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一章
1、蔵の中の深雪
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わたし、いつから幽閉されているんでしょう。
今日で何日め? 何か月め? そんなの、わたしが教えてほしいくらいです。
「出してっ。ここから出してくださいっ」
銘仙の着物の袂を乱して、今日も蔵戸を叩きます。
鉄と木でできた戸は厚くて、応える声はありません。
「誰かっ。聞こえませんか?」
どんなに声を張りあげてもダメです。埃と黴がにおう蔵はしんと静まり返るばかり。
「出してって、言ってるのに。なんで誰も応えてくれないんですかっ」
ただ、朱鷺子先生に会いたかっただけなのに。会いに行こうとしただけなのに。
わたし村雨深雪は女学校の四年生で、数えで十六歳。
女学校指定の、裾に袴章のついた紫の袴をはいているのだから。きっと下校時に誘拐されたに違いないわ。
「ああ、外に出たい。そうしたら朱鷺子先生と海辺をそぞろ歩くのに」
そうよ。青々と光る海を眺めながら、レエスの日傘を差すんだわ。
汽車の停車場を降りて、神戸の海岸通りを進むの。
香港上海銀行の壮麗な石造りの建物と、煙突の並ぶジャーデン・マセソン商會。メリケン波止場の前を気取った様子で散策するのよ。
日傘の柄をくるくるとまわして。朱鷺子先生と微笑みあいながら。
「……馬鹿みたい。海岸通りなんて、無理に決まっているのに」
誰も助けに来てくれない。両親は心配しているだろうに。お父さまの顔もお母さまの顔もおぼろげに霞んでしまう。
わたしは女学校でも落ちこぼれだったから、記憶力が悪いんだわ。
その日は夜になっても、不思議と明るいことに気づきました。
見上げると、壁の高い位置にある小さな窓から、檸檬色の光が床にこぼれています。
「きっと満月だわ」
わたしは声を弾ませながら、立ちあがりました。
どうやら窓の戸に隙間があるようです。
あの光の筋を摑めば、外に出られるかもしれない。修道女の先生に教えてもらったヤコブの梯子のように。
天上へ続く日光の梯子があるならば、蔵の外へ出ることのできる月光の梯子だってあるはずよ。
――月の光は黄水晶のようですけれど、まぁるいお月さまは朱欒みたいなんですよ。ね、深雪さん。月光にもお味があるのなら、存外酸っぱいかもしれませんね。
久しく聞いていない朱鷺子先生の声が、耳に届きました。
「先生っ。深雪はここです。助けてください」
会いたい。先生にお会いしたい。
喉から血が出そうなほどに、わたしは叫び続けました。
待っていてもだめ。戸は開くことはない。
わたしは蔵のなかの荷を壁際へと運びました。
どっしりとした長櫃は重くて動きません。柳で編んである行李に、小さな木箱を重ねて。その上に乗ります。
背伸びをして、窓へと手を伸ばします。
あと少し。もう少し。
ぐらつく足場で、草履をはいた足が滑りました。足場にしていた箱が崩れて、私の体は宙へと投げだされます。
「あっ」
落ちる。
嫌よ。助けて、先生。朱鷺子先生っ。深雪を助けてっ。
今日で何日め? 何か月め? そんなの、わたしが教えてほしいくらいです。
「出してっ。ここから出してくださいっ」
銘仙の着物の袂を乱して、今日も蔵戸を叩きます。
鉄と木でできた戸は厚くて、応える声はありません。
「誰かっ。聞こえませんか?」
どんなに声を張りあげてもダメです。埃と黴がにおう蔵はしんと静まり返るばかり。
「出してって、言ってるのに。なんで誰も応えてくれないんですかっ」
ただ、朱鷺子先生に会いたかっただけなのに。会いに行こうとしただけなのに。
わたし村雨深雪は女学校の四年生で、数えで十六歳。
女学校指定の、裾に袴章のついた紫の袴をはいているのだから。きっと下校時に誘拐されたに違いないわ。
「ああ、外に出たい。そうしたら朱鷺子先生と海辺をそぞろ歩くのに」
そうよ。青々と光る海を眺めながら、レエスの日傘を差すんだわ。
汽車の停車場を降りて、神戸の海岸通りを進むの。
香港上海銀行の壮麗な石造りの建物と、煙突の並ぶジャーデン・マセソン商會。メリケン波止場の前を気取った様子で散策するのよ。
日傘の柄をくるくるとまわして。朱鷺子先生と微笑みあいながら。
「……馬鹿みたい。海岸通りなんて、無理に決まっているのに」
誰も助けに来てくれない。両親は心配しているだろうに。お父さまの顔もお母さまの顔もおぼろげに霞んでしまう。
わたしは女学校でも落ちこぼれだったから、記憶力が悪いんだわ。
その日は夜になっても、不思議と明るいことに気づきました。
見上げると、壁の高い位置にある小さな窓から、檸檬色の光が床にこぼれています。
「きっと満月だわ」
わたしは声を弾ませながら、立ちあがりました。
どうやら窓の戸に隙間があるようです。
あの光の筋を摑めば、外に出られるかもしれない。修道女の先生に教えてもらったヤコブの梯子のように。
天上へ続く日光の梯子があるならば、蔵の外へ出ることのできる月光の梯子だってあるはずよ。
――月の光は黄水晶のようですけれど、まぁるいお月さまは朱欒みたいなんですよ。ね、深雪さん。月光にもお味があるのなら、存外酸っぱいかもしれませんね。
久しく聞いていない朱鷺子先生の声が、耳に届きました。
「先生っ。深雪はここです。助けてください」
会いたい。先生にお会いしたい。
喉から血が出そうなほどに、わたしは叫び続けました。
待っていてもだめ。戸は開くことはない。
わたしは蔵のなかの荷を壁際へと運びました。
どっしりとした長櫃は重くて動きません。柳で編んである行李に、小さな木箱を重ねて。その上に乗ります。
背伸びをして、窓へと手を伸ばします。
あと少し。もう少し。
ぐらつく足場で、草履をはいた足が滑りました。足場にしていた箱が崩れて、私の体は宙へと投げだされます。
「あっ」
落ちる。
嫌よ。助けて、先生。朱鷺子先生っ。深雪を助けてっ。
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