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二章

7、手紙と葉書

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 朱鷺子さんを家まで送り届けたことを両親に気に入られたのか。あるいは彼女が俺のことを好いてくれたのか。
 九つも年が離れとうけど、ふたりの婚約はすぐにまとまった。

 夢見がちな朱鷺子さんは学生の頃から、小説を書いていた。エスと呼ばれる少女たちの友情と恋愛の狭間のような、危うくもはかない関係の物語や。

『少女画報』やったか『少女の友』やったか。投稿したのんを、時折載せてもらっていたらしい。

 きっとうっとりと微睡むような表情で、少女たちの友愛を描いてるんやろ。
 俺はそう思い込んでた。
 ほんまは全然ちゃうとも知らずに。

 自宅で文机に向かう朱鷺子さんは、眉間にしわを寄せて辞書をめくってた。万年筆を握りしめ、書いた部分に線を引いて消す。そしてまた書いて、今度は原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて畳に落とす。

 彼女が使っている辞書は、背表紙が指の形に何か所も窪みができてた。使いこみすぎてぼろぼろやった。

「朱鷺子さん」

 この家を訪れた俺が声をかけても、彼女は気ぃつかんかった。
 ものすごい集中力や。

 たいしたことのない内容の小説やと思てたのに。お気楽に書いてると思てたのに。全然ちゃうやんか。
 なんや、この身を削るようなひりついた朱鷺子さんの姿は。

 朱鷺子さんは網代天井をあおいで、ため息をついた。

「あぁー。あああああーっ!」

 俺がびくっと身をすくめるほどの、大声で朱鷺子さんは叫んだ。
 畳の上には反故にした原稿用紙のほかに、便箋や葉書が散乱しとった。

――鏡先生のお話を毎月、樂しみに拝讀はいどく致してをります。雜誌の發賣はつばい日の前夜は待ち遠しくて眠れません。
――じよがつこうには、かよへませんが。みゆきさんのせいかつが、まるでわがことのやうにおもへます。よみがながふつてあるので、よみやすいです。
――嗚呼、つづきは如何どうなるのでせう。胸が高鳴つてなりません。

 読者からの感想やった。
 流麗なインクの文字も、素朴な鉛筆の文字も。どれも熱烈な想いがしたためられとう。
 まさにファナティック。

 こないに熱い感想をもろたら嬉しいやろに。朱鷺子さんはむしろ重圧に押しつぶされそうやった。彼女の薄い肩や細い背中にすがりつく、大勢の少女の姿が見えた気がした。

「あら、いらっしゃいませ。銀之丈さん」

 俺がいることに、ようやく気づいたらしい。さっき絶叫したことなどおくびにも出さずに、朱鷺子さんがにこやかに挨拶をする。


「やあ。土産を持ってきたで」

 せやから俺も、見てないふりをする。

 俺は風呂敷に包んだ丸い朱欒ざぼんを取りだした。ころんと畳の上に転がりそうになるのを、慌てて手で押さえる。

 朱鷺子さんは、ふふっと微笑んだ。いつもどおりのおっとりとしたお嬢さんに戻ってた。
 どっちがほんまの彼女の姿なんか、俺には分からへん。

 俺の知らん重荷を、朱鷺子さんは背負てる。彼女にとって、それは裏切ることのできへん信頼やろ。

「大きな朱欒。いい香りですね」

 ずっしりとした淡い黄色の朱欒を、朱鷺子さんは両手で持った。瞼を閉じて、涼やかな香りをかいでいる。

「まるでお月さまみたいですねぇ。側面が少し押さえつけられた形ですから、十三夜の月かしら」
「十五夜との違いが分からん」
「まぁ。全然違いますよ。十三夜は黄水晶シトリンの光のお月さまなんです」
「なんや黄水晶って」

 朱鷺子さんは、時々難しいことを口にする。
 けど、俺には分からんそのこだわりが、少女らの心を惹きつけるんやろ。

「お月様でいっぱいで、お月様の光でいっぱいで、それはそれはいっぱいで」

 俺は何気なく呟いていた。
 だが、その言葉を聞いた途端、朱鷺子さんは目をきらきらと輝かせたんや。まるで星を瞳に閉じ込めたかのように。

「素敵。銀之丈さんは詩人でいらっしゃるのね」
「いや、ちゃうて」
「ご謙遜なさらずに」

 本当にちゃうんや。先日、母校の学院の中等部を訪ねた時に、そんな詩を口ずさんでいた生徒がおっただけの話だ。
 あまりにも強く否定したので、ようやく朱鷺子さんは俺の自作ではないと信じてくれた。
 なにやら申し訳ない気がする。

 むしろ俺の弟の方が、毎日のように絵を描いているので話が合うんちゃうやろか。年も朱鷺子さんとさほど変わらへん。
 九歳も上の俺は、きっとおじさんや。

「おじさん……」

 自分の言葉にいたく傷ついた。おじさん……もとい青年の心は少女のように繊細なんや。
 朱鷺子さんは傷心の俺には気づかずに、瞼を閉じて朱欒の匂いを楽しんでいる。

 十三夜の小さな月を捧げ持つ彼女の両手は、指先がインクで青く染まり、右の中指にペンだこができていた。
 けど、その汚れた指こそが少女らに夢を与えるんや。

 今はまだ婚約者やけど。朱鷺子さんと祝言をあげて夫婦となった時。
 俺は、創作に悩む彼女の支えになってあげよう。みずみずしい感性が、いつまでも損なわれることのないように。

 まぁ美文はちょっと気恥ずかしいっちゅうか、読みづらいけど。
 それは朱鷺子さんの個性やもんな。

 小さいナイフで朱欒の上の部分をすぱっと切り落とす。それから白いワタの部分に切れ目を入れる。手でぐいっと皮を剥がすと、房に入った実が現れた。
 薄い皮をむいて、朱鷺子さんに渡してあげる。

「すっきりした甘さですね。おいしいです」
「ちょっと苦いけど。平気か?」

 透明に近い淡い黄色の実を、朱鷺子さんは味わっている。

「お月さまを食べているみたいです」
「なるほど? よう分からんけど。朱欒の皮は砂糖漬けにしてもええらしいで。皮をお湯で煮て、その次に砂糖水で煮詰めるんやって」
「皮はおいしいんでしょうか」

 お盆に載せてある黄色い皮をちぎって、朱鷺子さんは口に入れる。次の瞬間、目をぎゅっと閉じて顔をしかめた。

「にが……っ。苦いです」
「あーあ。そのまま食べたらあかんやろ。ほんまに世間知らずやなぁ。不安になるわ」

 俺は笑った。

 ふたりで暮らすようになったら、庭に朱欒を植えてもええなぁ。他にも季節ごとの果物、柿とかすももとか植えたら楽しいかもしれへん。

 俺と朱鷺子さん。それからいずれ生まれるであろう子どもらと一緒に、果樹に水をあげて。実を狙う鳥と戦いながら、収穫するねん。
 
 けど、俺の願いは叶わんかった。
 祝言の前に、俺は肺を病んでしもたからや。
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