上 下
13 / 34
一章

13、聞いてください

しおりを挟む
「あの、朱鷺子先生とはどういった……」
「君は朱鷺子さんとは、どんな風に接しとったんや?」

 わたしと銀之丈さんの言葉が重なりました。

 不思議です。わたしも銀之丈さんも、朱鷺子先生の話ばかり。
 そういえば、彼は「朱鷺子さん」と、先生のことを呼んでいるわ。

 悔しいけれど、わたしよりも朱鷺子先生に近い人なのね。そんな立場の人が、わたしに先生とのことを聞きたがっている。

「そんなに聞きたいのでしたら、教えてさしあげてもいいのですよ」などと、高飛車にふるまう気にはなれません。
 だって。この人……つらそうなんですもの。

 わたしは膝の上で揃えた手を、きゅっと握りしめました。

「朱鷺子先生は、わたしによく語りかけてくださいました」

◇◇◇

「深雪さん。今日は女学校でどんな風でした? 楽しいことはおありになって?」

 朱鷺子先生に問われたわたしは、読んでいた詩集の『海潮音』を閉じました。

――海の底に照る日影、神寂びにたる曙の照しの光、亞比西尼亞あびしにあ
  珊瑚の森にほの紅く……

『珊瑚礁』というとても美しい詩を堪能しておりましたが、朱鷺子先生とのお話の方が大事です。

 一言一句だって先生の言葉は聞き逃したくないのです。
 だって、朱鷺子先生のことが溢れるほどに大好きなんですもの。
 紡がれる言葉は珊瑚の珠に、真珠の粒。すべて受け止めて、零したくはありません。

 ええ、ええ。朱鷺子先生聞いてください。
 今日はね黒板に白墨で詩が書いてありましたの。とても柔らかな筆跡で。

――南の風の吹くころは、朱欒ざぼんの花がにほいます。朱欒の花の咲く夜は、空には白い天の川。

 誰かが戯れに思いついたのでしょうか。それとも著名な詩なのでしょうか。

 わたしは朱欒もその花も知らなかったので、お友達に尋ねました。その方も朱欒はご存じなかったの。でも唱歌だと教えてくれました。
 ねぇ、朱鷺子先生は朱欒はご存じですか?

「まぁるい十三夜のお月さまのような実がなりますよ。御覧なさい、ほら、お庭のあの白いお花。あれが朱欒の花なんですよ」

 朱鷺子先生のしなやかな白魚の指がお庭を示すけれど。わたしにはぼんやりと仄白い光が見えるばかりでした。

「ほら、いい香りでしょう? 去年、十年目で初めて実が生ったんですよ」

 促されてくんくんと鼻を動かしますが。分からないの。

 おかしなもので女学校や、すぐ眠くなる神父さまのお話、長くてあくびを噛み殺す御ミサ。
 教科書の紙のにおいや教室の端の軋む床の音。
 急な坂道にひたいやうなじに汗を浮かべたり、涼しい潮の匂いの風にすうっと汗が引く感触も。
 風に攫われて転がっていく日傘のころころという音も、明瞭に分かるのに。

 朱鷺子先生とお話している時だけは、辺りがぼんやりと朧なんです。
 でも、そんなことを知られたら先生を心配させてしまいますもの。
 わたしは朱欒の花の香りが分かったふりをして、うなずいたのです。

「ねぇ深雪さん。百貨店に行ったときのことを覚えていて?」
「はいっ」

 自分の分かる話題になると、わたしは途端に元気になって身を乗りだしました。

「わたしが女学生の頃は入店する時は、下足番に草履を預けましたし。連載当初の『秋燈あきともし物語』にもそう書いたのですけれど。最近一巻を読んだ読者さんが『そのまま草履や靴で上がれますよ。ご存じないんですか』なんてお手紙に書いていらして」

 そこで、はぁっと朱鷺子先生はため息をつきました。

「だめね、女学校を卒業していると感覚がずれてしまいますね。一人では百貨店に行くこともないですからね」

 寂しげに眉を下げる朱鷺子先生。
 そんな風におっしゃらないで。
 わたしは今、女学生ですけれど。やはり百貨店は草履を預けて入るものだと思っています。

「双美人のクラブ洗粉あらいこや美顔水、オイデルミンは今も売っていますけれど、ラヂウム洗粉なんてものがあるんですね。そうそう紅棒は今ではルウジュと呼ぶのだと、感想に書いてありました」

 かさりと便箋を広げて、朱鷺子先生は小さく息をこぼします。

「わたしの知らないことばかりですね」

 お行儀が悪いのですが、わたしもちょっと覗きこみました。

――もう先生の作品は古いやうに思ひます。今の女學生は、そんな風では有りません。ちやんと經驗けいけんなさつておいでですか?

