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【裏視点】
8、愛されたかっただけだ
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そう、人に感謝されるのは本当に気分がいい。そこに私がいることが、認められているのだから。
己の心に満ちていく充足感に、私は自分で扉を開けて控えの間を出て行った。
あれは幾つの頃だったろうか。年齢の記憶が曖昧なのは、覚えていたくもなかったからだろうか。
◇◇◇
その夜、王宮では晩餐会が開かれていた。大勢の使用人が忙しそうに行き交い、私は砂漠狐のぬいぐるみを抱いて、それを呆然と眺めていた。
もう乳母に面倒を見てもらうほど小さくもなかった。
それが災いしたのかもしれない。
喉が痛い。最初はそんな症状だったと思う。早く使用人にそれを伝えれば、良かったのだろうが……生憎と誰もかれもが忙しそうで、気後れしたのかもしれない。
それほどに昔の私は気が弱かった。
窓から見下ろす庭には篝火が灯され、招待客を迎える声が階下から聞こえる。
「いた……っ」
痛みは喉だけではなく、手足や頭にも及んだ。どこもかしこも殴られているかのような、ずきずきと襲ってくる痛み。
それに寒い……いや、熱い。
訳が分からなくなって、私は廊下に頽れた。
使用人の悲鳴が聞こえた気がする。
気がついた時には、私は自室のベッドに寝かされていた。
「お母さまは?」
「大丈夫ですよ、殿下。すぐにお医者さまが来ますからね」
そう答えたのは侍女だった。
「お医者さまじゃなくて、お母さまは?」
上体を起こそうとすると、激しい頭痛がして私は両手で頭を抱えた。
痛い、痛い。私が呼んでいるのに、どうしてお母さまは来てくれないの?
「お母さまを呼んでよぉ。お父さまも呼んできてよぉ」
ひりつく喉で叫んでも、使用人達は困ったように顔を見合わせるだけだ。誰かが扉を開いて、部屋に入ってきた。
その時、耳に入った言葉が今も忘れられない。
「王宮には医者がいるでしょう? つまらないことで呼びつけないでちょうだい」
「ですが妃殿下。ブルーノさまは、危険な状態でいらっしゃるのです」
聞こえてきたのは母上と宰相の声だった。廊下……いや、恐らくは階段の辺りからだろう。
母の訪れの待ち遠しさに、その声を耳が拾ってしまったのかもしれない。奏でられている音楽や、人々のざわめきも聞こえていたはずなのに。
「王太子なら、また産めばいいじゃないの。わたくしは、その為に王に嫁いだんですもの」
「妃殿下、それはあまりな仰りようです。ブルーノさまがお可哀想でいらっしゃいます」
「あら、いいのよ。代わりなんていくらでも出来るわ。どうせ、わたくしも世継ぎを生む道具としか思われていないもの。お互いさまでしょう?」
意味もよく分からなかったのに、母の言葉が息子を否定していると、存在すらもどうでもいいと思っていることは、明確に伝わってきた。
どうして? 私が嫌いなの? こんなにも苦しいのに、顔を見せてもくださらないの?
違う……嫌いになるほど関わってもいない。
私は見えているのに、そこにいない存在なんだ。必要なのはブルーノではなく、王太子という存在だけ。
父上もそうだ。自分の血を引く息子であれば、私でなくとも良いのだ。
「お願いですから、ブルーノさまにお会いになってください。これが今生の別れになるやもしれないんですよ」
こんじょうのわかれ? もう会えないってこと? 私は死んでしまうの?
なのに……それなのに母上は、晩餐会の方が大事なの? 私よりもお客さまが大事なの?
お願いしても、だめなの?
代わりなんて、またできるから?
ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。その度に頭はひどく痛んで、願うことすら無意味なのだと思い知らされた。
「おお、嫌だ。縁起でもない。それとも次に、背に薔薇を抱いた女児でも産めば、陛下はご満足かしら」
姿が見えるわけでもないのに、母上の顔が歪むのがはっきりと分かった。
冬の乙女とは、母上が憎む存在なのだ。私が死んで、冬の乙女が王家に生まれれば父上は満足なさるのだ。
そう、私はいらない子なのだ。王太子という立場を存在させる為だけの入れ物。
寒い……ううん、体が燃えるように熱い。ううん、もうどっちでもいい。考えるだけで頭が割れそうなんだ。せめて母上に手を握ってもらえたら……少しは楽になるかもしれないのに。
苦しいよ、こんなにも苦しいのに。寝返りを打つだけでも、つらくて。なのに手すら握ってもらえないんだ。
王太子さえいれば、よくて。それは私じゃなくても、いいんだ。
その後、快復した私は母上を見ると、瞼が痙攣するようになった。その瞼を手で擦って、ずっと擦って。
それもまた彼女は気に入らなかったのだろう。
何か言われたように思うが、すでに記憶から消えている。私の心が防御したのだろうか。
◇◇◇
憎むべき冬の乙女を妃に迎えろと、父上は仰る。しかも断ることは認めない、と。
「私のことを、ちゃんと見つめてくれるのはサフィアだけだ」
そのサフィアも冬の乙女を憎悪している。母もそうだった。そして私も。
あの娘が存在するからこそ、誰もが不幸になっていくのだ。
許さない、絶対に。
だが、あの娘はこの国になくてはならぬ存在。誰からも必要とされ、さぞや自信満々の高慢な娘だろう。
いっそ命を奪いたいと思っても、それはこの国の生命線を断つこととなる。
ならば生かさず殺さず、苦しめてやる。
誰もお前を害さないのであれば、この私が傷つけてやる。二度と人を信じられぬようになるまで。
己の心に満ちていく充足感に、私は自分で扉を開けて控えの間を出て行った。
あれは幾つの頃だったろうか。年齢の記憶が曖昧なのは、覚えていたくもなかったからだろうか。
◇◇◇
その夜、王宮では晩餐会が開かれていた。大勢の使用人が忙しそうに行き交い、私は砂漠狐のぬいぐるみを抱いて、それを呆然と眺めていた。
もう乳母に面倒を見てもらうほど小さくもなかった。
それが災いしたのかもしれない。
喉が痛い。最初はそんな症状だったと思う。早く使用人にそれを伝えれば、良かったのだろうが……生憎と誰もかれもが忙しそうで、気後れしたのかもしれない。
それほどに昔の私は気が弱かった。
窓から見下ろす庭には篝火が灯され、招待客を迎える声が階下から聞こえる。
「いた……っ」
痛みは喉だけではなく、手足や頭にも及んだ。どこもかしこも殴られているかのような、ずきずきと襲ってくる痛み。
それに寒い……いや、熱い。
訳が分からなくなって、私は廊下に頽れた。
使用人の悲鳴が聞こえた気がする。
気がついた時には、私は自室のベッドに寝かされていた。
「お母さまは?」
「大丈夫ですよ、殿下。すぐにお医者さまが来ますからね」
そう答えたのは侍女だった。
「お医者さまじゃなくて、お母さまは?」
上体を起こそうとすると、激しい頭痛がして私は両手で頭を抱えた。
痛い、痛い。私が呼んでいるのに、どうしてお母さまは来てくれないの?
