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七章 毒の豆
14、除夕【1】
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今年の春節は、春分を過ぎてからだ。
春節の前日である大晦日の夜。未央宮で司燈の仕事を終えた翠鈴は、光柳から招待を受けていた。
由由は帰省しているので不在だ。ふたり分の仕事だが、動線を考えて明かりを点けていけば意外と時間はかからない。
「やぁ、よく来たな」
書令史の部屋の前で、光柳は手をあげた。背後に控える雲嵐が、翠鈴に頭を下げる。
夜の深い闇の中。下げ灯籠に照らされたふたりは、そこだけが幽玄の世界のように見えた。
幸い、今夜は寒さが厳しくはない。外で翠鈴の訪れを待っていてくれたのだろう。
翠鈴は、扉に貼られた紙に目を向けた。「福到了」といい「福」の字を逆さにしてある。これは「倒」と「到」の発音が同じなので「福が来る」の意味である。
「今夜は守歳ですね」
「そうだ。朝まで起きていられるかな」
光柳はどうしてだか、えらそうだ。守歳は、大みそかの夜に寝ずに夜を明かすことだ。夜を徹して起きることで、あらゆる疫病を払い、新年の幸運となる。
「わたしは眠くなったら、寝てしまうと思いますが」
「ふふん。私は平気だ。なぜなら午睡をしたからな」
光柳は胸を張った。
昼寝をしたくらいで威張られても、と翠鈴は思うのだが。そんなところも、なぜか可愛いと思えてしまう。
(男の人に、可愛いなんておかしいんだけど)
困ったな。
翠鈴が、腕を組んで首を傾げたせいだろか。光柳に顔を覗きこまれた。
「な、なんですか」
「いや。難しい表情をしているから。無理に誘って悪かったかと思って」
「そんなことないです。お招きいただいて光栄です」
これは誤解をさせてしまう。翠鈴は慌てて弁解した。
すると、光柳は弾けるような笑顔を見せた。彼のことを月下美人と称する人は多い。けれど、今の光柳は太陽そのものだ。
別棟とはいえ、さすがに宦官の宿舎に宮女が入って徹夜することはできない。今夜は、光柳も雲嵐も職場で夜を明かす。
「光柳さま。長椅子を用意しましたよ」
「なんでだ? 起きていられると言っただろう」
雲嵐の気遣いが、光柳は不本意らしい。
「もしかして光柳さまは、夜はすぐに眠くなる性質でいらっしゃるんですか?」
「う……っ」
やっぱり長椅子は必要みたいだ。翠鈴は圍巾を首から外しながら、うなずいた。
部屋の中は、火鉢で温められていた。ひざ掛けまで用意されている。
「さすがにここで餃子を作るわけにはいかないからな。今日は糖蓮子を用意した」
卓についた翠鈴の前に、光柳は蓮の実を置いた。器に入った蓮の実は、砂糖漬けになっている。
限りなく白に近い黄色の実は、表面が澄んで美しい。
「南方では、餃子ではなくこの糖蓮子を食べて年を越すんだ」
「初めて知りました」
南という言葉を聞くと、三人で訪れた湯泉宮を思い出す。
かの地で過ごす人たちは、今夜は同じ糖蓮子を口にしているのだろうかと、思いを馳せる。
「また行こうな。湯泉宮に」
向かいの席に座る光柳に声をかけられて、翠鈴ははっとした。
同じことを考えていた。
なんと答えていいのか分からない。ただ「ぜひ」でも「はい」でも「光栄です」でも、どれも同じ意味になる。
「翠鈴。お茶をどうぞ」
雲嵐が、白い蓋碗に入ったお茶を出してくれた。
蓋を取ると、ふわっと湯気が立つ。微かに薔薇の匂いがした。
「八宝茶ですね」
「はい。今日は玫瑰にナツメと龍眼、山査子に枸杞の実、氷砂糖を入れました」
茶葉は入っていない。茶外茶だ。
湯の中で花が揺らめき、氷砂糖がゆっくりと溶けていくのが分かる。
翠鈴はひとくち飲んだ。
「温かい。おいしいですね」
八宝茶は、菊花を入れることも多い。けれど、菊の花は涼性が強い。飲みすぎると体を冷やしてしまう。
だから雲嵐は薔薇である玫瑰を選んでくれたのだろう。薔薇は体を温めてくれる。
「そういえば、夕食に髪菜が出ましたよ。除夕ですからね」
「あー、あれか」
翠鈴の話を聞いて、光柳は苦い顔をする。ほのかに甘い八宝茶を飲んでいるのに。
「財を成す『發財』と音が同じだから、縁起がいいと言うが」
「いいですよね。やはり財は成したいものです」
見た目がまさに黒髪そのものなので。髪菜というのだが。
美しい物を好む光柳は苦手なようだ。
◇◇◇
遠くから、鐘の音が聞こえた。
除夕の夜につく鐘だ。寺は、離れた場所にあるのだが。音は後宮の高い壁など軽く越える。
「過年好」と、三人で新年の挨拶を交わす。
「そういえば湯泉宮の辺りでは、運河や水路が張り巡らされていますから。高い鐘楼の鐘の音は水の流れに乗って、街全体に広がっていくんですよね」
