6 / 16
6、契約結婚
しおりを挟む
「しかし困ったな」
テレーシアとイングリッドを眺めながら、アルフォンスは呟いた。
黒い犬は行儀よく、アルフォンスの側に控えている。騎士団に所属する犬とのことだ。
「騎士団長としては、隣国の聖女であるあなたを王宮に預けて、陛下の判断を仰がねばならない。あまりにも凄惨な刑を受けたらしいな。タイメラを訪れていた者がこのストランドまで馬を駆けさせ、一気に噂が広まったのだが」」
草の上に座ったテレーシアは、こくりとうなずいた。
腕の中に抱きしめたイングリッドは、疲れのためか眠ってしまっている。
「外交を考えれば、陛下はあなたをタイメラ王国に引き渡すだろう」
イングリッドが起きていなくてよかった、とテレーシアは思う。
たとえ保護されても故郷に戻されるのであれば、イングリッドが逃がしてくれた意味がない。
ビリエル殿下……いや、あんな輩に敬称などもう不要。ビリエルとパウラには二度と会いたくはない。
あんな男がいずれ国王になるなど、許せない。自分を陥れたパウラが、大きな顔をして聖女として崇められるなど認めたくもない。
(けれど今のわたくしには、なんの力もないわ。それにタイメラの地は二度と踏みたくはありません)
己の激情を静めるために、テレーシアは深呼吸した。
「刑は執行されたからもう罪には問われないといっても、王や王子はあなたを軟禁するだろうな」
「わたくしのことは忘れていただけませんか」
きっと無理だろうと思いながらも、テレーシアはアルフォンスを見上げた。
話の通じそうな人ではある。けれど騎士団長という身分である以上、期待はできない。
偶然出会った見ず知らずの異国の聖女の頼みなど、国王陛下への忠誠とは比べるまでもない。
アルフォンスは瞼を閉じた。
静かな佇まいの人だった。もし自分が冤罪をかけられた聖女でなければ、彼に迷惑をかけることもないのに、とテレーシアは胸が痛んだ。
「どうかしたのか? 肺か心臓が痛むのか?」
「え? いえ。そういうわけでは」
「火刑などという恐ろしい刑は、話でしか聞いたことがないが。熱い煙を吸ったのであれば、体内も蝕まれるのではないか? ほら、傷もあるし、火傷もしているではないか」
大きな手が、テレーシアの手首に触れる。ひんやりとした心地よい手だった。
テレーシアの縄で縛られていた部分は血が滲んでおり、それ以外の腕は火傷で赤くなっている。
「失礼するよ」
アルフォンスが低い声で囁いたと思うと、テレーシアの体がぐいっと持ちあげられた。
眠るイングリッドごと、テレーシアは横抱きにされている。
「……っ」
突然のことに、声が出なかった。
アルフォンスの整った顔が、間近にある。
「この森の中なら、誰にも聞かれない。だから森を出るまでに、俺の提案に返事をしてくれ」
「どのような?」
「人として、怪我を負った女性を見捨てることはできない。だが、騎士団長という立場では、隣国の聖女を見逃すことはできない」
思ったとおりだ。こくりとテレーシアはうなずいた。
「あなたを保護しても、それは一時だけのことになる。だから、聖女という身分を伏せて……だな」
「わたくしは、ふつうの女性としてふるまえばよろしいのでしょうか」
アルフォンスの瞳に、訝しげに問いかけるテレーシアの顔が映っている。
「まぁ、無理だな」
「世間知らずなのは認めますけど」
即座に否定されては、さすがに面白くない。テレーシアは、彼のフォレストグリーンの美しい瞳から目を逸らした。
「いや、その。そういうつもりではなくて」
「では、どういうおつもりですか?」
凛とした騎士団長が慌てるさまが、可愛らしいなんて言ったら怒られるだろうか。
(可愛らしい? わたくし、この方を可愛いって思ったの? 殿方でいらっしゃるのに。こんなにもがっしりとして威厳があるのに)
自分の中に泡のように浮かんできた感情に、テレーシアは戸惑った。胸元では、変わらずにイングリッドが眠っている。
イングリッドに感じるのも「可愛い」という気持ちなのだが。アルフォンスに対しての「可愛い」とは、似て非なるもののようにも感じる。
うまく説明はできないけれど。
「俺の家族ということにすれば、誰も手出しはできない。そう、聖女とばれても、だ」
(家族。それはこの方の妹ということでしょうか)
隣接するタイメラとストランドの国は、言葉は似通っているが民族が少し異なる。
考えすぎるクセのあるテレーシアは「民族が違うのだから、異母兄妹ということにするのかしら」とか「黒髪の兄と銀髪の妹は、さすがに無理があるのではないかしら」と首を傾げた。
「言いづらいから、一気に言うぞ」
「は、はい」
アルフォンスの気迫に気おされた。
「俺の花嫁ということで手を打たないか」
「はなよめ?」
「妻だ」
念を押されて、テレーシアは「えぇっ」と彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なに、どうしたの?」と、イングリッドがまだ眠そうなまぶたを開く。
テレーシアとイングリッドを眺めながら、アルフォンスは呟いた。
