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五章
2、手の届かないレディ
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ソフィが眠りに落ちるまで、アランは身じろぎもできずにいた。
あれは、いつものキスをねだる子どものソフィではなかった。
普段なら「何をする。この変態」と彼女の頭を手で押さえて制止しただろうに。
なぜ、それができなかったのだろう。
自分でも分からない……なんて、嘘だ。
もう理解している。自分もソフィのキスを受け入れたいと願ったからだ。
ソフィが寝返りを打ち、アランの方を向いた。
彼女の健やかな寝息を確認して、ようやく上体を起こす。
他人として育てた方がよかったのだろうか。或いはどこかの施設に預けて、時折様子を見に行く方が良かったのだろうか。
いや……無理だ。
乳母の最期の願いを、どうして裏切れる? それにたった一人残されたこの子には、家族としての愛情を与えてやりたかった。無償の愛を……。
誰よりも大事で、その健やかな成長を見守って。いつかこの手を離れて、静かな森に隠された家から出て嫁いでいく君を見送るのが、俺の務めだと思っていた。
それだけで、良かったんだ。なのに。
なぜ、こんなにも心が揺らぐんだ。
アランはベッドから降りると、服の入っている棚へと向かった。
一番上の引き出しを開いて、その奥に大切に保管してある布を取りだす。
あの日、ゆりかごに入っていた小さなブランケットだ。ウェド語の飾り文字でエルヴェーラとの縫い取りが見て取れる。
柔らかな手触り。この家にあるどの布よりも柔らかく、三十三年時間の人生で一番優しい感触の布だ。
上質な世界で暮らすはずだったエルヴェーラの未来を奪ってしまったのは、他でもない軍に属する自分達だ。
もしキルナ辺境伯が罪を犯さなければ、エルヴェーラはどんな可憐な令嬢に育っていたことだろう。
泥んこになって川に入ってカニを捕ることもなければ、羊を避けながら丘陵地帯を走りこんだり、体を鍛えることもなく、優雅にダンスを踊っていただろうか。
どこかの貴公子が差し出す手を、レースの手袋に包まれた嫋やかな彼女の手がとり。美しく微笑みあって……。
それがエルヴェーラにとっては当たり前の暮らしだったはずだ。
「本来は俺なんかには、手の届かないレディなんだよな」
ソフィとの二人暮らしが長く、あまりにも近くにいすぎるから、つい忘れてしまう。
そして、いつも真っすぐに愛情をぶつけてきてくれるから。
これまでソフィを独占しすぎていた。
「お前の『好き』は、家族としての愛情じゃなかったんだな」
アランは窓ガラスに映る自分の姿を見た。
貴公子でもなんでもない、ただの男だ。
窓の向こうの暗い森と重なり合って、かつてマクシミリアンと呼ばれた軍人であった頃の、血濡れた自分の幻影が見える。
あれから、手袋をはめることが出来ない。
せめて十歳若ければ、ソフィの気持ちを受け止めることができただろうか。
そう考えて首を振った。
保護者としての愛を注ごうと決めたはずだ。
自分の気持ちを自覚したからといって、すぐにそれを覆すなんて、きっとしてはならないことだ。
あれは、いつものキスをねだる子どものソフィではなかった。
普段なら「何をする。この変態」と彼女の頭を手で押さえて制止しただろうに。
なぜ、それができなかったのだろう。
自分でも分からない……なんて、嘘だ。
もう理解している。自分もソフィのキスを受け入れたいと願ったからだ。
ソフィが寝返りを打ち、アランの方を向いた。
彼女の健やかな寝息を確認して、ようやく上体を起こす。
他人として育てた方がよかったのだろうか。或いはどこかの施設に預けて、時折様子を見に行く方が良かったのだろうか。
いや……無理だ。
乳母の最期の願いを、どうして裏切れる? それにたった一人残されたこの子には、家族としての愛情を与えてやりたかった。無償の愛を……。
誰よりも大事で、その健やかな成長を見守って。いつかこの手を離れて、静かな森に隠された家から出て嫁いでいく君を見送るのが、俺の務めだと思っていた。
それだけで、良かったんだ。なのに。
なぜ、こんなにも心が揺らぐんだ。
アランはベッドから降りると、服の入っている棚へと向かった。
一番上の引き出しを開いて、その奥に大切に保管してある布を取りだす。
あの日、ゆりかごに入っていた小さなブランケットだ。ウェド語の飾り文字でエルヴェーラとの縫い取りが見て取れる。
柔らかな手触り。この家にあるどの布よりも柔らかく、三十三年時間の人生で一番優しい感触の布だ。
上質な世界で暮らすはずだったエルヴェーラの未来を奪ってしまったのは、他でもない軍に属する自分達だ。
もしキルナ辺境伯が罪を犯さなければ、エルヴェーラはどんな可憐な令嬢に育っていたことだろう。
泥んこになって川に入ってカニを捕ることもなければ、羊を避けながら丘陵地帯を走りこんだり、体を鍛えることもなく、優雅にダンスを踊っていただろうか。
どこかの貴公子が差し出す手を、レースの手袋に包まれた嫋やかな彼女の手がとり。美しく微笑みあって……。
それがエルヴェーラにとっては当たり前の暮らしだったはずだ。
「本来は俺なんかには、手の届かないレディなんだよな」
ソフィとの二人暮らしが長く、あまりにも近くにいすぎるから、つい忘れてしまう。
そして、いつも真っすぐに愛情をぶつけてきてくれるから。
これまでソフィを独占しすぎていた。
「お前の『好き』は、家族としての愛情じゃなかったんだな」
アランは窓ガラスに映る自分の姿を見た。
貴公子でもなんでもない、ただの男だ。
窓の向こうの暗い森と重なり合って、かつてマクシミリアンと呼ばれた軍人であった頃の、血濡れた自分の幻影が見える。
あれから、手袋をはめることが出来ない。
せめて十歳若ければ、ソフィの気持ちを受け止めることができただろうか。
そう考えて首を振った。
保護者としての愛を注ごうと決めたはずだ。
自分の気持ちを自覚したからといって、すぐにそれを覆すなんて、きっとしてはならないことだ。
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