大正の夜ごとに君を待ちわびる

絹乃

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一章

13、聞いてください

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「あの、朱鷺子先生とはどういった……」
「君は朱鷺子さんとは、どんな風に接しとったんや?」

 わたしと銀之丈さんの言葉が重なりました。

 不思議です。わたしも銀之丈さんも、朱鷺子先生の話ばかり。
 そういえば、彼は「朱鷺子さん」と、先生のことを呼んでいるわ。

 悔しいけれど、わたしよりも朱鷺子先生に近い人なのね。そんな立場の人が、わたしに先生とのことを聞きたがっている。

「そんなに聞きたいのでしたら、教えてさしあげてもいいのですよ」などと、高飛車にふるまう気にはなれません。
 だって。この人……つらそうなんですもの。

 わたしは膝の上で揃えた手を、きゅっと握りしめました。

「朱鷺子先生は、わたしによく語りかけてくださいました」

◇◇◇

「深雪さん。今日は女学校でどんな風でした? 楽しいことはおありになって?」

 朱鷺子先生に問われたわたしは、読んでいた詩集の『海潮音』を閉じました。

――海の底に照る日影、神寂びにたる曙の照しの光、亞比西尼亞あびしにあ
  珊瑚の森にほの紅く……

『珊瑚礁』というとても美しい詩を堪能しておりましたが、朱鷺子先生とのお話の方が大事です。

 一言一句だって先生の言葉は聞き逃したくないのです。
 だって、朱鷺子先生のことが溢れるほどに大好きなんですもの。
 紡がれる言葉は珊瑚の珠に、真珠の粒。すべて受け止めて、零したくはありません。

 ええ、ええ。朱鷺子先生聞いてください。
 今日はね黒板に白墨で詩が書いてありましたの。とても柔らかな筆跡で。

――南の風の吹くころは、朱欒ざぼんの花がにほいます。朱欒の花の咲く夜は、空には白い天の川。

 誰かが戯れに思いついたのでしょうか。それとも著名な詩なのでしょうか。

 わたしは朱欒もその花も知らなかったので、お友達に尋ねました。その方も朱欒はご存じなかったの。でも唱歌だと教えてくれました。
 ねぇ、朱鷺子先生は朱欒はご存じですか?

「まぁるい十三夜のお月さまのような実がなりますよ。御覧なさい、ほら、お庭のあの白いお花。あれが朱欒の花なんですよ」

 朱鷺子先生のしなやかな白魚の指がお庭を示すけれど。わたしにはぼんやりと仄白い光が見えるばかりでした。

「ほら、いい香りでしょう? 去年、十年目で初めて実が生ったんですよ」

 促されてくんくんと鼻を動かしますが。分からないの。

 おかしなもので女学校や、すぐ眠くなる神父さまのお話、長くてあくびを噛み殺す御ミサ。
 教科書の紙のにおいや教室の端の軋む床の音。
 急な坂道にひたいやうなじに汗を浮かべたり、涼しい潮の匂いの風にすうっと汗が引く感触も。
 風に攫われて転がっていく日傘のころころという音も、明瞭に分かるのに。

 朱鷺子先生とお話している時だけは、辺りがぼんやりと朧なんです。
 でも、そんなことを知られたら先生を心配させてしまいますもの。
 わたしは朱欒の花の香りが分かったふりをして、うなずいたのです。

「ねぇ深雪さん。百貨店に行ったときのことを覚えていて?」
「はいっ」

 自分の分かる話題になると、わたしは途端に元気になって身を乗りだしました。

「わたしが女学生の頃は入店する時は、下足番に草履を預けましたし。連載当初の『秋燈あきともし物語』にもそう書いたのですけれど。最近一巻を読んだ読者さんが『そのまま草履や靴で上がれますよ。ご存じないんですか』なんてお手紙に書いていらして」

 そこで、はぁっと朱鷺子先生はため息をつきました。

「だめね、女学校を卒業していると感覚がずれてしまいますね。一人では百貨店に行くこともないですからね」

 寂しげに眉を下げる朱鷺子先生。
 そんな風におっしゃらないで。
 わたしは今、女学生ですけれど。やはり百貨店は草履を預けて入るものだと思っています。

「双美人のクラブ洗粉あらいこや美顔水、オイデルミンは今も売っていますけれど、ラヂウム洗粉なんてものがあるんですね。そうそう紅棒は今ではルウジュと呼ぶのだと、感想に書いてありました」

 かさりと便箋を広げて、朱鷺子先生は小さく息をこぼします。

「わたしの知らないことばかりですね」

 お行儀が悪いのですが、わたしもちょっと覗きこみました。

――もう先生の作品は古いやうに思ひます。今の女學生は、そんな風では有りません。ちやんと經驗けいけんなさつておいでですか?

「ひどいっ」

 目に飛び込んできた文字の連なりに、わたしは頭を打たれました。
 わたしだって当世の女学生です。朱鷺子先生は確かに卒業なさっておいでですけれど。でも、お話をしていて古臭さなんて感じません。

 ただ読むだけの人が、どうして真剣に書いている先生を罵ることができるのでしょう。
 小説を書きもしないのに、なぜ批判だけは一人前なの?
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