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九章 呂充儀
2、会わせてほしい
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「こちらは呂充儀さまですね」
未央宮で倒れていた女性は、宦官によって奥へと運ばれた。
医局へお運びします、と宦官に言われたが。呂充儀は、かたくなに拒んだのだ。
九嬪という身分にしては、色白ではない。よく日に灼けてきたのだろう、肌は艶のある淡い茶色だ。乱れた髪も金茶に近い。
蘭淑妃は、寝台の側の椅子に腰を下ろした。
「どうしてうちで倒れていたのかしら」
呂充儀の侍女も、医者もまだ来ない。
翠鈴は思い出していた。
先日の夜。皇帝陛下が呂充儀の元へ向かおうとしていたことを。
侍女たちの日頃の様子を見ていると、陛下はしばらく未央宮を訪れてはいない。皇后の出産が近いこともあり、皇后陛下とつながりの強い四夫人を避けているのではないだろうか。
それに閨房渡りの記録係である呉正鳴が「今夜も呂充儀の元へ通うのでは」と話していた。
(呂充儀さまは、陛下の現在のお気に入りというところかな)
未央宮に勤める侍女から碗を受けとった呂充儀は、少しずつ白湯を飲んだ。
「翠鈴。彼女の体調によさそうなものはないかしら」
蘭淑妃が、不安そうに問いかけてくる。桃莉公主には、この部屋には入らないようにと伝えたらしい。
母の雰囲気がいつもと違うのを察したのだろう。今日の桃莉はおとなしく言うことを聞いている。
「お粥でしたら大丈夫とは思いますが。薬湯でしたら、お医者さまの診察を待った方がいいですね」
かつて皇后陛下に心を救われたことがあるからだろうか。蘭淑妃は、自分よりも位の低い呂充儀にも心を配っている。
妃によっては、自分の宮で充儀が倒れていても、侍女に任せて関与しないことも多いだろう。ある意味、敵であるのだから。
「お米の粥は、苦手、です」
かすれた声を、呂充儀が発した。
「お粥が苦手でしたら、花卷なら召しあがれるかしら」
蘭淑妃の穏やかな申し出に、呂充儀は首をふる。
「……羊乳にひたした、ナンをいただきたいです」
羊乳にナン? 聞きなれぬ言葉に、蘭淑妃と翠鈴が顔を見合わせる。
確かナンは、西方で食されている円盤状の硬いパンだ。
牛乳ならば、内廷の御膳房で入手できるが。羊乳はさすがに無理だろう。
翠鈴は寝台へと進んだ。医者が来る前に、体調を確認しておきたい。
「失礼します」と告げてから腰をかがめ、呂充儀の耳もとに口を寄せる。
「不躾な質問をお許しください。月のさわりはございますか?」
横になっていた呂充儀が、慌てて上体を起こす。眩暈がしたのだろう。充儀は手で目もとを覆った。
「……ありません。先月も今月も」
(なるほど。妊娠の初期か)
まだつわりが起こるほどではない。だが、体調がすぐれず、常に眠く、体がだるい。
だとしたら、生薬を飲ませることはできない。
「おめでたいことなのよね?」
呂充儀は、不安そうに翠鈴に問うてくる。その声は、ぴんと張った絹糸に触れたかのように震えていた。ふとした瞬間に切れてしまいそうだ。
「充儀さまが、そうお思いでしたら」
蘭淑妃にも聞こえているだろうに。あえて、言葉を挟まずに聞いていない風を装ってくれている。
淑妃のこういう気遣いが、他の妃嬪との諍いを生まないのだろう。
翠鈴は、蔡昭媛のことを思いだしていた。彼女も呂充儀と同じく九嬪の身分であった。
雪のようにはかない蔡昭媛は、皇帝に放っておかれた。子を生すどころか、契りを結ぶ前にすべてが終わった。
皇帝は、呂充儀の元へ頻繁に通っているらしい。
(でも、呂充儀さまはお幸せそうには見えない)
もしかすると陛下は、何年も顧みぬままであった蔡昭媛のことを後悔なさっているのかもしれない。
「こちらの宮を、わたくしと同郷の宦官がよく訪れていると侍女から聞きました」