「ひどいっ」

 目に飛び込んできた文字の連なりに、わたしは頭を打たれました。
 わたしだって当世の女学生です。朱鷺子先生は確かに卒業なさっておいでですけれど。でも、お話をしていて古臭さなんて感じません。

 ただ読むだけの人が、どうして真剣に書いている先生を罵ることができるのでしょう。
 小説を書きもしないのに、なぜ批判だけは一人前なの?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない

めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」 村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。 戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。 穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。 夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。

『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』

あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾! もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります! ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。 稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。 もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。 今作の主人公は「夏子」? 淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。 ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる! 古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。 もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦! アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください! では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

30歳、魔法使いになりました。

本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に酔って帰った鞍馬花凛。 『30歳で魔法使い』という都市伝説を思い出した花凛が魔法を唱えると……。 そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。 そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、本家当主から思わぬ事実を知らされる……。 ゆっくり更新です。

迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】 やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。 *あらすじ*  人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。 「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」  どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。  迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。  そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。  彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

『相思相愛ADと目指せミリオネラに突如出演の激闘20日間!ウクライナ、ソマリア、メキシコ、LA大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第3弾!』

あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第3弾! もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第3弾! 今度こそは「ハッピーエンド」!? はい、「ハッピーエンド」です(※あー、言いきっちゃった(笑)!)! もちろん、稀世・三郎夫婦に直とまりあ。もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。 今作も主人公も「夏子」! 今回の敵は「ウクライナのロシア軍」、「ソマリアの海賊」、「メキシカン・マフィア」と難敵ぞろい。 アメリカの人気テレビ番組「目指せ!ミリオネラ!」にチャレンジすることになってしまった夏子と陽菜は稀世・直・舩阪・羽藤たちの協力を得て次々と「難題」にチャレンジ! 「ウクライナ」では「傭兵」としてロシア軍の情報・指令車の鹵獲に挑戦。 「ソマリア」では「海賊退治」に加えて「クロマグロ」を求めてはえ縄漁へ。 「メキシコ・トルカ」ではマフィア相手に誘拐された人たちの解放する「ネゴシエーター」をすることに。 もちろん最後はドンパチ! 夏子の今度の「恋」の相手は、なぜか夏子に一目ぼれしたサウジアラビア生まれのイケメンアメリカ人アシスタントディレクター! シリーズ完結作として、「ハッピーエンド」なんでよろしくお願いしまーす! (⋈◍>◡<◍)。✧♡

卑屈令嬢と甘い蜜月

永久保セツナ
キャラ文芸
【全31話(幕間3話あり)・完結まで毎日20:10更新】 葦原コノハ(旧姓:高天原コノハ)は、二言目には「ごめんなさい」が口癖の卑屈令嬢。 妹の悪意で顔に火傷を負い、家族からも「醜い」と冷遇されて生きてきた。 18歳になった誕生日、父親から結婚を強制される。 いわゆる政略結婚であり、しかもその相手は呪われた目――『魔眼』を持っている縁切りの神様だという。 会ってみるとその男、葦原ミコトは白髪で狐面をつけており、異様な雰囲気を持った人物だった。 実家から厄介払いされ、葦原家に嫁入りしたコノハ。 しかしその日から、夫にめちゃくちゃ自己肯定感を上げられる蜜月が始まるのであった――! 「私みたいな女と結婚する羽目になってごめんなさい……」 「私にとって貴女は何者にも代えがたい宝物です。結婚できて幸せです」 「はわ……」 卑屈令嬢が夫との幸せを掴むまでの和風シンデレラストーリー。 表紙絵:かわせかわを 様(@kawawowow)

処理中です...