「お母さまを呼んでよぉ。お父さまも呼んできてよぉ」
ひりつく喉で叫んでも、使用人達は困ったように顔を見合わせるだけだ。誰かが扉を開いて、部屋に入ってきた。
その時、耳に入った言葉が今も忘れられない。
「王宮には医者がいるでしょう? つまらないことで呼びつけないでちょうだい」
「ですが妃殿下。ブルーノさまは、危険な状態でいらっしゃるのです」
聞こえてきたのは母上と宰相の声だった。廊下……いや、恐らくは階段の辺りからだろう。
母の訪れの待ち遠しさに、その声を耳が拾ってしまったのかもしれない。奏でられている音楽や、人々のざわめきも聞こえていたはずなのに。
「王太子なら、また産めばいいじゃないの。わたくしは、その為に王に嫁いだんですもの」
「妃殿下、それはあまりな仰りようです。ブルーノさまがお可哀想でいらっしゃいます」
「あら、いいのよ。代わりなんていくらでも出来るわ。どうせ、わたくしも世継ぎを生む道具としか思われていないもの。お互いさまでしょう?」
意味もよく分からなかったのに、母の言葉が息子を否定していると、存在すらもどうでもいいと思っていることは、明確に伝わってきた。
どうして? 私が嫌いなの? こんなにも苦しいのに、顔を見せてもくださらないの?
違う……嫌いになるほど関わってもいない。
私は見えているのに、そこにいない存在なんだ。必要なのはブルーノではなく、王太子という存在だけ。
父上もそうだ。自分の血を引く息子であれば、私でなくとも良いのだ。
「お願いですから、ブルーノさまにお会いになってください。これが今生の別れになるやもしれないんですよ」
こんじょうのわかれ? もう会えないってこと? 私は死んでしまうの?
なのに……それなのに母上は、晩餐会の方が大事なの? 私よりもお客さまが大事なの?
お願いしても、だめなの?
代わりなんて、またできるから?
ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。その度に頭はひどく痛んで、願うことすら無意味なのだと思い知らされた。
「おお、嫌だ。縁起でもない。それとも次に、背に薔薇を抱いた女児でも産めば、陛下はご満足かしら」
姿が見えるわけでもないのに、母上の顔が歪むのがはっきりと分かった。
冬の乙女とは、母上が憎む存在なのだ。私が死んで、冬の乙女が王家に生まれれば父上は満足なさるのだ。
そう、私はいらない子なのだ。王太子という立場を存在させる為だけの入れ物。
寒い……ううん、体が燃えるように熱い。ううん、もうどっちでもいい。考えるだけで頭が割れそうなんだ。せめて母上に手を握ってもらえたら……少しは楽になるかもしれないのに。
苦しいよ、こんなにも苦しいのに。寝返りを打つだけでも、つらくて。なのに手すら握ってもらえないんだ。
王太子さえいれば、よくて。それは私じゃなくても、いいんだ。
その後、快復した私は母上を見ると、瞼が痙攣するようになった。その瞼を手で擦って、ずっと擦って。
それもまた彼女は気に入らなかったのだろう。
何か言われたように思うが、すでに記憶から消えている。私の心が防御したのだろうか。
◇◇◇
憎むべき冬の乙女を妃に迎えろと、父上は仰る。しかも断ることは認めない、と。
「私のことを、ちゃんと見つめてくれるのはサフィアだけだ」
そのサフィアも冬の乙女を憎悪している。母もそうだった。そして私も。
あの娘が存在するからこそ、誰もが不幸になっていくのだ。
許さない、絶対に。
だが、あの娘はこの国になくてはならぬ存在。誰からも必要とされ、さぞや自信満々の高慢な娘だろう。
いっそ命を奪いたいと思っても、それはこの国の生命線を断つこととなる。
ならば生かさず殺さず、苦しめてやる。
誰もお前を害さないのであれば、この私が傷つけてやる。二度と人を信じられぬようになるまで。
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