黒い犬は行儀よく、アルフォンスの側に控えている。騎士団に所属する犬とのことだ。
「騎士団長としては、隣国の聖女であるあなたを王宮に預けて、陛下の判断を仰がねばならない。あまりにも凄惨な刑を受けたらしいな。タイメラを訪れていた者がこのストランドまで馬を駆けさせ、一気に噂が広まったのだが」」
草の上に座ったテレーシアは、こくりとうなずいた。
腕の中に抱きしめたイングリッドは、疲れのためか眠ってしまっている。
「外交を考えれば、陛下はあなたをタイメラ王国に引き渡すだろう」
イングリッドが起きていなくてよかった、とテレーシアは思う。
たとえ保護されても故郷に戻されるのであれば、イングリッドが逃がしてくれた意味がない。
ビリエル殿下……いや、あんな輩に敬称などもう不要。ビリエルとパウラには二度と会いたくはない。
あんな男がいずれ国王になるなど、許せない。自分を陥れたパウラが、大きな顔をして聖女として崇められるなど認めたくもない。
(けれど今のわたくしには、なんの力もないわ。それにタイメラの地は二度と踏みたくはありません)
己の激情を静めるために、テレーシアは深呼吸した。
「刑は執行されたからもう罪には問われないといっても、王や王子はあなたを軟禁するだろうな」
「わたくしのことは忘れていただけませんか」
きっと無理だろうと思いながらも、テレーシアはアルフォンスを見上げた。
話の通じそうな人ではある。けれど騎士団長という身分である以上、期待はできない。
偶然出会った見ず知らずの異国の聖女の頼みなど、国王陛下への忠誠とは比べるまでもない。
アルフォンスは瞼を閉じた。
静かな佇まいの人だった。もし自分が冤罪をかけられた聖女でなければ、彼に迷惑をかけることもないのに、とテレーシアは胸が痛んだ。
「どうかしたのか? 肺か心臓が痛むのか?」
「え? いえ。そういうわけでは」
「火刑などという恐ろしい刑は、話でしか聞いたことがないが。熱い煙を吸ったのであれば、体内も蝕まれるのではないか? ほら、傷もあるし、火傷もしているではないか」
大きな手が、テレーシアの手首に触れる。ひんやりとした心地よい手だった。
テレーシアの縄で縛られていた部分は血が滲んでおり、それ以外の腕は火傷で赤くなっている。
「失礼するよ」
アルフォンスが低い声で囁いたと思うと、テレーシアの体がぐいっと持ちあげられた。
眠るイングリッドごと、テレーシアは横抱きにされている。
「……っ」
突然のことに、声が出なかった。
アルフォンスの整った顔が、間近にある。
「この森の中なら、誰にも聞かれない。だから森を出るまでに、俺の提案に返事をしてくれ」
「どのような?」
「人として、怪我を負った女性を見捨てることはできない。だが、騎士団長という立場では、隣国の聖女を見逃すことはできない」
思ったとおりだ。こくりとテレーシアはうなずいた。
「あなたを保護しても、それは一時だけのことになる。だから、聖女という身分を伏せて……だな」
「わたくしは、ふつうの女性としてふるまえばよろしいのでしょうか」
アルフォンスの瞳に、訝しげに問いかけるテレーシアの顔が映っている。
「まぁ、無理だな」
「世間知らずなのは認めますけど」
即座に否定されては、さすがに面白くない。テレーシアは、彼のフォレストグリーンの美しい瞳から目を逸らした。
「いや、その。そういうつもりではなくて」
「では、どういうおつもりですか?」
凛とした騎士団長が慌てるさまが、可愛らしいなんて言ったら怒られるだろうか。
(可愛らしい? わたくし、この方を可愛いって思ったの? 殿方でいらっしゃるのに。こんなにもがっしりとして威厳があるのに)
自分の中に泡のように浮かんできた感情に、テレーシアは戸惑った。胸元では、変わらずにイングリッドが眠っている。
イングリッドに感じるのも「可愛い」という気持ちなのだが。アルフォンスに対しての「可愛い」とは、似て非なるもののようにも感じる。
うまく説明はできないけれど。
「俺の家族ということにすれば、誰も手出しはできない。そう、聖女とばれても、だ」
(家族。それはこの方の妹ということでしょうか)
隣接するタイメラとストランドの国は、言葉は似通っているが民族が少し異なる。
考えすぎるクセのあるテレーシアは「民族が違うのだから、異母兄妹ということにするのかしら」とか「黒髪の兄と銀髪の妹は、さすがに無理があるのではないかしら」と首を傾げた。
「言いづらいから、一気に言うぞ」
「は、はい」
アルフォンスの気迫に気おされた。
「俺の花嫁ということで手を打たないか」
「はなよめ?」
「妻だ」
念を押されて、テレーシアは「えぇっ」と彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なに、どうしたの?」と、イングリッドがまだ眠そうなまぶたを開く。
1
お気に入りに追加
1,099
あなたにおすすめの小説
聖女としてきたはずが要らないと言われてしまったため、異世界でふわふわパンを焼こうと思います!
