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八章 陽だまりの花園
16、会いたかったから
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「翠鈴。この間は薫衣草をありがとう。あと冬菩提樹だったかな」
光柳が、翠鈴に声をかけてきた。
「眠れるようになりましたか?」
「ああ」と、光柳は柔らかな笑みを浮かべた。
「常に枕元に置いている。あの香りをかぐと、心が落ち着くんだ。薫衣草は義兄の症状よりも、私に向いているようだな」
「お飲みにならないんですか?」
花茶として、光柳に贈ったのだが。むろん、香りだけでも効果があるから間違いではない。
「飲んだら、一度きりでなくなってしまうだろ」
「そこですか?」
味が苦手とかではなく。そんな節約みたいな考えを、光柳がするとは思わなかった。
「買おうと思えば、同じ品は手に入るだろう。だが、私のことを考えて翠鈴が用意してくれたものは、あれひとつだけだ。他に代わりはない」
あまりにもまっすぐな言葉に、翠鈴は頬が熱くなるのを感じた。
確かに薫衣草と冬菩提樹の花は、どれくらいの比率がいいだろうかと思案した。
不眠に効く生薬も考えて。いや、花茶の方がいいだろうかと悩みもした。
いちめんに咲くという薫衣草。涼しい香りの風が吹く、うすむらさきの野に立てば、光柳も眠れるだろうと思ったのだ。
「あれを調合する時は、私のことだけを考えてくれていたのだろう?」
「……はい」
答える声が小さくなる。
この人はずるい。
相手の気持ちなんてお見通しで、なのにあえて言葉として引きだそうとする。しかも押しつけがましいわけではなくて。
翠鈴はつい気持ちを吐露してしまう。
「あー、クアンリュウ。だめなのにぃ」
いつの間にか桃莉たちが戻ってきていたようだ。翠鈴は足音にすら、気づかなかった。
「ツイリンをこまらせてる。おこったの?」
「へ? なんでそうなるんだ?」
桃莉は雲嵐の腕に乗っている。その高さから見ると、翠鈴がうなだれているように思えたのだろう。
「クアンリュウ。めっ、だよ」
厳しい桃莉の声に、光柳は目を丸くした。そして笑ったのだ。
「参ったなぁ。この私が、桃莉公主のお好きな翠鈴を虐めるとお思いですか?」
「おおもわないです」
光柳に答える桃莉の言葉は怪しい。
「そこは『思いません』でいいですよ」
雲嵐は、とうとう桃莉の言葉の教育を始めてしまった。きっと陛下は、一度として桃莉のつたない言葉を直したことなどないだろう。
「そろそろ戻ろうか、雲嵐」
「えー、やだぁ。もっとあそぶ」
駄々をこねる桃莉を、雲嵐は「続きは、次回にいたしましょう」と説得した。
「あの、光柳さま。今日はどのような御用でいらしたんですか?」
結局、未央宮の中に入ろうともしない光柳に、翠鈴は問うた。
ふむ、と自分のあごに手をあてて光柳が小首をかしげる。
「翠鈴の顔を見に来ただけだが。そうだな、あえて用事というのであれば。薫衣草の礼を言うためだ」
知らぬうちに翠鈴の髪に、たんぽぽの綿毛がついていたのだろう。
光柳のしなやかな指が、呑気そうな形をした綿毛をつまむ。
桃莉が、ぶんぶんと振りまわしていたたんぽぽだ。
「会いたい。それだけでは理由にならぬか?」
翠鈴は心が震えた。
「会いたい」と告げることのできる、光柳の素直さに。
自分だけではなく光柳も、大事な人を失っている。
少年時代の光柳は、あまりにも大きな絶望の湖を、兄弟同然の雲嵐と共に進み続けていた。
沈んでしまってもおかしくなかったのに。それでも純粋さを失うことはなかった。
孤独を知り、傷ついた者だけが残すことのできる水紋が、光柳の周囲を取り巻いている。
それは透明に青くて美しく。遺されることを経験した翠鈴の元へと届いた。
「おやすみー」と、二人に手をふる桃莉の側に控えながら、翠鈴は宵闇にまぎれていく背中をいつまでも見つめていた。
光柳が、翠鈴に声をかけてきた。
「眠れるようになりましたか?」
「ああ」と、光柳は柔らかな笑みを浮かべた。
「常に枕元に置いている。あの香りをかぐと、心が落ち着くんだ。薫衣草は義兄の症状よりも、私に向いているようだな」
「お飲みにならないんですか?」
花茶として、光柳に贈ったのだが。むろん、香りだけでも効果があるから間違いではない。
「飲んだら、一度きりでなくなってしまうだろ」
「そこですか?」
味が苦手とかではなく。そんな節約みたいな考えを、光柳がするとは思わなかった。
「買おうと思えば、同じ品は手に入るだろう。だが、私のことを考えて翠鈴が用意してくれたものは、あれひとつだけだ。他に代わりはない」
あまりにもまっすぐな言葉に、翠鈴は頬が熱くなるのを感じた。
確かに薫衣草と冬菩提樹の花は、どれくらいの比率がいいだろうかと思案した。
不眠に効く生薬も考えて。いや、花茶の方がいいだろうかと悩みもした。
いちめんに咲くという薫衣草。涼しい香りの風が吹く、うすむらさきの野に立てば、光柳も眠れるだろうと思ったのだ。
「あれを調合する時は、私のことだけを考えてくれていたのだろう?」
「……はい」
答える声が小さくなる。
この人はずるい。
相手の気持ちなんてお見通しで、なのにあえて言葉として引きだそうとする。しかも押しつけがましいわけではなくて。
翠鈴はつい気持ちを吐露してしまう。
「あー、クアンリュウ。だめなのにぃ」
いつの間にか桃莉たちが戻ってきていたようだ。翠鈴は足音にすら、気づかなかった。
「ツイリンをこまらせてる。おこったの?」
「へ? なんでそうなるんだ?」
桃莉は雲嵐の腕に乗っている。その高さから見ると、翠鈴がうなだれているように思えたのだろう。
「クアンリュウ。めっ、だよ」
厳しい桃莉の声に、光柳は目を丸くした。そして笑ったのだ。
「参ったなぁ。この私が、桃莉公主のお好きな翠鈴を虐めるとお思いですか?」
「おおもわないです」
光柳に答える桃莉の言葉は怪しい。
「そこは『思いません』でいいですよ」
雲嵐は、とうとう桃莉の言葉の教育を始めてしまった。きっと陛下は、一度として桃莉のつたない言葉を直したことなどないだろう。
「そろそろ戻ろうか、雲嵐」
「えー、やだぁ。もっとあそぶ」
駄々をこねる桃莉を、雲嵐は「続きは、次回にいたしましょう」と説得した。
「あの、光柳さま。今日はどのような御用でいらしたんですか?」
結局、未央宮の中に入ろうともしない光柳に、翠鈴は問うた。
ふむ、と自分のあごに手をあてて光柳が小首をかしげる。
「翠鈴の顔を見に来ただけだが。そうだな、あえて用事というのであれば。薫衣草の礼を言うためだ」
知らぬうちに翠鈴の髪に、たんぽぽの綿毛がついていたのだろう。
光柳のしなやかな指が、呑気そうな形をした綿毛をつまむ。
桃莉が、ぶんぶんと振りまわしていたたんぽぽだ。
「会いたい。それだけでは理由にならぬか?」
翠鈴は心が震えた。
「会いたい」と告げることのできる、光柳の素直さに。
自分だけではなく光柳も、大事な人を失っている。
少年時代の光柳は、あまりにも大きな絶望の湖を、兄弟同然の雲嵐と共に進み続けていた。
沈んでしまってもおかしくなかったのに。それでも純粋さを失うことはなかった。
孤独を知り、傷ついた者だけが残すことのできる水紋が、光柳の周囲を取り巻いている。
それは透明に青くて美しく。遺されることを経験した翠鈴の元へと届いた。
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