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10、侯爵家で

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 エレオノーラが嫁いで、ふたつきが過ぎた。
 ユーゲンホルムは夏の盛りで、海を見下ろす高台にあるシルヴァ侯爵家の庭は花であふれている。

 ゴールデンシャワーと呼ばれる黄色い花が、まるで降りしきる雨のように頭上を覆う。その木の下に、子ども用のすべり台が設置されている。

 最近ユーゲンホルムで発明された遊具らしい。高さはオリヴェルの肩くらいだ。

「わざわざ高いところから、滑り落ちるのですか」

 エレオノーラは、日光を反射する銀の滑り面に手で触れた。午後の光に照らされて、てのひらがじんわりと温かい。

「見ててね、おとーさま、おかーさま」

 小さなはしごを昇り、てっぺんでラウラが両手を上げた。

 嫁いですぐに、ラウラはエレオノーラのことを「おかあさま」と呼んでくれた。そう呼ばれるたびに、胸の奥にも陽が射しこむような心地がした。

 再婚ということもあり、ほとんど参列者のいない結婚式だった。
 でも、それがエレオノーラにはありがたかった。きっとオリヴェルも、彼女の境遇を考えての式だったのだろう。

「ラウラはゆうかんなので、てをはなしてすべります」
「無理はしなくていいぞ。ちゃんと手すりを持ちなさい」
「そうよ、ラウラ。ゆっくりでいいのよ」

 オリヴェルとエレオノーラがおろおろと声をかける。けれど、ラウラは自信満々なのか、今度は腕を組んでいる。

「それじゃあ、いくよ」

 木々の間を吹き抜ける風が、ゴールデンシャワーの花房を揺らし。ラウラの紺色のワンピースの裾をひるがえした。
 その時、初めてラウラは下を見たのだろう。得意げだった表情に影がさした。

「……こわい」

 ぽつりとこぼした声は、あまりにも小さくて。吞気に飛ぶ白い蝶が、気にもせずにラウラの前を横切った。

「たかいよぉ。こわいよぉ」
「大丈夫だから、ラウラ。ちゃんと手すりを持てば問題ない」
「ゆっくりなら、怖くないですよ。ちゃんと涙を拭いて、まずはそこから動かないで」

 うっうっ、とラウラは嗚咽を洩らしている。

「だって、たかいんだもん」

(無理もないわ。滑り台なんて遊具は、ラウラさんも初めてでしょうし、高さもあります)

 唇を噛みしめて、ぽろぽろと涙をこぼすラウラを見ているのはつらい。

「ラウラ。座ってごらん」

 オリヴェルが声を張りあげた。

「私とエレオノーラで、ラウラの手をつなぐから。そうすれば、怖くないぞ」
「ほんとうに?」

 答えるラウラの声は震えている。父の言葉を信じてはいるが、慣れぬ高さに動く勇気が出ないようだ。

(そうだわ)
 エレオノーラは閃いた。

「ラウラ。これを巻いてもいいですか? 勇気の出るお守りですよ」

 母の形見であるリボンを、エレオノーラは取りだした。義妹のダニエラが、ずっとしまいこんでいたからだろう。十年以上経っても、リボンも刺繍されたスズランもスミレの花も色あせずにいる。
 ラウラのほそい手首に、エレオノーラはリボンを結んだ。

「かわいい」

 ぽつりとラウラが呟いた。
 布や糸を売る店でも、かわいさに惹かれて迷子になったほどだ。きっと気を逸らすことができる。
 エレオノーラの読みは当たった。

「わたしは、ラウラの左手をつなぎますね。オリヴェルさんが、右手をつないでくれますよ。だから、まずは座ってくださいね」
「わかった。ぜったいにはなしちゃダメだよ」

 ラウラは、滑り台のてっぺんですとんと座った。

「ええ、離しませんよ。しっかり握っていてくださいね」
「さぁ、行くぞ。ラウラ、少し前に進んでごらん」
「うんっ」

 大好きな両親二人に手をつながれて、ラウラは滑った。とてもゆっくりと。
 風がラウラのはちみつ色の髪を撫でる。上にゆっくりと流れていく庭の景色を、ラウラは目を輝かせて見ていた。
 涙の名残で、緑の瞳がきらきらと光っている。

「もっとすべってもいい?」
「もちろんだ」

 オリヴェルは満面の笑みで答えた。 
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