大正の夜ごとに君を待ちわびる

絹乃

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一章

5、失礼な【2】

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「で? その父親とやらは、何ていう名前や? 苗字は村雨として、名は? 仕事は? 君の実家の住所は?」

 銀之丈さんが、冷ややかにわたしを見おろしています。
「うっ……」と、わたしは言葉に詰まりました。

「答えられもせぇへんくせに、人を犯罪者扱いするな」

 顔だけではなく、耳まで千切れそうに熱くなって。わたしは自分が相当に腹を立てていることに気づきました。

「初対面のあなたに、わたしの何が分かるというの?」

 そうよ。わたしのことが理解できるのは先生だけ。こんな無礼な人に分かるはずがありません。

「分かるわ。君はかがみ朱鷺子ときこ先生の好きそうな女学生そのままやん」
「どういうことですか! 朱鷺子先生のことまで馬鹿にするつもり?」

「事実を言うたら、悪口になっただけや。ほら、蔵を確認したらええ。まだ夜露も降りてへんから、足も袴も湿気へんやろ」と長い指が闇に沈んだ蔵を指さします。

 自分でも、頬が膨らんでいるのを自覚しました。
 ああ、いけないわ。これではフグのようではなくて?
 深呼吸をして、苛立ちをかろうじて静めます。


 銀之丈さんの言うことを聞くのも癪ですが、とにかく確かめてみないといけません。
 わたしは沓脱石の上の草履を履いて、蔵へと向かいました。

 前栽せんざいはぼうっとした月明りの下でも、手入れされていないのが分かります。
 剪定されていない木々は野放図に枝を伸ばし、花壇だと思っていたのは毟られていない下草が花をつけていただけです。

 ふわりと甘い匂いに顔を上げると、たわわに実った果実のような白い花が咲いていました。

 仄暗い葉の繁りのなか、小さいけれどふっくらと白く開いています。
 いったい何のお花でしょう。

 蔵の観音扉と塗籠ぬりごめの引き戸は災害時以外は開けてあるものです。ここでもそうです。
 二つの戸の奥の銅網どうあみの格子戸に、がっしりとした南京錠が掛けてあります。

 戸を開けた形跡もなく、戸の前の石にわたしの草履の跡もついていません。

 正直言うと、蔵を出た時のことは覚えていないの。
 窓の隙間の月光に、必死に手を伸ばしはしたのだけど。

「どうやって蔵から出てこられたのかしら」
「さぁ、俺には分からんわ」

 縁側に胡坐をかいた銀之丈さんが、庭に向かって手招きをしました。それが合図であったのか、黒猫が彼の膝に飛び乗りました。
 いちどためらって、でも、勇気をだして跳んだように見えました。

 長いしなやかな尻尾をゆったりと動かしながら、銀之丈さんに頭を擦りつけています。
 怖くないのかしら? とても懐いているようだけれど、彼に叩かれたりしないのかしら。
 
 空を見上げると、満ちた月が煌々と輝いています。
 事情は分からないけれど。強く願ったから外に出られた、そう考えるしかありません。

「露が降りる前に草から出た方がええ。足がふやけてまうで」
「え?」

 思いがけない言葉に、わたしは慌てて足下に目を向けました。

 黒々と見える草の中に埋もれたわたしの足は、別にふやけてなんていません。

 銀之丈さんは、ほんとうに訳の分からない人です。
 こんな人が、朱鷺子先生の知人で留守を任されているなんて。信じられないわ。
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