大正の夜ごとに君を待ちわびる

絹乃

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一章

4、失礼な【1】

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 この人、すごく意地の悪いです。
 わたしは小刻みに震える手をぎゅっと握りしめ、唇を噛みしめました。
 
 どうして朱鷺子ときこ先生のお部屋に、こんな不躾な男性がいるの?
 けれど退くわけには参りません。やっと蔵の外に出られたんですもの。

 キッと彼を睨みつけるのですが、怖がった様子もなく相変わらず少女雑誌をめくっています。
 二十代半ばに見えるいい大人ですのに。少女雑誌を読むなんて、おかしくなくて?

 そうよ、おかしいわこの人。
 わたしは両の拳を握りしめました。

「ひ、人に名前を尋ねるのなら、ご自分も名乗ってはいかが?」

 わたしの声は、みっともなく上ずってしまいました。

「尋ねてへんやろ。言い当てただけや」

 ひんやりとした霜の降りた冬の早朝のような声でした。
 彼は片方の眉を上げて、目を眇めます。綿紗ガーゼの寝間着の胸元が少しはだけているので、わたしは慌てて視線を外しました。

 なんて不埒な。
 目の前に女性がいるというのに、どうしてそんなはしたない格好ができるのでしょう。

「しゃあない、教えたろ。俺は銀之丈ぎんのじょうっていうねん。君がお探しの朱鷺子先生の知人や」
「知人……」

 ただの知り合いが一緒に暮らすものでしょうか。朱鷺子先生は、そんな乱れた生活はなさっておりませんでした。
 もしかして、と考えを巡らせたとき銀之丈さんがぴしりと言い放ちました。

「残念やけど、夫でも恋人でもない」
「本当ですか?」
「なんで嬉しそうやねん」

 だって朱鷺子先生の男性の趣味が、悪いわけではなくてほっとしたんですもの。
 こんな横柄な人が良人おっとだなんて。良人じゃなくて悪人ですもの、きっと。

「まぁええ。亡霊のようにいつまでも庭に佇んでられたら、困る。上がりなさい」

 勧められるままにわたしは沓脱石から縁側へと上がりました。草履を揃えていると、銀之丈さんが口をぽかんと開けているのが見えました。

「へーぇ、躾はちゃんとしてるんやな。さすがは良家のお嬢さんや」
修道女シスターの先生が厳しいんです」
「ああ、なるほど」

 納得してうなずく銀之丈さんは、寝間着が乱れていることに気づいたようで、帯を締めなおしていました。
 たくましい胸元がようやく隠れます。
 本当に困るわ。

 けれど、彼の言葉が心に引っかかりました。
 さすがは良家のお嬢さんや、と言われましたが。どうしてそんなことが分かるのでしょう。女学生だから? 

 背後をふり返ると、古びた蔵がありました。漆喰の白が黒ずんで、しかも地面に近い部分には苔が生え、ドクダミも生い茂っています。
 これがわたしの閉じこめられていた蔵なのね。

 でも、朱鷺子先生のお家の蔵に? どう考えてもおかしいわ。
 わたしは、この家をよく知っているわ。朱鷺子先生と一緒にいたんですもの。じゃあ、誰に捕まえられたというの?

「もしかして、あなたがわたしを誘拐したの?」
「アホか」

 間髪入れずに、銀之丈という人に叱られました。

「俺は君とは初対面や。君を誘拐して、拉致して何の得があるねん」
「だって、良家のお嬢さんって言ったわ。朱鷺子先生のお家の蔵に幽閉して、きっと父に身代金を要求したのね」
「はいはい。すごいすごい。たいした推理やな」

 銀之丈さんは、パチパチと気のない拍手をしました。縁側に立つわたしを、じっと見下ろしています。
 ひとつひとつの言葉も動作も、ムカつく人です。
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