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17、内乱*
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イザークとアルベティーナが去ったイルデラ王国は、その後内乱の絶えない国となった。
「王太子を引きずりだせ」
「あいつのせいで、この国から水が消えたんだ。作物が枯れたんだ」
王宮には武器を持った国民が押しかけた。衛兵にいくら攻撃されても、民は諦めることがなかった。
石を投げ、高い塀に梯子をかけてよじ登った。たとえ斬られようとも、愚かな王太子への憎悪が消えることはない。
本当に水が無くなった状態であれば、民もまた動くことなどできはしない。だが、今はまだ運河が涸れきってはいない。食糧も残っている。
彼ら自身は知らぬことだったが、ナツメヤシの木が伐られたことによる糖分の不足と、酒精が切れたことが怒りに火をつけた。
ただでさえ依存性の高い糖と酒だ。
代々の冬の乙女は、ナツメヤシの糖度を高めるための寒暖差を調節していた。
それは初代の乙女から受け継がれる経験と知識。ナツメヤシ農家は、冬の乙女と炎熱の王が与えてくれる水を調節し、さらに品質を高めていった。
その果実からできる蒸留酒は上質で。遥かな昔から、人々はその美酒に耽溺していた。自分達で気づかぬ間に。
本来、砂漠の地では水は貴重であるというのに。二千年にわたり、その水が潤沢であれば、空気と何ら変わらぬ存在となる。
初期の乙女たちは、何度も自問した。
水の少ない周辺国と比べ、自分たちは恵まれていると民は乙女に感謝を捧げている。運河には常に水が溢れているのだから。
だが、その真摯な気持ちは永遠なのか? 人の心は変わるものではないのか?
恵まれた生活に慣れてしまえば、水を管理する神と乙女は、いずれ軽んじられる。
ならば、その時が来たならば、水を奪えばいい。誰がこの国の生命線を握っているのか、生殺与奪の権を握っているのが誰であるのか、思い知らせてやればいい。
無論、初期の乙女たちは、その日を望んでいたわけではない。だが、終わりの日は、確かに来てしまった。
◇◇◇
分厚いカーテンを引いた窓に背を向けて、ブルーノは身を震わせていた。
「陛下は? 父上は、どうなさったのだ」
掠れる声で宰相に問いかけるブルーノだったが、その宰相が王の自室の扉を開いたことで絶句した。
両親の足が、目の前にぶら下がっていたからだ。怒声を伴った風が窓から流れ込み、母の……王妃のドレスの裾をなびかせる。
「陛下は、民の怒りを静め、冬の乙女を呼び戻すにと仰っていました。殿下に己の過ちを民に詫びるように……と」
「馬鹿なっ」
ブルーノは声の限りに叫んでいた。
「死んでどうなるのだ。へ、陛下がしっかりしていれば、この国は以前と同じように……」
「本当にそうお思いですか? 殿下」
がらんとした王宮に人の気配はない。すでに側近や大臣たちは逃げた後なのだろう。
王と王太子を残して。
なんという国だ。腐敗しきっている。国を支えるべき立場の者が、率先して逃亡するなど有り得ない。王族に対する忠誠心は微塵もないのか。
自分もまた同じであることに、ブルーノは未だ気づいていない。己だけは高潔であると、誤認したままだ。
「ああ分かったさ、贖罪すればいいのだろう? そうすれば、皆、気が済むのだろう?」
口惜しいが、謝ってやるさ。王太子である私が頭を下げれば、愚民どもは感動に打ち震えるだろうさ。
王太子は、なんと真摯な心の持ち主なのだろう、と。
サフィアを妃に迎え、また国を建て直せばよい。まだ山には氷河がある。水ならばいくらでも。
そう考えてぞっとした。
「サフィアは……どうした?」
「今は、そんなことに気を配る場合ではないでしょうに。何が一番大事なのか、まだお分かりにならないのですか」
「民の怒りが、サフィアにまで向けられたらどうするんだ」
ブルーノの声は掠れていた。
分かっている。宰相の苦言は分かっているんだ。これまで馬鹿にして、聞きもしなかったが。
