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七章 毒の豆
7、カリンの酒
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翠鈴や胡玲が、医局で豌豆黄を囲む前夜のこと。
就寝前の宿舎の部屋で。光柳は、壺が軽いことに気づいた。
ここのところ、空気が乾燥している。風邪をひいているわけでもないが、喉の調子がよくない。
「雲嵐。カリン酒が切れてしまった」
灯籠の明かりのもと。光柳は空になった壺を雲嵐に見せた。もう就寝時間なので、雲嵐は寝台に座っている。
榠樝とも呼ばれるカリンの実を、酒に浸けたり砂糖漬けにしたものは、咳によく効く。
カリンは、リンゴや南国の果実にも似た香りだ。さらにそこに花の香りまで加わったような華やかさがあるものだから。
喉のためとはいえ。カリン酒の入った壺を開くと、部屋がほわぁぁっといい香りに包まれるので。つい、光柳も雲嵐も笑顔になってしまう。
「喉のためだからな。毎晩飲むのは仕方がない」
「まったくその通りです」
ふだんは口うるさい雲嵐も、寝酒となると光柳に甘い。
夜寝る前に、ふたりして飲むカリン酒は、格別だ。
まぁ、夏になれば青梅酒は疲れをとるとか、楊梅酒は胃腸に良いとかいって、つい飲むのだが。
穀物から作った酒を蒸留した白酒や、米の醸造酒である黄酒は光柳も雲嵐もあまり好みではない。
「光柳さま。明日、医局に咳止めをもらいに行きましょう」
「今夜は、香りだけを楽しむとするかな」
カリンはこんなにもおいしそうな匂いがするのに。生の果実は硬くて、渋い。とても食べられたものではない。
カリンを蜂蜜や砂糖に浸けようと思った者は、飽くなき探求心があるのだろう。
書令史の仕事を終えた、翌日の午後。
医局に入った光柳と雲嵐は、不思議な光景を目にした。
「何をしているんだ?」
「どうかなさいましたか?」
翠鈴と胡玲、他にふたりの女性の医官が椅子に座り、難しそうに顔を突き合わせていた。
「豌豆黄をもらいましたので。翠鈴姐や皆さんにおすそ分けしたのですが」
胡玲が立ち上がって答えた。
「……それが豌豆黄なのか?」
光柳は、翠鈴たちが囲んでいる小さな卓に目を向けた。黒ずんだ黄色い塊だ。いちおう四角く切ってはあるが、形も悪い。
子供が初めて作った菓子のようだ、と光柳は感じた。
「鉄鍋を使ったのだと思います」と、翠鈴がとまどったように応じる。
「それにしても。えらく手を抜いた作り方をしたものだな」
豌豆黄には、半透明な豆の皮が混ざっているのが見える。
料理をしない光柳でも分かる。子供でも菓子を作るなら、もう少し丁寧にこしらえるだろう。
翠鈴は立ち上がって、光柳に椅子を勧めた。光柳は「いや、いい。座っていなさい」と席をゆずり返す。
「これを作ったのは、食堂の厨房に勤める宮女でしょうね」
「分かるのか?」
光柳の問いに、翠鈴はうなずいた。
他の医官たちは、口の中に豆の皮でも残っているのか。妙な表情をしている。
翠鈴のことだ。きっと無理に飲みこんだのだろう。
「妃嬪の宮であれば、厨師の女官が料理を担当しています。豌豆黄は、作るのに時間のかかる菓子です。誰にも見られずに作ることは無理でしょう」
「それが見た目の悪さと関係があるのか?」
「はい。厨師であれば、まず私的な菓子を宮の厨房で作らせないと思います。もし厨房の使用を許可したとしても、鉄鍋を使っていたら止めるでしょう」
翠鈴は続けた。
「人の手に渡る菓子、とくに黄色が美しい豌豆黄が灰色であるなど。その宮の評判に関わりますから」
そうなると、誰が作ったものであるかも割り出せる。だから、人目を避けて慌てて作ったのだろう。
「ですが。急いで作るのであれば、なにも手間のかかる豌豆黄である必要はないのです」
確かに短時間で作ることのできる菓子は、他にあるだろう。
「光柳さま。どうしてこれをもらった胡玲が、おふたりに菓子を勧めないか分かりますか?」
「いや」
突然の質問だ。光柳は戸惑い、雲嵐と目を合わせた。
翠鈴には見えていることでも、光柳には分からないことも多い。
だが、その場合はほとんどが……。
「毒かもしれないからか?」
