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15、抱きしめられて

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「遅くなってすまない。テレーシア」

 地面に突き飛ばされたテレーシアに、アルフォンスが手をさしのべる。
 立ちあがろうとしたテレーシアの足首に、痛みが走った。

「うっ」
「くじいたのか。痛かったな」
「ありがとうございます。お仕事中でしたのに。アルフォンスさまが助けてくださったから、この程度で済みました」

 パウラはテレーシアの首を絞めようとしていた。今度こそ、自分の手で確実に邪魔者を殺そうとして。

「イングリッドを騎士館によこしてくれて良かった。副団長に後は任せているから気にしなくていい」

 長くてたくましい両腕が伸ばされると、テレーシアを腕の中に閉じ込めた。

(え? わたくし、抱きしめられているの?)

 ふわりと漂うのは、石鹸の匂いだった。テレーシアもアルフォンスと同じ石鹸を使っているので香りが一緒だからなのか、それとも相手がアルフォンスだからなのか。とても安心できた。
 テレーシアはアルフォンスの胸に顔をうずめた。

「……ほんとうは怖かったんです」
「そうだな」
「あなたが来てくださらなかったと思うと、今も怖くて」

 騎士服にしがみつくテレーシアの手の震えが止まらない。アルフォンスはそれを見て、目を細めた。

「大丈夫だ。あなたには俺がいる。それにイングリッドも」
「……はい」

 本当はすぐにでもテレーシアに抱きつきたかったであろうイングリッドが、おとなしく順番を待っている。

『あんたも名前がいるわよね』

 隣に立つ陽光の精霊に、イングリッドは声をかけた。その言葉の意味することを察したのだろう。陽光の精霊が大きく目を見開いた。

「イングリッド。ありがとう」

 立ちあがったテレーシアが、イングリッドに手をさしのべる。イングリッドの瞳から、ぼろぼろと氷の涙がこぼれ落ちた。

『間に合わなかったら、どうしようかと思った』
「間に合ったわ。あなたのおかげよ」
『あたし、テレーシアの傍を離れるなんて、はじめてだもの。それも、いちばんテレーシアが危ない時にだもの。ほんとにほんとに怖かったんだからぁ』

 さっきまで陽光の精霊に対して冷静に接していたイングリッドは消えた。いつもの幼く甘えん坊な精霊が、テレーシアに抱きついてくる。
 澄んで涼しいイングリッドの髪を、テレーシアは撫でた。とても優しく。

「わたくしの精霊は、ほんとうに泣き虫ね」
『泣いてないもん。あたしはしっかりしてるもん』
「そうね」

 さっきまでの嵐のような時間が嘘のように庭は静かだ。
 白い蝶が芍薬に止まると、ふわりと淡いピンクの花びらがこぼれ落ちた。

「イングリッド。あの子に名前を与えてもいいのね?」

 テレーシアに問われて、こくりとイングリッドはうなずいた。

『見捨てられないよ。あたしはそんな目に遭ったことないけど。聖女が必ずしも善人とは限らないもん。実際、パウラはそうだもん』

 イングリッドはテレーシアから離れた。名残惜しそうに、透明な指がテレーシアの服を一度つかんで、ゆっくりと放す。

「こちらへいらっしゃい」

 テレーシアが、陽光の精霊に手をさしのべる。けれど、精霊はなかなか前に進むことができない。

『恐れ多いことです。わたしは命じられたとはいえ、テレーシアさまの火刑に加担しました。許されることではないと存じております』
「いいえ」

 テレーシアは首をふった。

「あなたは、パウラが火をつけるのを何度も止めてくれたわ。そうでしょう?」
『……はい』
「これまでつらかったわね。わたくしもタイメラの民を見捨てることはできないの。きっとあなたと同じね」

 陽光の精霊は、両手で顔を覆った。小刻みに肩を震わせながらも、滅びに向かっている故郷を思う気持ちはあまりにも健気で。放っておくことはできなかった。

「騎士団で話を聞いたのだが」

 アルフォンスが言葉を挟んだ。

「ビリエル殿下が、王位継承権を剥奪されたらしい。早馬での知らせが入ったそうだ」
「そうなんですか」
「ああ。だから……その、テレーシアの身はもう危なくないと思うのだが。その」

 アルフォンスらしくなく、歯切れの悪い口調だった。
 強く瞼を閉じて、何かを決心したかのように目を開いてテレーシアを見つめる。

「タイメラに帰国することも可能だが。俺は、あなたにはストランドに、いや、俺の傍にいてほしい」
「アルフォンスさま」

「いや、聖女として水が枯渇したタイメラを救いたいのは当然だし、放っておけないのも理解しているのだが」

 アルフォンスに初めて我儘を言われ。それが自分に愛情を抱いてくれているからだと知ったテレーシアは、頬が熱くなるのを感じた。
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