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十章
4、「アラン」の方がいい
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雪はしんしんと降り積もる。
辺りはすでに宵闇に包まれ、遠くでトナカイの鳴く濁った声が聞こえる。
ベアタの言葉の、その先を知りたいのに。知るのが怖い。この感覚には覚えがある。
赤ん坊だったエルヴェーラをキルナ城の木の下に隠した時に似ている。
エルヴェーラの安否を確認したくて、気が急いているのに。
部隊の仲間の手前、彼女の元へすぐには駆けつけられず、撤収作業を終えるまで放置したままだった。
いっそ泣いてくれたら無事であると分かるのに。
だが赤ん坊が声を上げたりしたら、グンネルにエルヴェーラの所在が見つかってしまう。
じりじりと時が過ぎるのが遅すぎて。任務から解放された時には、つまずき、服に枝をひっかけながらあの子の元へ向かった。
彼女を隠す枝を掻き分け、そして瞼を閉じ、ひんやりとした頬に指を触れた時。
エルヴェーラはうっすらと瞼を開いて、マクシミリアンをまっすぐに見つめたのだ。
そして、本当に小さな手をマクシミリアンの指にそえて。今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
それは雪の中で咲いた白い花のようだった。
生きていてよかった。助かってくれてよかった。
自分にも守ることのできる命があるのだ。人を殺すために軍に入ったのではなく、大事な人達を守る為だったのだと、彼女の笑顔が思い出させてくれた。
そして、これからは君を守る為に生きていこうと、そう誓ったのだ。
「マクシミリアン?」
グンネルに呼びかけられて、アランははっと我に返った。
「落ち着きなさい。ソフィが心配なのは分かるけど」
「その言葉の前半、そっくりそのままあんたに返すよ」
ふっ、とグンネルが力の抜けた笑みを浮かべた。
「そうね。悔いることならいつでも出来る。今は目の前の問題を片付けなくちゃね。マクシミリアン、野営の用意をするわよ」
グンネルは立ち上がると、自分の肩にかかった雪を手で払った。
さっきまでの湿っぽい感情にとらわれていたグンネルの姿はない。
馬の荷から丸めた天幕を下ろす彼女は、力強く立っていた。
現役の軍人であるグンネルは、手際よく天幕を設営した。
その間にアランは焚き火の準備をする。
キルナ地方は極寒なので雪は湿っぽくはないが、それでも落ちている枝は燃えるほど乾燥していない。
持参した薪を組み、着火用に一本の薪をナイフで薄く削いでいく。何枚もの羽のように、薄く削いだ木くずを切り落としてしまうのではなく、端はつけたままだ。
さらに念のために縄を切ってほぐしていく。
これで薪への着火が早くなる。
「……マク……アラン?」
ベアタは途中で呼び方を変えた。
「ああ、マクシミリアンでもアランでもどっちでも好きに呼べばいい」
「じゃあ、マクシミリアンで。そっちの方が似合ってる」
はは、とアランは笑った。
考えてみりゃ、アランは自分で適当につけた名前だった。両親が考え抜いて命名したのとは訳が違う。
けど「アラン」とソフィに言われるのが、とても好きだ。
アランとしてよりも、マクシミリアンとして生きた人生の方が長いが。
ソフィが嬉しそうに名を呼んでくれるのだから、アランの方がよほどいい。
「スープなら食えるな。苦手なものはあるか?」
「エビとか、カニとかは……ううん、何でも平気」
「了解」
包みに入った塩漬け肉や野菜を刻みながら、アランは苦笑した。
食事も簡素な携帯食にした方が荷物も減っていいのだが、それではいざという時に力が出ない。敵を前にして体力不足など、あってはならないことだ。
塩漬け肉をとろとろになるまで煮こめば、ベアタでも食べることができるだろう。
(そういえばソフィは泥ガニを売って、いったい何が欲しかったんだろう)
白い雪の上で赤々と燃える火は、茹でた泥ガニの色に似ている。
