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十章 青い蓮

4、皇后陛下のご指名

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 天堂教の行列からしばらく経った頃。
 皇后である施暁慶シーシャオチンの体調が悪くなった。

「侍医にも診てもらっているそうなのだけれど。皇后娘娘ファンホウニャンニャンに、翠鈴にも来てほしいとお願いされたのよ」

 宮灯に油を挿し終えた翠鈴は、蘭淑妃から頼まれた。

「わたしにですか?」
「ええ。主上から、翠鈴のことをお聞きになったそうよ。未央宮には知識ある薬師がいる、と」

 蘭淑妃の言葉に、翠鈴はもう少しで油をこぼしそうになった。
 いけない。今年は菜種の生育が良くないので、今後油は貴重になるに違いない。翠鈴は油の入った壺をそっと床に置いた。

「わぁ。翠鈴、すごーい」

 同じく宮灯に油を注していた由由が歓声を上げる。
 いや、そんな単純に喜んでいい話でもないと思うんだけど。翠鈴はうーんと唸った。

 皇帝陛下が、医局にも属さない薬師など覚えているはずがない。
 記憶に残っているのなら。それは光柳と生涯を共にしようと約束した娘だからだ。

 まさか皇后陛下にまで、自分の話題が出るなんて。
 あまりにも恐れ多くて。むしろ「光柳は目が悪い。あんな可愛げのない娘を選ぶとは」と、貶される方が気が楽だ。

「宮女ごときが、皇后娘娘にお目にかかるなんてって、思っているでしょう?」
「うっ。お分かりになりますか」
「分かりますよ。でも娘娘は翠鈴をご指名ですからね。光栄なことよ。観念してついていらっしゃい」

 蘭淑妃は微笑んだが、少し眉が下がって困り顔だ。 

「最近、急に温かくなったから。皇后娘娘は頭痛もあるようだし。でも、それだけじゃなさそうなの」

 まだ昼を少し過ぎたばかりだというのに。空が曇っているせいで、辺りは薄暗い。
 風が湿り気を帯びて、エサとなる虫が高く飛べないのだろう。燕が庭の低い位置を横切った。

 蘭淑妃が回廊で立ち話をすることも。薬師のはしくれとはいえ、医官ですらない翠鈴を皇后が頼る理由も分からない。

「ご指名いただくのは光栄ですが。皇后陛下でしたら、当然ですが侍医もいらっしゃいますよね。そうでなくとも後宮には医者も医官もおられますし」
「ええ。さっきも話した通り、侍医の診察を受けていらっしゃるわ」

 答える蘭淑妃は唇を噛みしめた。上質で滑らかな長裙を、淑妃は握りしめている。もう笑みは消えている。

「それでもあなたに来てほしいと、頼まれたの」

 翠鈴と由由は顔を見合わせた。

 最近は医局から生薬を仕入れさせてもらっているけれど。基本的に翠鈴は、後宮の庭の草木や雑草から薬効のあるものを見極めて使っている。
 国でいちばんの医療を受けることのできる皇后が、翠鈴を頼る理由が分からない。

(いや。わたしだから分かることがあるのかもしれない)

 翠鈴は申し出を受けた。

◇◇◇

「お出かけでいらっしゃいますか。淑妃さま」
「ええ。皇后娘娘のお見舞いに行ってくるわ」

 未央宮を出ようとした蘭淑妃に南蕾ナンレイが声をかけた。南蕾は、ちょうど前の勤め先である文彗宮から戻ったところだ。

 今朝、文彗宮の侍女頭が倒れたと連絡があった。
 つまり「呂充儀の世話の手伝いに来い」との命令に等しい。南蕾は申し訳なさそうにしながら、文彗宮へ向かったのだ。

 翠鈴は、南蕾の手に目を留めた。指先が青い。
 きっと侍女頭が倒れたことで、何か染め物の手伝いをしてきたのだろう。

「南蕾さんは今はもう未央宮の侍女なんですから。文彗宮の仕事はせずとも、よいのではないですか?」
「ええ。そうなんだけど」

 翠鈴の指摘に、南蕾は口ごもる。
 手の青さが自分でも気になるのだろう。南蕾は、指を隠すように両手を握りしめた。

「侍女頭の晩溪ワンシーさまは、頭をお怪我なさって。しばらくは動かぬようにと、お医者さまの指示ですから。少しでもお手伝いをと思って」
「怪我だったのですね」

 意外だった。文彗宮の人手が減ったことと、呂充儀の流産で、侍女頭は過労なのだと翠鈴は考えていたからだ。
 疲れが溜まったせいで、よろけて転んだのだろうか。

 急ぎでなければ、話を聞くところだが。今は皇后陛下の件が先だ。
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