後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

文字の大きさ
上 下
121 / 184
七章 毒の豆

5、認めない

しおりを挟む
「えーと、なんだっけ」

 夏雪シアシュエは購入した品物を書いた紙を確認した。

「ああ、豆だったわね。あるわよ。ようやく手に入ったわ」
「はい。そうです。ずっと待っていたんです」

 印象の薄い宮女の声が明るくなる。
 顔の彫りが深くない、のっぺりとした顔立ちだ。確か名前を……と考えて、夏雪は眉間にしわを寄せた。

「なんていう名前だったっけ」
「えっと。その、辺妮ピエンニです。前にも言いましたけど」
「あ、ごめーん。忘れてたわ」

 夏雪の頭の片隅にすら、辺妮ピエンニの名前は残っていなかった。記憶力は悪くないし、買い物代行の商品も本当は記憶できるのだが。間違いがあってはいけないので、記録しているだけだ。

「いえ、いいんです。うち、目立たないから」

 夏雪から小さな麻の袋を受けとりながら、辺妮は笑った。
 むかつく笑顔だった。嫌なことがあっても、自分さえ我慢すればいいと言いたげな表情だ。

(もともとあんたが、無理な注文をしたんでしょうが。まだ冬だっていうのに。豌豆えんどうなんか頼んでくるから。しかも香豌豆かおりえんどうだなんて。花が咲くのは、ふつう春でしょ。ちょっと考えれば分かるじゃない)

 どんなに早咲きであっても、豆が結実するのは春の終わりだ。春節にもならない冬のさなかに、新鮮な豌豆など、ふつうは手に入らない。

「南方から届いたものよ。輸送費もかかっているから、割高になるけど」
「お支払いしますっ」

 辺妮は、勢い込んで身を乗りだした。

 そんなに憎い相手がいるのだろうか。そんなにも誰かに毒を食べさせたいのだろうか。
 夏雪の口元が、鎌の刃のような笑みをたたえた。

 ごめんね。それはただの豌豆なの。

(あんたが毒を誰に食べさせたいのか知らないけどさ。香豌豆の季節も知らないんじゃ、まともに扱えもしないでしょ)

 ふつうの豌豆と香豌豆かおりえんどうは、花の状態ならば見分けはつく。いかにも観賞用の、大きめで愛らしい|淡い桃色の花を咲かせるのが香豌豆だ。豌豆の花は、可愛げがないともいえる。
 さやの状態ならば、両者の区別は難しい。

 ただ、栽培されている豌豆と違い、香豌豆の豆を大量に集めることは不可能に近い。

 香豌豆のことを、甘い豌豆という人もいる。
 だが、それは間違いだ。花の香りが甘いのだ。決して味ではない。

 むしろ味は苦いらしい。香豌豆は毒だから、夏雪はもちろん食べたことはない。

(次に来るときが、楽しみだわ。あんたはどうするのかしらね。あたしに「毒が効かなかった」とは、怒れないでしょ? もう一度取り寄せる? 春なら、ちゃんと本物を買ってきてあげてもいいわよ)

 弱い者は、いくら利用しても心は痛まない。

(あーあ。あたしも後宮暮らしなら、あの……えーと、名前なんだったっけ。この宮女が失敗するところを見ることができるのに)

 夏雪シアシュエは、肩をすくめた。
 とはいえ、自由のない後宮暮らしはまっぴらだ。こうしてたまに女くさい世界に浸るぐらいがちょうどいい。

「じゃあ、あたしは帰るわ。またのご贔屓をお待ちしています」

 厨房の奥から、はしゃぐ声が聞こえる。
 まだ勤務時間内だから、さすがに酒の壺を開封してはいないだろう。宮女たちは、菓子をつまんでいるのかもしれない。

 豌豆の入った小袋を大事そうに抱えた辺妮ピエンニは、食堂から出ていく夏雪シアシュエを見送った。

 食堂の側の木につないでいた馬の元へ、夏雪は向かった。

 ちょうど、侍女と背の高い宮女が歩いているのが見えた。そして、ふたりの間に女の子がいる。
 宮女と侍女に守られるように、真ん中に。
 着ているものが上質だ。歩くたびに、質の良い布の上で光が踊る。

「ねぇ、ツイリン。タオリィね、あのどうぶつしってるよ。うま、だよ」

 夏雪の馬を、女の子が指さした。
 公主だ。皇帝の血を引く子供は、淑妃の娘と賢妃の赤ん坊しかいない。

(なんで宮女ごときが、公主と手をつないでいるの?)

