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【後日譚】
7、泣いてなどいない
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アルベティーナがゆっくりと瞼を開いた時。今にも泣きそうなイザークの顔が見えた。
眉を下げて、燃えるようだと称される赤い瞳には、涙が滲んでいる。
でも、アルベティーナの意識が戻ったのに気づいた時。泣きそうだったイザークは、本当に涙をぽろぽろと零した。
「まだ出会ってから、二十年も経っていない」
「そうね……ごめんなさい」
炎熱の王と称される彼が、臆面もなく泣くのを見るのは初めてかもしれない。
これまで冬の乙女と別れる時、イザークは涙をこらえていた。別れのつらさ、残される者の寂しさを旅立つ乙女に背負わせないようにする為に。
彼は、ずっと泣くのを我慢していた。
なのに今は水晶の粒のような、綺麗な涙を後から後から溢れさせている。
「泣かないで。ね? わたしは平気なんだから」
「……泣いてない」
「そうね」
ぽろぽろと零れ落ちるイザークの涙が、アルベティーナの手を濡らす。その綺麗な涙は、とても温かい。
「本当に泣いてないからな」
「はいはい」
まるでヨーンが、あなたに叱られた時のような態度よ。
くすっとアルベティーナは、小さく笑った。
まぁ、笑ってしまったせいで体調が完全に戻ってから「どれだけ心配したか分かっているのか」と、延々とお小言を頂く羽目になったのだけれど。
泣き顔を見られた所為で、イザークは唇を不機嫌そうに引き結んでいる。でも、それが強がりなのは、目許がとても嬉しそうに細められているから、すぐに分かってしまう。
「ふふっ」
「だから、笑うなって」
「楽しいの。あなたがいつでも傍にいてくれることが。ね、わたしさっき夢を見ていたの」
すると不思議なことに、イザークが何故か頬を赤らめた。
何も言っていないのに、どうしたのかしら? アルベティーナは訝しんだが、ふいに頭上に何かをかざされた。
緑の葉の匂いがする。それは、かつて神殿の中庭でイザークが編んでくれた花冠と同じものだった。
ああ、だから懐かしい夢を見ていたのね。
急いで編んでくれたのだろう、彼の指は緑に染まっていた。そういえば子どもの時も、わたしを泣かさないように慌てて編んでくれていたわ。
「アルベティーナが何の夢を見ていたか、知っている」
「それって神さまの力?」
「いや。多分、誰でも分かると思うぞ」
少し上体を起こすと、イザークが背中にふんわりした枕を差し入れてくれた。まだ座るのはつらいだろうと、察してくれたようだ。
「どうぞ。我が花嫁」
優しく微笑みながら、イザークがアルベティーナの頭に花冠を載せてくれる。
壁に掛けられた鏡に映ったその姿は、かつて神殿の自室に飛び込んで確認したのと同じだった。
当時の自分は、今のファンヌに近い年齢だったのにと思うと、不思議な感じだ。
「あ、あれな、もう一度言ってくれないか? さっきは焦っていたから、もっとちゃんと聞きたい」
「あれって?」
「ほら、さっき寝言で言っていただろ」
――イザーク好き、大好き。世界で一番好き。
イザークはアルベティーナの耳元に口を寄せると、甘く低い声でそう囁いた。
アルベティーナの顔がみるみる真っ赤になったのは、言うまでもない。
◇◇◇
パドマは貧血に良く効く野草をすり潰したジュース……というか青汁をお盆に載せて寝室を覗いていた。
「まだ中に入っちゃ駄目ですよ」
「えー、なんでぇ? せっかくお母さまが起きたのにぃ」
「う……うぅ。まず……」
文句を言いつつパドマの服を引っ張るファンヌ。そして青汁をこっそりと飲んだせいで、まともに言葉を発することができないヨーンは廊下に突っ伏して呻いている。
「イザークさまは、アルベティーナさまにべた惚れですからね。少しお時間をさしあげましょう」
「ラブラブなの?」
「ら……らぶ、おえぇー」
「それから、後でイザークさまにたんと叱ってもらいましょうね。アルベティーナさまも、そう仰るはずです」
パドマの言葉に、双子は顔を蒼くした。
「言わないもん。お母さま、怒ったりしないもん」
「そうだよ!」
はぁー? とパドマは片方の眉を上げて、口を歪め、双子を見据える。この上もなく凶暴な顔つきだ。
その表情は「あんたたち馬鹿なの?」と言っていた。
言葉にはしなくとも、そう聞こえるのだ。
「パドマの言う通りよ。お母さまが、どれだけ心配したか。分かっているの?」
廊下でそれだけ騒いで、見つからないはずがない。イザークの腕から逃れて、子ども達の元へ行こうとしたアルベティーナだが。そんなことを彼が認めるはずはなかった。
結局、アルベティーナをきゅっと抱きしめつつ、イザークも子ども達に、こんこんとお説教をしたのだ。