充儀は、離れた位置に立つ蘭淑妃を見つめた。そして頭を下げたのだ。
「どうか、その方に会わせていただきたいのです」
未央宮で倒れていた女性は、宦官によって奥へと運ばれた。
医局へお運びします、と宦官に言われたが。呂充儀は、かたくなに拒んだのだ。
九嬪という身分にしては、色白ではない。よく日に灼けてきたのだろう、肌は艶のある淡い茶色だ。乱れた髪も金茶に近い。
蘭淑妃は、寝台の側の椅子に腰を下ろした。
「どうしてうちで倒れていたのかしら」
呂充儀の侍女も、医者もまだ来ない。
翠鈴は思い出していた。
先日の夜。皇帝陛下が呂充儀の元へ向かおうとしていたことを。
侍女たちの日頃の様子を見ていると、陛下はしばらく未央宮を訪れてはいない。皇后の出産が近いこともあり、皇后陛下とつながりの強い四夫人を避けているのではないだろうか。
それに閨房渡りの記録係である呉正鳴が「今夜も呂充儀の元へ通うのでは」と話していた。
(呂充儀さまは、陛下の現在のお気に入りというところかな)
未央宮に勤める侍女から碗を受けとった呂充儀は、少しずつ白湯を飲んだ。
「翠鈴。彼女の体調によさそうなものはないかしら」
蘭淑妃が、不安そうに問いかけてくる。桃莉公主には、この部屋には入らないようにと伝えたらしい。
母の雰囲気がいつもと違うのを察したのだろう。今日の桃莉はおとなしく言うことを聞いている。
「お粥でしたら大丈夫とは思いますが。薬湯でしたら、お医者さまの診察を待った方がいいですね」
かつて皇后陛下に心を救われたことがあるからだろうか。蘭淑妃は、自分よりも位の低い呂充儀にも心を配っている。
妃によっては、自分の宮で充儀が倒れていても、侍女に任せて関与しないことも多いだろう。ある意味、敵であるのだから。
「お米の粥は、苦手、です」
かすれた声を、呂充儀が発した。
「お粥が苦手でしたら、花卷なら召しあがれるかしら」
蘭淑妃の穏やかな申し出に、呂充儀は首をふる。
「……羊乳にひたした、ナンをいただきたいです」
羊乳にナン? 聞きなれぬ言葉に、蘭淑妃と翠鈴が顔を見合わせる。
確かナンは、西方で食されている円盤状の硬いパンだ。
牛乳ならば、内廷の御膳房で入手できるが。羊乳はさすがに無理だろう。
翠鈴は寝台へと進んだ。医者が来る前に、体調を確認しておきたい。
「失礼します」と告げてから腰をかがめ、呂充儀の耳もとに口を寄せる。
「不躾な質問をお許しください。月のさわりはございますか?」
横になっていた呂充儀が、慌てて上体を起こす。眩暈がしたのだろう。充儀は手で目もとを覆った。
「……ありません。先月も今月も」
(なるほど。妊娠の初期か)
まだつわりが起こるほどではない。だが、体調がすぐれず、常に眠く、体がだるい。
だとしたら、生薬を飲ませることはできない。
「おめでたいことなのよね?」
呂充儀は、不安そうに翠鈴に問うてくる。その声は、ぴんと張った絹糸に触れたかのように震えていた。ふとした瞬間に切れてしまいそうだ。
「充儀さまが、そうお思いでしたら」
蘭淑妃にも聞こえているだろうに。あえて、言葉を挟まずに聞いていない風を装ってくれている。
淑妃のこういう気遣いが、他の妃嬪との諍いを生まないのだろう。
翠鈴は、蔡昭媛のことを思いだしていた。彼女も呂充儀と同じく九嬪の身分であった。
雪のようにはかない蔡昭媛は、皇帝に放っておかれた。子を生すどころか、契りを結ぶ前にすべてが終わった。
皇帝は、呂充儀の元へ頻繁に通っているらしい。
(でも、呂充儀さまはお幸せそうには見えない)
もしかすると陛下は、何年も顧みぬままであった蔡昭媛のことを後悔なさっているのかもしれない。
「こちらの宮を、わたくしと同郷の宦官がよく訪れていると侍女から聞きました」
充儀は、離れた位置に立つ蘭淑妃を見つめた。そして頭を下げたのだ。
「どうか、その方に会わせていただきたいのです」
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