃない?」
「寝間着、なのか? 作った人も着ていた人も想定しない使い方だな」

 ソフィは心の中で、肖像画に描かれていた辺境伯夫人に「ごめんなさい」と謝る。

 きっと自分は実母の望む娘には、なれていないだろう。でも、たぶんあの日乳母が望んだ人間には、なれている。

「ソフィ」

 名前を呼ばれるのと同時に、体が持ち上がった。
 アランがソフィの両わきを手で抱えている。
 宙に浮いた足がぶらぶらして心許ない。

「こんな布靴で外に出たら、凍傷になる」

 ソフィを台に座らせると、アランは靴を脱がせ始めた。素足が露わになり、ソフィは急に恥ずかしさを覚えた。
 どうして? お風呂で髪を洗ってもらうのも平気だったのに。
 なんで、足に触れられるだけで、こんなにも苦しい気持ちになるの?

「や、やだ。見ないで」
「温室内だから、外ほど冷えないぞ」

 アランがひざまずいて、ソフィの素足を革手袋に包まれた左手に載せる。

「冷えるとかじゃなくて……だめなの」
「嫌がっている場合じゃないだろ。ほら、見せてみろ」
「いいの。自分でできるから」

 ソフィは体を引こうとしたが、背中がガラスに当たってそれも叶わない。
 布越しに感じるガラスの冷たさ。なのに、顔は火照って熱い。
 熱くて苦しいよ。
 アラン。無理だよ。

 革手袋を脱いだアランの右手の指が、ソフィの素肌に触れるから。

 だめだよ。こんなの冷静でいられるはずがない。

 まるで友人のクラーラが学校で読んでいた、恋愛絵物語のワンシーンみたい。
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