雲嵐の淡い色の瞳には、懐かしい光景が映っているのだろう。
「ああ、そうだな」
光柳も知っている情景のようだ。嬉しそうに目を細めた。
春節の前日である大晦日の夜。未央宮で司燈の仕事を終えた翠鈴は、光柳から招待を受けていた。
由由は帰省しているので不在だ。ふたり分の仕事だが、動線を考えて明かりを点けていけば意外と時間はかからない。
「やぁ、よく来たな」
書令史の部屋の前で、光柳は手をあげた。背後に控える雲嵐が、翠鈴に頭を下げる。
夜の深い闇の中。下げ灯籠に照らされたふたりは、そこだけが幽玄の世界のように見えた。
幸い、今夜は寒さが厳しくはない。外で翠鈴の訪れを待っていてくれたのだろう。
翠鈴は、扉に貼られた紙に目を向けた。「福到了」といい「福」の字を逆さにしてある。これは「倒」と「到」の発音が同じなので「福が来る」の意味である。
「今夜は守歳ですね」
「そうだ。朝まで起きていられるかな」
光柳はどうしてだか、えらそうだ。守歳は、大みそかの夜に寝ずに夜を明かすことだ。夜を徹して起きることで、あらゆる疫病を払い、新年の幸運となる。
「わたしは眠くなったら、寝てしまうと思いますが」
「ふふん。私は平気だ。なぜなら午睡をしたからな」
光柳は胸を張った。
昼寝をしたくらいで威張られても、と翠鈴は思うのだが。そんなところも、なぜか可愛いと思えてしまう。
(男の人に、可愛いなんておかしいんだけど)
困ったな。
翠鈴が、腕を組んで首を傾げたせいだろか。光柳に顔を覗きこまれた。
「な、なんですか」
「いや。難しい表情をしているから。無理に誘って悪かったかと思って」
「そんなことないです。お招きいただいて光栄です」
これは誤解をさせてしまう。翠鈴は慌てて弁解した。
すると、光柳は弾けるような笑顔を見せた。彼のことを月下美人と称する人は多い。けれど、今の光柳は太陽そのものだ。
別棟とはいえ、さすがに宦官の宿舎に宮女が入って徹夜することはできない。今夜は、光柳も雲嵐も職場で夜を明かす。
「光柳さま。長椅子を用意しましたよ」
「なんでだ? 起きていられると言っただろう」
雲嵐の気遣いが、光柳は不本意らしい。
「もしかして光柳さまは、夜はすぐに眠くなる性質でいらっしゃるんですか?」
「う……っ」
やっぱり長椅子は必要みたいだ。翠鈴は圍巾を首から外しながら、うなずいた。
部屋の中は、火鉢で温められていた。ひざ掛けまで用意されている。
「さすがにここで餃子を作るわけにはいかないからな。今日は糖蓮子を用意した」
卓についた翠鈴の前に、光柳は蓮の実を置いた。器に入った蓮の実は、砂糖漬けになっている。
限りなく白に近い黄色の実は、表面が澄んで美しい。
「南方では、餃子ではなくこの糖蓮子を食べて年を越すんだ」
「初めて知りました」
南という言葉を聞くと、三人で訪れた湯泉宮を思い出す。
かの地で過ごす人たちは、今夜は同じ糖蓮子を口にしているのだろうかと、思いを馳せる。
「また行こうな。湯泉宮に」
向かいの席に座る光柳に声をかけられて、翠鈴ははっとした。
同じことを考えていた。
なんと答えていいのか分からない。ただ「ぜひ」でも「はい」でも「光栄です」でも、どれも同じ意味になる。
「翠鈴。お茶をどうぞ」
雲嵐が、白い蓋碗に入ったお茶を出してくれた。
蓋を取ると、ふわっと湯気が立つ。微かに薔薇の匂いがした。
「八宝茶ですね」
「はい。今日は玫瑰にナツメと龍眼、山査子に枸杞の実、氷砂糖を入れました」
茶葉は入っていない。茶外茶だ。
湯の中で花が揺らめき、氷砂糖がゆっくりと溶けていくのが分かる。
翠鈴はひとくち飲んだ。
「温かい。おいしいですね」
八宝茶は、菊花を入れることも多い。けれど、菊の花は涼性が強い。飲みすぎると体を冷やしてしまう。
だから雲嵐は薔薇である玫瑰を選んでくれたのだろう。薔薇は体を温めてくれる。
「そういえば、夕食に髪菜が出ましたよ。除夕ですからね」
「あー、あれか」
翠鈴の話を聞いて、光柳は苦い顔をする。ほのかに甘い八宝茶を飲んでいるのに。
「財を成す『發財』と音が同じだから、縁起がいいと言うが」
「いいですよね。やはり財は成したいものです」
見た目がまさに黒髪そのものなので。髪菜というのだが。
美しい物を好む光柳は苦手なようだ。
◇◇◇
遠くから、鐘の音が聞こえた。
除夕の夜につく鐘だ。寺は、離れた場所にあるのだが。音は後宮の高い壁など軽く越える。
「過年好」と、三人で新年の挨拶を交わす。
「そういえば湯泉宮の辺りでは、運河や水路が張り巡らされていますから。高い鐘楼の鐘の音は水の流れに乗って、街全体に広がっていくんですよね」
雲嵐の淡い色の瞳には、懐かしい光景が映っているのだろう。
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