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16、新たな契約
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「大丈夫です。国を離れていても、タイメラに力を送ることはできます」
テレーシアは陽光の精霊の手を取った。
向かい合い、互いに両手を握りしめて瞼を閉じる。
「寒冷の聖女テレーシアの名において、陽光の精霊を我が友とする」
水晶のかけらに似た氷が散った。
氷の粒は光を宿して煌めきながら、テレーシアと精霊を取り巻く。
これまで知らなかった精霊の名が脳裏をよぎった。
「我と共に生きるは氷の精霊イングリッド。そして陽光の精霊……ルシア」
ぴしり、と音がした。
氷の粒が宙で集まる。テレーシアとイングリッド、ルシアの間に氷の円が生じた。
氷には荒れ地となったタイメラが映っていた。
草も木も枯れはて、川は干上がり地面にはひび割れが生じている。ぎらぎらと照りつける太陽は容赦なく、人の姿も見えない。
ビリエルの暮らす王宮の門は、破壊されていた。
氷鏡の映す場所が変わる。テレーシアが火にかけられた刑場には、大量の花が供えられていた。どれも乾燥して茶色く萎れてしまっているが。百合や薔薇であったことが分かる。
『みんな、テレーシアのことを忘れてなかったんだよ。魔女だって疑ってもなかったんだよ』
「ええ」
しんみりと話すイングリッドに、テレーシアは返事する。
パウラの養父である男爵の屋敷も、まるで廃墟だった。民が苛立ちをぶつけたのだろう。窓ガラスはどれも割られてしまっている。
――暑熱の聖女を、男爵を、王太子を幽閉しろ。
――元凶の奴らを追放しろ。
街のあちこちに殴り書きが残っていた。乾ききった風にさらされ、色は褪せてしまっているが。ビリエルもパウラも男爵も。たとえタイメラが元の美しい国に戻っても、彼らの居場所はもうどこにもない。
テレーシアと二人の精霊は、氷に手をのせる。
「偉大なる氷の精霊イングリッド、赫奕たる陽光の精霊ルシア。我が力、我が望みとなりて、清冽なる雨をかの地に降らせよ」
澄んだ氷の鏡のその向こう。乾ききった大地に、ぽつんと濃い色が染みた。
力なくしゃがみこんでいた瘦せこけた人たちが、空を見あげる。
雲一つなかったはずの、陽射しの眩しさに白く見えるほどの空に、雲が流れてくる。
さぁぁ、と雨が降った。霧のように、そしてすべてを潤す慈雨となる。
――テレーシアさまは、タイメラをお見捨てにならなかった。
声が聞こえた気がした。
雨は静かに降り続いた。
務めを終えたテレーシアは、疲れて居間のソファーの肘掛けにもたれかかっていた。
両腕を枕代わりにして、静かに目を閉じている。
「無理もない。ふたりの精霊を従えて、遠隔で雨を降らせたんだ」
「いえ、大丈夫です」
立ちあがろうとしたテレーシアは眩暈を覚えた。アルフォンスがすぐに体を支えてくれる。
再び腰を下ろしたテレーシアの顔を、イングリッドとルシアが心配そうに覗きこんでいた。
「聖女の力を揮うと、体力が削がれるのだな。まずは食事をとりなさい」
「ありがとうございます」
ローテーブルに運ばれてきた木のトレイには、薄く切ったライ麦パンにそれぞれチーズとハムをのせたもの、酸味のあるキャベツの入った皿、香味野菜のたっぷり入ったクリームスープが置かれていた。それに爽やかな緑のブドウも。
ソファーに上体を起こした姿勢で、テレーシアは食事をとる。
けれど視線が気になってしょうがない。
アルフォンスとイングリッド、それにルシアがじーっとテレーシアを見つめていた。
顔に穴が空くんじゃないかと思えるほどに、視線が集中する。
スプーンですくったスープを口にふくむと、皆が嬉しそうに微笑むのが気恥ずかしい。
少し酸味のあるパンには、たっぷりとバターが塗られていた。塩味のきいた厚めのハムとよく合って、とてもおいしい。
「テレーシア。あなたとは形の上だけでの結婚という状態だが」
ほとんど食事を終えた頃に、アルフォンスが話をした。
「これからもストランドに残ってくれるのであれば、本当に俺と結婚してくれないか?」
「わたくしでよろしいんですか?」
「俺は、あなたでなければ誰とも結婚をするつもりはない」
長い指が、テレーシアの頬に触れた。
「わたくしも同じです。アルフォンスさま以外の人は、考えられません」
「もう『さま』はいらないよ。俺はテレーシアの夫になるのだから」
「えっと、その……アルフォンス」
もう無理、とテレーシアは思った。
彼に愛を告白するよりも、どうして名前を呼ぶ方が緊張するのか分からない。両手で顔を隠すと、ブドウの香りが微かにした。
「だめだよ。ちゃんと俺に顔を見せてくれないと」
低くて甘い声が、耳をくすぐる。
「……はい」
返事はしても、両手を顔から外すことができない。
『あたしもテレーシアの顔がみたーい』
『わたしもです』