「この間、お乗りになった馬車はいかがでした? 気分は悪くなりませんでしたか?」
「へーき。タオリィ、つよいもん」

 こぼれんばかりの笑顔で、公主が答える。相手の宮女は目つきも鋭く、目が合った相手を金縛りにさせそうなのに。
 公主は、これでもかと笑みを絶やさない。嬉しくてたまらないように。

(ちょっと、おかしいわ。たかが宮女が、公主と言葉を交わすなんて)

 一緒にいるのは侍女よね。宮女なんて下女ともいわれるのに。どうして叱らないの? 注意もしないの?

 夏雪は後宮に出入りする仕事を始めてから、半年は過ぎている。これまで目にしたことのない光景に、思考がまとまらない。
 なぜだか、胃の辺りがむかむかした。
 理由は分からない。けれど、ひとつだけは分かる。

 後宮に集められた宮女は、全員が不幸であるべきだ。自由に塀の外へ、門の外へ出られずに、我が身を嘆かなければならない。

 身分差をものともせず、姫君に信頼されて仲よくなる宮女など認めない。
 後宮の外にいる自分の方が、幸せでなければならない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

醜さを理由に毒を盛られたけど、何だか綺麗になってない?

京月
恋愛
エリーナは生まれつき体に無数の痣があった。 顔にまで広がった痣のせいで周囲から醜いと蔑まれる日々。 貴族令嬢のため婚約をしたが、婚約者から笑顔を向けられたことなど一度もなかった。 「君はあまりにも醜い。僕の幸せのために死んでくれ」 毒を盛られ、体中に走る激痛。 痛みが引いた後起きてみると…。 「あれ?私綺麗になってない?」 ※前編、中編、後編の3話完結  作成済み。

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました

歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。 昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。 入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。 その甲斐あってか学年首位となったある日。 「君のことが好きだから」…まさかの告白!

〖完結〗愛人が離婚しろと乗り込んで来たのですが、私達はもう離婚していますよ?

藍川みいな
恋愛
「ライナス様と離婚して、とっととこの邸から出て行ってよっ!」 愛人が乗り込んで来たのは、これで何人目でしょう? 私はもう離婚していますし、この邸はお父様のものですから、決してライナス様のものにはなりません。 離婚の理由は、ライナス様が私を一度も抱くことがなかったからなのですが、不能だと思っていたライナス様は愛人を何人も作っていました。 そして親友だと思っていたマリーまで、ライナス様の愛人でした。 愛人を何人も作っていたくせに、やり直したいとか……頭がおかしいのですか? 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全8話で完結になります。

冷徹公に嫁いだ可哀想なお姫様

さくたろう
恋愛
 役立たずだと家族から虐げられている半身不随の姫アンジェリカ。味方になってくれるのは従兄弟のノースだけだった。  ある日、姉のジュリエッタの代わりに大陸の覇者、冷徹公の異名を持つ王マイロ・カースに嫁ぐことになる。  恐ろしくて震えるアンジェリカだが、マイロは想像よりもはるかに優しい人だった。アンジェリカはマイロに心を開いていき、マイロもまた、心が美しいアンジェリカに癒されていく。 ※小説家になろう様にも掲載しています いつか設定を少し変えて、長編にしたいなぁと思っているお話ですが、ひとまず短編のまま投稿しました。

今日も学園食堂はゴタゴタしてますが、こっそり観賞しようとして本日も萎えてます。

柚ノ木 碧/柚木 彗
恋愛
駄目だこれ。 詰んでる。 そう悟った主人公10歳。 主人公は悟った。実家では無駄な事はしない。搾取父親の元を三男の兄と共に逃れて王都へ行き、乙女ゲームの舞台の学園の厨房に就職!これで予てより念願の世界をこっそりモブ以下らしく観賞しちゃえ!と思って居たのだけど… 何だか知ってる乙女ゲームの内容とは微妙に違う様で。あれ?何だか萎えるんだけど… なろうにも掲載しております。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

聖女の私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。

重田いの
ファンタジー
聖女である私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。 あのお、私はともかくお父さんがいなくなるのは国としてマズイと思うのですが……。 よくある聖女追放ものです。

処理中です...