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九章 呂充儀

3、言えるはずがない

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 医者に診てもらったところ、呂充儀はすぐには動かない方がいいとのことだった。

「呂充儀さまと同郷の宦官というと……雲嵐さまでしょうか」
「そうね。他に思い当たるひとはいないわ」

 侍女頭の梅娜は、翠鈴から手渡された紙に目を通した。

「妊娠の初期に食べてはいけないものって、あるのねぇ」

 よその宮の嬪を預かる以上、もしものことがあってはならない。

「生ものは問題ないかしら。そもそも肉も魚も卵も加熱するんだし」
「果物はどれも問題はないんですが。ハミ瓜や西瓜、梨は避けた方がいいですね。体を冷やしますから」
「ハミ瓜、おいしいわよねぇ」

 うっとりとした表情で、梅娜は天井を見上げた。

「そうですね。あれは極上です。西の乾燥した地域で育つんですよね」

 翠鈴も、かつて食べたことのあるハミ瓜の味を思い出していた。

 実は鮮やかな橙色で。シャリシャリした食感のものや、柔らかいものもあるが。いずれにしても、とびぬけて甘いのだ。
 食べやすいように、皮のぎりぎりまで包丁で切れ目を入れて。
 そして噛んだ瞬間、果汁が溢れて手まで汚れてしまう。

「次はいつ食べられるかしら」

 梅娜は瞼を閉じて、うっとりとした表情を浮かべた。

 皇帝への献上品になったこともある瓜だ。今では西国だけではなく、新杷国の南の方でも栽培されているが。なにしろ高価なのだ。

「まぁ、ハミ瓜はいいとして。あと妊娠なさっている方に禁忌なのは、丁子に肉桂、桑の実ですね。お茶として飲む地域もあるようです」
「丁子って、あのきつい匂いのでしょ。あんなのをお茶にするの?」

 丁子は丁香ちょうこうとも呼ばれる生薬だ。甘く濃厚な香りと、痺れる刺激がある。口臭を消したり、歯の治療に用いられたりもする。

 梅娜は蘭淑妃が実家にいた頃から仕えているようだが。どうやら淑妃は、禁忌として記したものを、とくに好んではいなかったようだ。
 丁子も肉桂も、とにかく香りがきついしクセがある。

「この紙を、厨房を取りしきる女官に渡せばいいわね。それと、充儀さまの侍女ね」

「お願いします」と告げる翠鈴の顔を、梅娜がじーっと見つめてくる。

「桃莉公主を出産なさる時は、たまたま問題がなかったけれど。もっと早くから翠鈴に、この宮で働いてもらいたかったわ」
「蘭淑妃さまが、桃莉さまを身ごもっておられるときでしたら。わたしは……そうですね、十歳くらいですかね」
「ははっ。ごめん、ごめん。つい忘れてたわ。翠鈴はまだ十六歳だったわね」

 翠鈴は、梅娜に肩をバシバシと叩かれた。けっこう痛い。
 もう誰も翠鈴の自称年齢を信じている人はいない。

「じゃあ、わたしは秘書省に向かいます」

 呂充儀の話に出てきた、同郷の宦官とはやはり雲嵐のことだろう。

 ◇◇◇

 司燈の仕事は、日中は時間があるが。
 書令史である光柳と行動を共にする雲嵐が、部屋にいるかどうかは不明だ。

(いらっしゃらなければ、伝言を残しておけばいいかな)

 光柳は個室を与えらえているので、翠鈴は気軽な気持ちで秘書省へと走った。

 だが、少し開いた扉の前で立ちつくした。
 中から話し声が聞こえるのだ。

 覗き見はよくない。分かっているが。見えてしまったのだ。
 椅子に腰を下ろした皇帝陛下と、背後に立つ護衛の姿が。

(無理でしょ、これは)

 緊張で息を呑む音すらも、陛下の護衛に聞こえるんじゃないか。足裏で砂を踏む音でさえ、咎められるじゃないか。
 翠鈴は、そーっと扉の前を離れた。

「真に呂充儀は来ておらんのだな」
「何度もそう申しあげておりますよ。信用ないんですねぇ」

 丁寧な言葉で話しているのに。光柳は、ときおり妙に軽い口調になる。

「そなたを疑っているわけではないのだが……そなたの虜になる者は多いのでな」
「それ、疑っているっていうんですよ」
「済まぬ。気を悪くしたか? 悪くしたであろう。許してくれ」

 義弟に責められて、とたんに陛下は弱腰になったのだろう。声がか細くなった。

(やっぱり、光柳さまは陛下にとって特別な方なんだ)

 いや。今はそんなことを気にしている場合ではない。
 呂充儀が未央宮にいることを一刻も早く、陛下にお知らせすべきだ。

(でも誰が?)

 宮女でしかない自分が、それを伝えていいのか? せめて侍女頭である梅娜が一緒なら、すぐに話を通せるのに。
 けれど呂充儀は、雲嵐に会いたいと訴えている。

(そんなの言えるはずがないでしょ)

 困った。本当に困った。
 書令史の部屋の前から離れ、翠鈴は頭を抱えた。

「あ、そうだ」

 ぽわ、っと思考の泡が浮かんではじけた。
 これならいける。翠鈴は医局へと駆けだした。
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