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一章

12、意地が悪いそうです

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 玄関の戸をむりやりこじ開けて乱入した男たちが、泥棒と知って。わたしは今更ながら、膝ががくがくと震えてきました。

 銀之丈さんには内緒だけれど。台所に向かったのはお塩を探しに行ったのではないの。

 どこか隠れる所はないかと慌てて廊下を走り段差を下りて、そこが台所だっただけ。
 わたしを蔵に幽閉した犯人が誰だか分からない以上、うかつに顔を出すことはできません。

 だから、タイル張りの流しの横にしゃがみこんで隠れていたんです。息をひそめ、身を小さくして。
 銀之丈さんを置き去りにした状態で。

「卑怯で臆病だわ、わたしは」

 あいつらと銀之丈さんの揉める声が聞こえたから。勇気を出して、塩の壺を摑んだの。

 ほんとうに威勢がいいなら、逃げたりしません。
 でも、どうすれば強くなれるの? 勇敢になれるの?
 朱鷺子先生。深雪に教えてください。どうか、どうか。
 
 廊下の土と撒いた塩を、わたしは箒で掃きました。銀之丈さんは、上がり框で塵取りを構えています。
 しゃっしゃっ、と箒が小気味よい音を立てます。

「不思議ですね。二人してお掃除だなんて。まるで家族のようです」
「家族? 兄妹とでも言いたいんか?」
「父と娘とか?」

 わたしの言葉に、銀之丈さんはむっと眉根を寄せました。

「失敬な。そこまでおじさんちゃうわ」

 しまった。余計なことを言ってしまいました。

「えっと、銀之丈さんは兄弟はいらっしゃるの? わたしは一人っ子なんですけど」
「弟がひとりやな。もう長いことうてへん」
「ご兄弟で似てらっしゃるのかしら」
「別に。全然似てへん」

 なんだか銀之丈さんが不機嫌なように思えます。玄関のすりガラスから射しこむ光のせいで、銀之丈さんの表情は影に沈んでいます。わたしの箒の音も途切れがちになりました。

 しゃ……。とうとうわたしは廊下を掃く手を止めてしまいました。
 音が消えたことに気づいたのか、埃交じりの風が起こらぬことが分かったのか。銀之丈さんは塵取りを床に置いて、わたしをまじまじと見つめました。

「あー、すまん。怒ってるわけやないねんで。その、弟と仲がええわけやないから、つい」

 ぽつりと洩らしつつ、銀之丈さんは頭を掻きました。

「ちゃうんや。その、君がとつぜん現れて。心構えができてへんというか。誰かと一緒に暮らす経験が少ないもんやから」
「心構えですか?」

 わたしは銀之丈を見つめました。廊下と三和土は一尺ほど高さの差があります。これまでは見上げていた銀之丈さんと、ほぼ同じ目の位置になるからでしょうか。
 銀之丈さんの少し薄い色の瞳が、泳いでいます。

「どう言うたらええんや」

 玄関の天井を見上げて、銀之丈さんは息をつきます。天井に答えでも書いてあるのかしら。

「俺は意地の悪いところがあるらしい。朱鷺子さんや弟に指摘されたことがある」
「それは相当ですね」
「君もなかなか言うなぁ。おとなしい設定はどこいったんや」

 貸してみ、と銀之丈さんはわたしから箒を受けとりました。
 廊下の端に集めた塩と土を、丁寧に塵取りに収めています。

「まぁ、しゃあないか。君は、俺みたいな皮肉屋のおっさんとしゃべる機会なんか与えられへんかったやろから。人は環境で変わる、それと一緒やな」

 銀之丈さんは、ときどき妙なことを言うんです。

 朱鷺子先生のお家は広いのですが、実際に使用しているのは書斎と縁側に面した和室だけのようです。
 夏用の麻のお座布団を銀之丈さんに勧められて、わたしはちょこんと正座をしました。

 ああ、お尻の下が硬くないって素敵です。脛が痛くないってすばらしいです。
 麻のざらりとした手触りを、指でなぞって楽しみます。

「お茶でも淹れましょうか?」

 わたしは銀之丈さんに問いかけました。
 台所はさっき見て覚えましたので、一人でもお湯を沸かしてお茶くらいは淹れられそうです。

 立ち上がろうとしたわたしの腕を、大きな手ががっしりと摑みました。
 とても強い力で、長い指が食い込みそうなほど。

「頼むから、動くな」
「『ウゴクナ』という名のお紅茶でもあるのですか?」
「ないから。じっと座っていてくれ」

 銀之丈さんの目は真剣でした。
 さきほどの侵入者を、まだ警戒しているのでしょうか。

 仕方ありません。わたしは座りなおして、お部屋を見まわします。

 本と雑誌、それに色褪せた新聞がぎっしりと詰まった本棚。
 少女雑誌と、箱に入った本。本棚に収まりきらなかったのね。小説ばかりではなく詩集や戯曲も揃っています。それから分厚い辞書も。

 使いこんだ辞書は背表紙の部分がへこんでいました。
 そうね。朱鷺子先生はよく辞書を引いていらしたわ。

 文机には原稿用紙と万年筆が置きっぱなしです。
 ふらっとお散歩に出かけたかのような状態なのですから。朱鷺子先生は、近々戻っていらっしゃいますね。

 銀之丈さんは、書きかけの原稿用紙をじっと見つめています。とても切なそうに。花に陰がさすように、水に降るはかない雪を見つめるように。
 何かとても大事な物を失った方なのだと、ふと感じました。
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