大正の夜ごとに君を待ちわびる

絹乃

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三章

6、なつかしい弟

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 朱鷺子さんの葬儀は教会で執り行われた。彼女が通っとった女学校の教会や。

 少女小説が売れたばかりに、卒業してもなお朱鷺子さんは母校に通いつめとった。
 人生の最期にまた同じ場所へと向かうのが皮肉であり、彼女らしくもあった。

 俺は人間やないから、彼女の霊に出会えるんやないかと期待したが。それは叶わんかった。
 きっと朱鷺子さんは、あの世で本当の俺に再会するんやろ。

 ならば、ここに遺された俺は?
 静海銀之丈やないんか? 偽物なんか?

 亡骸が運ばれた後の、がらんとした朱鷺子さんの部屋。畳の匂いも柱や鴨居の匂いも、庭の草も。どれもが、いろんな種類の白い花の匂いに上書きされている。
 まるで見知らぬ家のようや。

 俺は文机に向かい、無造作に重ねた原稿用紙を手に取った。

 俺の名前がある。どの紙にも。
 皮肉な笑みを浮かべ、意地悪を言う俺。優しい笑みを浮かべる俺。朱鷺子さんの荷物を持ってあげ、或いは二人で百貨店に向かい、陽光に満ちた浜辺を散策する。
 弱々しく乱れた青い文字が滲んだ。

 そうや。俺は偽物なんかやない。
 朱鷺子さんが遺してくれた……彼女の大事な遺品なんや。
 
 そして遺品としてこの家に残り続けた俺は、時を重ねるうちに実体を得るようになった。
 人に見えるようになったんや。

 朱鷺子さんの死を悼んだ鈴之介は、彼女のお気に入りの主人公である深雪が墓参する絵を描いた。
 俺と深雪は、そろって朱鷺子さんの形見や。

 朱鷺子さんは深雪の物語を書く時も、ずっと彼女と対話を続けてたんやろ。ちゃんと存在する人として、深雪と接してたから。
 深雪もまた、実体を得た。

 せやのに俺は、深雪の描かれた絵の管理をせんかった。
 けど、今は深雪を守らなあかん。朱鷺子さんの大事な少女なんやから。俺しか、深雪を守ることはできへんのやから。

「今ならまだ間に合うんちゃうか? 明日まで待たんでも。俺には伝手があるやないか」

 俺は万年筆を手に取った。カートリッジの中のインクは、もう乾燥してしもてる。
 しゃあないからインク壺を開けて、濃くなったインクにペン先をひたした。

 大きく深呼吸して、精神を整える。
 これは大事な手紙や。深雪を救うための懇願なんや。

 俺は、鈴之介に助けを求める手紙を一気に書きあげた。

 りりり、と庭から聞こえる虫の声。また、りりと呼応する声。
 俺の声に、誰も応えぬ暮らしに慣れとった。

 せやのに深雪が消えて、その静寂を寂しいと思うようになった。
 一人きりの時よりも、人がいなくなった後の方が孤独は身に染みるんやな。

 掛け軸を、乾いた手拭いで包む。手紙と掛け軸を持って、俺は家を出た。
 ぎぃっと軋んだ音を立てて門を開くと、視界が一気に開けた。下ってゆく坂の果てに夏の海が見える。

 この家の庭は木々の繁るに任せ、手入れもしてへんかった。食事も水も必要なかった俺は、朱鷺子さんの家から出ることもなかった。ただ保管してあるオイルをランプに注いで、わずかばかりの灯りを確保してただけや。

 海風が髪を撫で、着物の袖を揺らす。潮の匂いが濃い。
 今のあやかしじみた俺やのうて。人であった頃にはよくなじんでいた匂いだ。

 夕日に煌めく海と、一足早く闇に沈んだような淡路島。進むごとに胸を締めつけられる。

 凌霄花の鮮やかな橙色の花が咲く角を曲がれば、朱鷺子さんを助けた坂道や。

 急げ。鈴之介の元へ。
 彼しか深雪を救うことはできん。

 坂の上にある女学校に併設された修道院から、鐘の音が聞こえた。

 俺は坂の途中で角を曲がった。神社が近いので、鬱蒼とした杜が路地に一足早い宵を落としてる。
 朱鷺子さんの家の庭よりも、さらに緑の匂いが濃い。

 子どもの頃に、鈴之介と一緒に駆け上がった苔むした階段が見える。
 あと少しや。

 鈴之介は、まだ実家におるよな。この町を出て、よそへ行ってへんよな。
 祈るように願いつつ、俺は走る。

 待っていろ、深雪。お前は絶対に救ったる。
 
 築地塀ついじべいに沿って進むと、瓦屋根の門が見えてきた。杜の木下闇こしたやみが広がったのか、瓦はいっそう黒々と深みを増している。

 表札には『静海』の文字。
 門は大きく、通常はそばの脇戸から中に入る。古参の使用人が出てくれば、なぜ銀之丈がいるのかと訝しむことやろ。
 幽霊だと騒がれるかもしれへん。静海の息子は成仏できていないと、悪い噂が立つに違いない。

 それでも。悪評が立ったとしても、もとの銀之丈も俺と同じ行動をとったことやろ。

 脇戸を叩こうとしたその時。

「兄さん?」

 背後から声をかけられた。
 弾かれたようにふり返ると、涼しげな銀鼠の絽の着物をまとった男性が立っていた。
 鈴之介や。

 俺よりもずいぶんと年上になってしもた、三十代半ばの弟がいた。
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