もう後などないのだ。未来など、何処を探しても存在しないのだ。
「王太子を引きずりだせ」
「あいつのせいで、この国から水が消えたんだ。作物が枯れたんだ」
王宮には武器を持った国民が押しかけた。衛兵にいくら攻撃されても、民は諦めることがなかった。
石を投げ、高い塀に梯子をかけてよじ登った。たとえ斬られようとも、愚かな王太子への憎悪が消えることはない。
本当に水が無くなった状態であれば、民もまた動くことなどできはしない。だが、今はまだ運河が涸れきってはいない。食糧も残っている。
彼ら自身は知らぬことだったが、ナツメヤシの木が伐られたことによる糖分の不足と、酒精が切れたことが怒りに火をつけた。
ただでさえ依存性の高い糖と酒だ。
代々の冬の乙女は、ナツメヤシの糖度を高めるための寒暖差を調節していた。
それは初代の乙女から受け継がれる経験と知識。ナツメヤシ農家は、冬の乙女と炎熱の王が与えてくれる水を調節し、さらに品質を高めていった。
その果実からできる蒸留酒は上質で。遥かな昔から、人々はその美酒に耽溺していた。自分達で気づかぬ間に。
本来、砂漠の地では水は貴重であるというのに。二千年にわたり、その水が潤沢であれば、空気と何ら変わらぬ存在となる。
初期の乙女たちは、何度も自問した。
水の少ない周辺国と比べ、自分たちは恵まれていると民は乙女に感謝を捧げている。運河には常に水が溢れているのだから。
だが、その真摯な気持ちは永遠なのか? 人の心は変わるものではないのか?
恵まれた生活に慣れてしまえば、水を管理する神と乙女は、いずれ軽んじられる。
ならば、その時が来たならば、水を奪えばいい。誰がこの国の生命線を握っているのか、生殺与奪の権を握っているのが誰であるのか、思い知らせてやればいい。
無論、初期の乙女たちは、その日を望んでいたわけではない。だが、終わりの日は、確かに来てしまった。
◇◇◇
分厚いカーテンを引いた窓に背を向けて、ブルーノは身を震わせていた。
「陛下は? 父上は、どうなさったのだ」
掠れる声で宰相に問いかけるブルーノだったが、その宰相が王の自室の扉を開いたことで絶句した。
両親の足が、目の前にぶら下がっていたからだ。怒声を伴った風が窓から流れ込み、母の……王妃のドレスの裾をなびかせる。
「陛下は、民の怒りを静め、冬の乙女を呼び戻すにと仰っていました。殿下に己の過ちを民に詫びるように……と」
「馬鹿なっ」
ブルーノは声の限りに叫んでいた。
「死んでどうなるのだ。へ、陛下がしっかりしていれば、この国は以前と同じように……」
「本当にそうお思いですか? 殿下」
がらんとした王宮に人の気配はない。すでに側近や大臣たちは逃げた後なのだろう。
王と王太子を残して。
なんという国だ。腐敗しきっている。国を支えるべき立場の者が、率先して逃亡するなど有り得ない。王族に対する忠誠心は微塵もないのか。
自分もまた同じであることに、ブルーノは未だ気づいていない。己だけは高潔であると、誤認したままだ。
「ああ分かったさ、贖罪すればいいのだろう? そうすれば、皆、気が済むのだろう?」
口惜しいが、謝ってやるさ。王太子である私が頭を下げれば、愚民どもは感動に打ち震えるだろうさ。
王太子は、なんと真摯な心の持ち主なのだろう、と。
サフィアを妃に迎え、また国を建て直せばよい。まだ山には氷河がある。水ならばいくらでも。
そう考えてぞっとした。
「サフィアは……どうした?」
「今は、そんなことに気を配る場合ではないでしょうに。何が一番大事なのか、まだお分かりにならないのですか」
「民の怒りが、サフィアにまで向けられたらどうするんだ」
ブルーノの声は掠れていた。
分かっている。宰相の苦言は分かっているんだ。これまで馬鹿にして、聞きもしなかったが。
もう後などないのだ。未来など、何処を探しても存在しないのだ。
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