アルフォンスとイングリッド、ルシアに愛されて。テレーシアはもうどうしてよいのか、分からなくなった。
(了)
テレーシアは陽光の精霊の手を取った。
向かい合い、互いに両手を握りしめて瞼を閉じる。
「寒冷の聖女テレーシアの名において、陽光の精霊を我が友とする」
水晶のかけらに似た氷が散った。
氷の粒は光を宿して煌めきながら、テレーシアと精霊を取り巻く。
これまで知らなかった精霊の名が脳裏をよぎった。
「我と共に生きるは氷の精霊イングリッド。そして陽光の精霊……ルシア」
ぴしり、と音がした。
氷の粒が宙で集まる。テレーシアとイングリッド、ルシアの間に氷の円が生じた。
氷には荒れ地となったタイメラが映っていた。
草も木も枯れはて、川は干上がり地面にはひび割れが生じている。ぎらぎらと照りつける太陽は容赦なく、人の姿も見えない。
ビリエルの暮らす王宮の門は、破壊されていた。
氷鏡の映す場所が変わる。テレーシアが火にかけられた刑場には、大量の花が供えられていた。どれも乾燥して茶色く萎れてしまっているが。百合や薔薇であったことが分かる。
『みんな、テレーシアのことを忘れてなかったんだよ。魔女だって疑ってもなかったんだよ』
「ええ」
しんみりと話すイングリッドに、テレーシアは返事する。
パウラの養父である男爵の屋敷も、まるで廃墟だった。民が苛立ちをぶつけたのだろう。窓ガラスはどれも割られてしまっている。
――暑熱の聖女を、男爵を、王太子を幽閉しろ。
――元凶の奴らを追放しろ。
街のあちこちに殴り書きが残っていた。乾ききった風にさらされ、色は褪せてしまっているが。ビリエルもパウラも男爵も。たとえタイメラが元の美しい国に戻っても、彼らの居場所はもうどこにもない。
テレーシアと二人の精霊は、氷に手をのせる。
「偉大なる氷の精霊イングリッド、赫奕たる陽光の精霊ルシア。我が力、我が望みとなりて、清冽なる雨をかの地に降らせよ」
澄んだ氷の鏡のその向こう。乾ききった大地に、ぽつんと濃い色が染みた。
力なくしゃがみこんでいた瘦せこけた人たちが、空を見あげる。
雲一つなかったはずの、陽射しの眩しさに白く見えるほどの空に、雲が流れてくる。
さぁぁ、と雨が降った。霧のように、そしてすべてを潤す慈雨となる。
――テレーシアさまは、タイメラをお見捨てにならなかった。
声が聞こえた気がした。
雨は静かに降り続いた。
務めを終えたテレーシアは、疲れて居間のソファーの肘掛けにもたれかかっていた。
両腕を枕代わりにして、静かに目を閉じている。
「無理もない。ふたりの精霊を従えて、遠隔で雨を降らせたんだ」
「いえ、大丈夫です」
立ちあがろうとしたテレーシアは眩暈を覚えた。アルフォンスがすぐに体を支えてくれる。
再び腰を下ろしたテレーシアの顔を、イングリッドとルシアが心配そうに覗きこんでいた。
「聖女の力を揮うと、体力が削がれるのだな。まずは食事をとりなさい」
「ありがとうございます」
ローテーブルに運ばれてきた木のトレイには、薄く切ったライ麦パンにそれぞれチーズとハムをのせたもの、酸味のあるキャベツの入った皿、香味野菜のたっぷり入ったクリームスープが置かれていた。それに爽やかな緑のブドウも。
ソファーに上体を起こした姿勢で、テレーシアは食事をとる。
けれど視線が気になってしょうがない。
アルフォンスとイングリッド、それにルシアがじーっとテレーシアを見つめていた。
顔に穴が空くんじゃないかと思えるほどに、視線が集中する。
スプーンですくったスープを口にふくむと、皆が嬉しそうに微笑むのが気恥ずかしい。
少し酸味のあるパンには、たっぷりとバターが塗られていた。塩味のきいた厚めのハムとよく合って、とてもおいしい。
「テレーシア。あなたとは形の上だけでの結婚という状態だが」
ほとんど食事を終えた頃に、アルフォンスが話をした。
「これからもストランドに残ってくれるのであれば、本当に俺と結婚してくれないか?」
「わたくしでよろしいんですか?」
「俺は、あなたでなければ誰とも結婚をするつもりはない」
長い指が、テレーシアの頬に触れた。
「わたくしも同じです。アルフォンスさま以外の人は、考えられません」
「もう『さま』はいらないよ。俺はテレーシアの夫になるのだから」
「えっと、その……アルフォンス」
もう無理、とテレーシアは思った。
彼に愛を告白するよりも、どうして名前を呼ぶ方が緊張するのか分からない。両手で顔を隠すと、ブドウの香りが微かにした。
「だめだよ。ちゃんと俺に顔を見せてくれないと」
低くて甘い声が、耳をくすぐる。
「……はい」
返事はしても、両手を顔から外すことができない。
『あたしもテレーシアの顔がみたーい』
『わたしもです』
アルフォンスとイングリッド、ルシアに愛されて。テレーシアはもうどうしてよいのか、分からなくなった。
(了)
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