伊桜らな
ファンタジー
家業パン屋さんで働くメルは、パンが大好き。
いきなり聖女召喚の儀やらで異世界に呼ばれちゃったのに「いらない」と言われて追い出されてしまう。どうすればいいか分からなかったとき、公爵家当主に拾われ公爵家にお世話になる。
衣食住は確保できたって思ったのに、パンが美味しくないしめちゃくちゃ硬い!!
パン好きなメルは、厨房を使いふわふわパン作りを始める。
*表紙画は月兎なつめ様に描いて頂きました。*
ー(*)のマークはRシーンがあります。ー
少しだけ展開を変えました。申し訳ありません。
ホットランキング 1位(2021.10.17)
ファンタジーランキング1位(2021.10.17)
小説ランキング 1位(2021.10.17)
ありがとうございます。読んでくださる皆様に感謝です。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】中継ぎ聖女だとぞんざいに扱われているのですが、守護騎士様の呪いを解いたら聖女ですらなくなりました。
氷雨そら
恋愛
聖女召喚されたのに、100年後まで魔人襲来はないらしい。
聖女として異世界に召喚された私は、中継ぎ聖女としてぞんざいに扱われていた。そんな私をいつも守ってくれる、守護騎士様。
でも、なぜか予言が大幅にずれて、私たちの目の前に、魔人が現れる。私を庇った守護騎士様が、魔神から受けた呪いを解いたら、私は聖女ですらなくなってしまって……。
「婚約してほしい」
「いえ、責任を取らせるわけには」
守護騎士様の誘いを断り、誰にも迷惑をかけないよう、王都から逃げ出した私は、辺境に引きこもる。けれど、私を探し当てた、聖女様と呼んで、私と一定の距離を置いていたはずの守護騎士様の様子は、どこか以前と違っているのだった。
元守護騎士と元聖女の溺愛のち少しヤンデレ物語。
小説家になろう様にも、投稿しています。
誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。
木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。
それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。
誰にも信じてもらえず、罵倒される。
そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。
実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。
彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。
故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。
彼はミレイナを快く受け入れてくれた。
こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。
そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。
しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。
むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。
ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!
沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。
それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。
失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。
アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。
帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。
そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。
再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。
なんと、皇子は三つ子だった!
アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。
しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。
アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。
一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。
「聖女は2人もいらない」と追放された聖女、王国最強のイケメン騎士と偽装結婚して溺愛される
沙寺絃
恋愛
女子高生のエリカは異世界に召喚された。聖女と呼ばれるエリカだが、王子の本命は一緒に召喚されたもう一人の女の子だった。「 聖女は二人もいらない」と城を追放され、魔族に命を狙われたエリカを助けたのは、銀髪のイケメン騎士フレイ。 圧倒的な強さで魔王の手下を倒したフレイは言う。
「あなたこそが聖女です」
「あなたは俺の領地で保護します」
「身柄を預かるにあたり、俺の婚約者ということにしましょう」
こうしてエリカの偽装結婚異世界ライフが始まった。
やがてエリカはイケメン騎士に溺愛されながら、秘められていた聖女の力を開花させていく。
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる