後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

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七章 毒の豆

16、寝言語録

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 年越しである守歳しゅさいの火は、朝まで消してはならない。なので、火鉢の炭が消えぬように、雲嵐は時々火箸で確認している。
 室内には年糕ニィエンガオを焼いたときの甘く香ばしいにおいが、ほのかに残っている。

守火炉ショウフォルーの習慣がなくても、寒いから火は消せませんけどね」
「本当ですね」

 どこの宮でも宿舎でも、朝まで人の気配がする。
 夜の寂しさが紛れるようで。翠鈴はほっとした。

「寝ないのだが。なんだろうな。長椅子が私を呼んでいる」

 夜も更けた頃。あくびをしながら、光柳が椅子から立った。

「寝てもいいと思いますよ。全員が起きている必要もないんですから」
「光柳さま。毛布をお持ちください」
「寝るわけではないのだが」

 雲嵐に答えながら、光柳は右に左に体を揺らしながら進む。そのまま長椅子に吸いこまれてしまった。

 ◇◇◇

 春節を迎えた朝。まだ日が昇る前に、翠鈴は書令史の部屋を辞すことにした。
 卓子の上に並んだ皿や碗を、雲嵐と一緒に奥の部屋に運ぶ。

 事務仕事をしている女官は、春節の間は休めるが。司燈はそうはいかない。
 暗くなれば明かりを灯さなければ、妃嬪が暮らせない。同様に食事を担当する女官や宮女も、一斉に休むことはできない。

 結局、光柳は夜明け前の今も熟睡だ。

「翠鈴さまとご一緒できたからでしょうか。嬉しそうな寝顔をなさっておいでです」

 雲嵐は、光柳の毛布を掛けなおした。

「どう答えていいのか、分からないですね」

 翠鈴の声が耳に届いたのだろうか。軟墊クッションに頭を載せた光柳が、身動きした。

「可愛いなぁ」

 それは寝言だった。何かいい夢でも見ているのだろう。

「翠鈴は可愛いよな。そう思うだろ、雲嵐」
「えっ!」

 予想外の寝言だ。翠鈴は慌てて、長椅子の側に立つ雲嵐の顔を見た。
 あ、目を逸らされた。しかも驚いた様子でもない。

「あのー。雲嵐さまは光柳さまと同室ですよね。こういった寝言は……」
「慣れております。むしろ今夜は控えめですね。甘美に愛を囁くときもありますよ。さすがは二代目麟美リンメイさまと言うべきでしょうか」

 さらっととんでもない発言をされてしまった。

「えっと、わたしは可愛くないですよ。人を射殺しそうな目だと、この人に言われましたし」
「あれは失言でしたね。大丈夫、叱っておきましたから」

 いや、そういうことではなくて。
 翠鈴はおろおろした。年が明けて初めての感情が、狼狽とは。どうしたものか。

「以前、翠鈴が話していましたね。私が常に筆と紙を持って、光柳さまが戯れに紡ぐ詩を書きとめればいい、と」

 あ、嫌な予感がする。

「なので、実践しているのです。主に、光柳さまの寝言ですが。『松光柳ソンクアンリュウの届けられぬ愛の寝言語録ねごとごろく』です。ご覧になりますか?」
「ご覧になりませんっ」

 雲嵐は温厚で物静かなのに。時々、とんでもない暴風雨を起こす。名前負けをしていない。

「そうですね。せめて糸で綴じて冊子にできるくらいになれば、お届けします」

 どこまでが冗談なのか分からない。
 
 ◇◇◇

「除夕を共に過ごすことができて、嬉しかったです。と、光柳さまにお伝えください」

 戸の外まで見送ってくれた雲嵐に、翠鈴は頭を下げた。

「あと、寝言語録はいりませんので」
「そんなつれないことを言わずとも」

 雲嵐は、明らかに笑いをこらえている。肩が震えているのだから。
 鶏の鳴く声が、微かに聞こえた。

「寒くなりそうですよ。お気をつけて」

 雲嵐は、翠鈴の手から圍巾ウェイジンをとると彼女の首に巻いた。

「本人が眠っていますから。私は代理ということで」

 空はまだ濃藍や紺色の夜に支配されているが。東の空は暗い青を溶かすように白んでいる。
 冷えた空気をいっぱいに吸いこみながら、翠鈴は歩きだした。
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