後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

文字の大きさ
上 下
117 / 184
七章 毒の豆

1、松仁糖

しおりを挟む
 冬至も過ぎて、夜の長さに飽きる頃。医官の胡玲フーリンは悩んでいた。
 視線を感じるのだ。主に食堂や、後宮内を歩いているときに。

 じっとりと湿った視線だ。知りあいが、胡玲に気づいて見るような軽さではない。
 なのに、周囲を見まわしても胡玲を睨んでいる相手はいない。おそらくは、すぐに目を逸らしているのだろう。

「おはよう。胡玲フーリン
「おはようございます」

 食堂で朝食をとっている胡玲に、翠鈴ツイリン由由ヨウヨウが挨拶をした。
 ふたりとも一仕事を終えた後だ。起床後間もない女官や宮女と比べて、すっきりとした表情をしている。
 湯気の立つ豆腐脳トウフナオ油条ヨウティヤオという、定番の朝の献立だ。

「顔色が悪いわ。胡玲」

 胡玲の向かいの席に座った翠鈴が、声をかけてくれる。
 一時期は食堂を利用する女官や宮女の数が減っていたのだが。今は、以前のように賑わっている。というか混んでいる。

「眠れないの? 目の下に隈ができてるわね」
「分かりますか?」

 翠鈴は、胡玲の些細な変化にも気づいてくれる。
 自分では気づかないが。胡玲の声が、普段よりも小さいのだろう。翠鈴は少し身を乗りだして聞いている。
 こういう些細な心遣いが、人の心を掴むのだろうか。

 同じ司燈しとうの由由も、書令史の光柳クアンリュウも、桃莉タオリィ公主も。翠鈴をいたく気に入っている。

 翠鈴は夜中にこっそりと薬を売っているが。そんな彼女を「女炎帝じょえんてい」と呼んで、心酔している者もいる。
 さすがに胡玲は、女炎帝の正体を口にはしないが。

(翠鈴姐が後宮に来てくれるまでは、私が過労で倒れそうになっていても、気づく人なんていなかったんだけど)

 胡玲は、匙ですくったやわらかな豆腐を口に運んだ。よそってもらったばかりの翠鈴たちの豆腐脳と違い、胡玲の分は、すでに冷めてしまっている。

 厨房では火にかけた鍋から、もうもうと湯気が立っている。
 早々に食事を終えた人たちが、空になった食器を運んでいる。

 皿を洗うカチャカチャという音や、水を使う音。波のような話し声。翠鈴と由由の他愛ない会話を、胡玲はぼんやりと聞いていた。

 故郷の村にいた時。胡玲は、翠鈴を独り占めしていた。
 女の子らしくない翠鈴は、男子に人気はなかった。むしろ、夢見がちで甘い雰囲気の女の子がちやほやされていた。
 その目つきの鋭さを、翠鈴はよく茶化されていた。

――別に気にしなくていいわ。薬師に顔は関係ないから。

 強がりではなく、翠鈴は本当に気にしていないようだった。

(みんな、わかってない。男の子なんかより、翠鈴姐ツイリンジェのほうがすごいのに。薬の知識もあるし、勉強もしている。勇気だってある。それに優しいのに)

 故郷の村にいた頃は、翠鈴が認められないことに、胡玲はもやもやした気持ちを抱いていたが。
 今は逆に、翠鈴を「女炎帝」として心酔する女官や宮女ばかりで辟易する。

 女炎帝の正体を知らない人がほとんどだが。中には、未央宮の司燈と知っていて、黙っている人もいる。

(翠鈴姐は何も変わっていない。昔のままなのに。場所が変わるだけで、こんなにも評価が違ってしまうなんて)

 自分でも気づかぬうちに、ため息をついていたようだ。
 顔を上げた胡玲は、翠鈴と目が合った。

「胡玲。これ、あげる」

 翠鈴が向かいの席から手を伸ばす。胡玲のてのひらに、小さな紙の包みがふたつ載せられた。

「疲れた時は、甘いものよ」

 紙を開くと、琥珀色の飴が現れた。中に松の実が入っている松仁糖ソンレンタンだ。
 松の実は滋養強壮によい。飴に入っている量では、とうてい足りないが。一日五十粒ほど食べれば、健康を保持してくれるのだ。

「あ、ありがとう。翠鈴姐」

 にっこりと笑った翠鈴は、隣に座る由由にも飴をあげている。

(松の実や枸杞くこの実の効能に摂取量も、子供の頃に翠鈴姐ツイリンジェと覚えたっけ)

 干した枸杞の実がおいしくて。食べ過ぎて大人に怒られたこともあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

醜さを理由に毒を盛られたけど、何だか綺麗になってない?

京月
恋愛
エリーナは生まれつき体に無数の痣があった。 顔にまで広がった痣のせいで周囲から醜いと蔑まれる日々。 貴族令嬢のため婚約をしたが、婚約者から笑顔を向けられたことなど一度もなかった。 「君はあまりにも醜い。僕の幸せのために死んでくれ」 毒を盛られ、体中に走る激痛。 痛みが引いた後起きてみると…。 「あれ?私綺麗になってない?」 ※前編、中編、後編の3話完結  作成済み。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

【完結】記憶を失くした旦那さま

山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。 目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。 彼は愛しているのはリターナだと言った。 そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

旦那様、愛人を作ってもいいですか?

ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。 「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」 これ、旦那様から、初夜での言葉です。 んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと? ’18/10/21…おまけ小話追加

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...