(ソフィに再会したら、欲しい物を聞きだして買ってやろう。普段ならキスだってすぐにねだってくるのに、なんだって教えてくれないんだ)
辺りはすでに宵闇に包まれ、遠くでトナカイの鳴く濁った声が聞こえる。
ベアタの言葉の、その先を知りたいのに。知るのが怖い。この感覚には覚えがある。
赤ん坊だったエルヴェーラをキルナ城の木の下に隠した時に似ている。
エルヴェーラの安否を確認したくて、気が急いているのに。
部隊の仲間の手前、彼女の元へすぐには駆けつけられず、撤収作業を終えるまで放置したままだった。
いっそ泣いてくれたら無事であると分かるのに。
だが赤ん坊が声を上げたりしたら、グンネルにエルヴェーラの所在が見つかってしまう。
じりじりと時が過ぎるのが遅すぎて。任務から解放された時には、つまずき、服に枝をひっかけながらあの子の元へ向かった。
彼女を隠す枝を掻き分け、そして瞼を閉じ、ひんやりとした頬に指を触れた時。
エルヴェーラはうっすらと瞼を開いて、マクシミリアンをまっすぐに見つめたのだ。
そして、本当に小さな手をマクシミリアンの指にそえて。今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
それは雪の中で咲いた白い花のようだった。
生きていてよかった。助かってくれてよかった。
自分にも守ることのできる命があるのだ。人を殺すために軍に入ったのではなく、大事な人達を守る為だったのだと、彼女の笑顔が思い出させてくれた。
そして、これからは君を守る為に生きていこうと、そう誓ったのだ。
「マクシミリアン?」
グンネルに呼びかけられて、アランははっと我に返った。
「落ち着きなさい。ソフィが心配なのは分かるけど」
「その言葉の前半、そっくりそのままあんたに返すよ」
ふっ、とグンネルが力の抜けた笑みを浮かべた。
「そうね。悔いることならいつでも出来る。今は目の前の問題を片付けなくちゃね。マクシミリアン、野営の用意をするわよ」
グンネルは立ち上がると、自分の肩にかかった雪を手で払った。
さっきまでの湿っぽい感情にとらわれていたグンネルの姿はない。
馬の荷から丸めた天幕を下ろす彼女は、力強く立っていた。
現役の軍人であるグンネルは、手際よく天幕を設営した。
その間にアランは焚き火の準備をする。
キルナ地方は極寒なので雪は湿っぽくはないが、それでも落ちている枝は燃えるほど乾燥していない。
持参した薪を組み、着火用に一本の薪をナイフで薄く削いでいく。何枚もの羽のように、薄く削いだ木くずを切り落としてしまうのではなく、端はつけたままだ。
さらに念のために縄を切ってほぐしていく。
これで薪への着火が早くなる。
「……マク……アラン?」
ベアタは途中で呼び方を変えた。
「ああ、マクシミリアンでもアランでもどっちでも好きに呼べばいい」
「じゃあ、マクシミリアンで。そっちの方が似合ってる」
はは、とアランは笑った。
考えてみりゃ、アランは自分で適当につけた名前だった。両親が考え抜いて命名したのとは訳が違う。
けど「アラン」とソフィに言われるのが、とても好きだ。
アランとしてよりも、マクシミリアンとして生きた人生の方が長いが。
ソフィが嬉しそうに名を呼んでくれるのだから、アランの方がよほどいい。
「スープなら食えるな。苦手なものはあるか?」
「エビとか、カニとかは……ううん、何でも平気」
「了解」
包みに入った塩漬け肉や野菜を刻みながら、アランは苦笑した。
食事も簡素な携帯食にした方が荷物も減っていいのだが、それではいざという時に力が出ない。敵を前にして体力不足など、あってはならないことだ。
塩漬け肉をとろとろになるまで煮こめば、ベアタでも食べることができるだろう。
(そういえばソフィは泥ガニを売って、いったい何が欲しかったんだろう)
白い雪の上で赤々と燃える火は、茹でた泥ガニの色に似ている。
(ソフィに再会したら、欲しい物を聞きだして買ってやろう。普段ならキスだってすぐにねだってくるのに、なんだって教えてくれないんだ)
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