「はい。ご明察ですね」
内容は物騒だったが。翠鈴に褒められて、光柳の顔がほころんだ。
こういうところが、妙に素直であると思われていることを、光柳は知らない。
就寝前の宿舎の部屋で。光柳は、壺が軽いことに気づいた。
ここのところ、空気が乾燥している。風邪をひいているわけでもないが、喉の調子がよくない。
「雲嵐。カリン酒が切れてしまった」
灯籠の明かりのもと。光柳は空になった壺を雲嵐に見せた。もう就寝時間なので、雲嵐は寝台に座っている。
榠樝とも呼ばれるカリンの実を、酒に浸けたり砂糖漬けにしたものは、咳によく効く。
カリンは、リンゴや南国の果実にも似た香りだ。さらにそこに花の香りまで加わったような華やかさがあるものだから。
喉のためとはいえ。カリン酒の入った壺を開くと、部屋がほわぁぁっといい香りに包まれるので。つい、光柳も雲嵐も笑顔になってしまう。
「喉のためだからな。毎晩飲むのは仕方がない」
「まったくその通りです」
ふだんは口うるさい雲嵐も、寝酒となると光柳に甘い。
夜寝る前に、ふたりして飲むカリン酒は、格別だ。
まぁ、夏になれば青梅酒は疲れをとるとか、楊梅酒は胃腸に良いとかいって、つい飲むのだが。
穀物から作った酒を蒸留した白酒や、米の醸造酒である黄酒は光柳も雲嵐もあまり好みではない。
「光柳さま。明日、医局に咳止めをもらいに行きましょう」
「今夜は、香りだけを楽しむとするかな」
カリンはこんなにもおいしそうな匂いがするのに。生の果実は硬くて、渋い。とても食べられたものではない。
カリンを蜂蜜や砂糖に浸けようと思った者は、飽くなき探求心があるのだろう。
書令史の仕事を終えた、翌日の午後。
医局に入った光柳と雲嵐は、不思議な光景を目にした。
「何をしているんだ?」
「どうかなさいましたか?」
翠鈴と胡玲、他にふたりの女性の医官が椅子に座り、難しそうに顔を突き合わせていた。
「豌豆黄をもらいましたので。翠鈴姐や皆さんにおすそ分けしたのですが」
胡玲が立ち上がって答えた。
「……それが豌豆黄なのか?」
光柳は、翠鈴たちが囲んでいる小さな卓に目を向けた。黒ずんだ黄色い塊だ。いちおう四角く切ってはあるが、形も悪い。
子供が初めて作った菓子のようだ、と光柳は感じた。
「鉄鍋を使ったのだと思います」と、翠鈴がとまどったように応じる。
「それにしても。えらく手を抜いた作り方をしたものだな」
豌豆黄には、半透明な豆の皮が混ざっているのが見える。
料理をしない光柳でも分かる。子供でも菓子を作るなら、もう少し丁寧にこしらえるだろう。
翠鈴は立ち上がって、光柳に椅子を勧めた。光柳は「いや、いい。座っていなさい」と席をゆずり返す。
「これを作ったのは、食堂の厨房に勤める宮女でしょうね」
「分かるのか?」
光柳の問いに、翠鈴はうなずいた。
他の医官たちは、口の中に豆の皮でも残っているのか。妙な表情をしている。
翠鈴のことだ。きっと無理に飲みこんだのだろう。
「妃嬪の宮であれば、厨師の女官が料理を担当しています。豌豆黄は、作るのに時間のかかる菓子です。誰にも見られずに作ることは無理でしょう」
「それが見た目の悪さと関係があるのか?」
「はい。厨師であれば、まず私的な菓子を宮の厨房で作らせないと思います。もし厨房の使用を許可したとしても、鉄鍋を使っていたら止めるでしょう」
翠鈴は続けた。
「人の手に渡る菓子、とくに黄色が美しい豌豆黄が灰色であるなど。その宮の評判に関わりますから」
そうなると、誰が作ったものであるかも割り出せる。だから、人目を避けて慌てて作ったのだろう。
「ですが。急いで作るのであれば、なにも手間のかかる豌豆黄である必要はないのです」
確かに短時間で作ることのできる菓子は、他にあるだろう。
「光柳さま。どうしてこれをもらった胡玲が、おふたりに菓子を勧めないか分かりますか?」
「いや」
突然の質問だ。光柳は戸惑い、雲嵐と目を合わせた。
翠鈴には見えていることでも、光柳には分からないことも多い。
だが、その場合はほとんどが……。
「毒かもしれないからか?」
「はい。ご明察ですね」
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