パドマは「それ、説得力ないですよ」と呆れ顔だった。
---------------
【完】
眉を下げて、燃えるようだと称される赤い瞳には、涙が滲んでいる。
でも、アルベティーナの意識が戻ったのに気づいた時。泣きそうだったイザークは、本当に涙をぽろぽろと零した。
「まだ出会ってから、二十年も経っていない」
「そうね……ごめんなさい」
炎熱の王と称される彼が、臆面もなく泣くのを見るのは初めてかもしれない。
これまで冬の乙女と別れる時、イザークは涙をこらえていた。別れのつらさ、残される者の寂しさを旅立つ乙女に背負わせないようにする為に。
彼は、ずっと泣くのを我慢していた。
なのに今は水晶の粒のような、綺麗な涙を後から後から溢れさせている。
「泣かないで。ね? わたしは平気なんだから」
「……泣いてない」
「そうね」
ぽろぽろと零れ落ちるイザークの涙が、アルベティーナの手を濡らす。その綺麗な涙は、とても温かい。
「本当に泣いてないからな」
「はいはい」
まるでヨーンが、あなたに叱られた時のような態度よ。
くすっとアルベティーナは、小さく笑った。
まぁ、笑ってしまったせいで体調が完全に戻ってから「どれだけ心配したか分かっているのか」と、延々とお小言を頂く羽目になったのだけれど。
泣き顔を見られた所為で、イザークは唇を不機嫌そうに引き結んでいる。でも、それが強がりなのは、目許がとても嬉しそうに細められているから、すぐに分かってしまう。
「ふふっ」
「だから、笑うなって」
「楽しいの。あなたがいつでも傍にいてくれることが。ね、わたしさっき夢を見ていたの」
すると不思議なことに、イザークが何故か頬を赤らめた。
何も言っていないのに、どうしたのかしら? アルベティーナは訝しんだが、ふいに頭上に何かをかざされた。
緑の葉の匂いがする。それは、かつて神殿の中庭でイザークが編んでくれた花冠と同じものだった。
ああ、だから懐かしい夢を見ていたのね。
急いで編んでくれたのだろう、彼の指は緑に染まっていた。そういえば子どもの時も、わたしを泣かさないように慌てて編んでくれていたわ。
「アルベティーナが何の夢を見ていたか、知っている」
「それって神さまの力?」
「いや。多分、誰でも分かると思うぞ」
少し上体を起こすと、イザークが背中にふんわりした枕を差し入れてくれた。まだ座るのはつらいだろうと、察してくれたようだ。
「どうぞ。我が花嫁」
優しく微笑みながら、イザークがアルベティーナの頭に花冠を載せてくれる。
壁に掛けられた鏡に映ったその姿は、かつて神殿の自室に飛び込んで確認したのと同じだった。
当時の自分は、今のファンヌに近い年齢だったのにと思うと、不思議な感じだ。
「あ、あれな、もう一度言ってくれないか? さっきは焦っていたから、もっとちゃんと聞きたい」
「あれって?」
「ほら、さっき寝言で言っていただろ」
――イザーク好き、大好き。世界で一番好き。
イザークはアルベティーナの耳元に口を寄せると、甘く低い声でそう囁いた。
アルベティーナの顔がみるみる真っ赤になったのは、言うまでもない。
◇◇◇
パドマは貧血に良く効く野草をすり潰したジュース……というか青汁をお盆に載せて寝室を覗いていた。
「まだ中に入っちゃ駄目ですよ」
「えー、なんでぇ? せっかくお母さまが起きたのにぃ」
「う……うぅ。まず……」
文句を言いつつパドマの服を引っ張るファンヌ。そして青汁をこっそりと飲んだせいで、まともに言葉を発することができないヨーンは廊下に突っ伏して呻いている。
「イザークさまは、アルベティーナさまにべた惚れですからね。少しお時間をさしあげましょう」
「ラブラブなの?」
「ら……らぶ、おえぇー」
「それから、後でイザークさまにたんと叱ってもらいましょうね。アルベティーナさまも、そう仰るはずです」
パドマの言葉に、双子は顔を蒼くした。
「言わないもん。お母さま、怒ったりしないもん」
「そうだよ!」
はぁー? とパドマは片方の眉を上げて、口を歪め、双子を見据える。この上もなく凶暴な顔つきだ。
その表情は「あんたたち馬鹿なの?」と言っていた。
言葉にはしなくとも、そう聞こえるのだ。
「パドマの言う通りよ。お母さまが、どれだけ心配したか。分かっているの?」
廊下でそれだけ騒いで、見つからないはずがない。イザークの腕から逃れて、子ども達の元へ行こうとしたアルベティーナだが。そんなことを彼が認めるはずはなかった。
結局、アルベティーナをきゅっと抱きしめつつ、イザークも子ども達に、こんこんとお説教をしたのだ。
パドマは「それ、説得力ないですよ」と呆れ顔だった。
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【完】
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