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六章 出会い
9、手紙【2】
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「手紙は、やはり施潔華さまからですね」
お坊ちゃまは、行動が早いなぁ。
翠鈴は驚いた。
施家の屋敷はこの杷京にあるから。たしかにすぐに手紙を後宮に届けることはできる。
皇后陛下にせっつかれたのか。それとも潔華自身で考えたのかは分からないが。
でも。桃莉公主のことを嫌がっていれば、手紙も遅いはずだ。
不思議なものだ。桃莉の母親である蘭淑妃も、皇后との間に階級や身分を越えた友情があるのだから。
(まぁ、桃莉さまの場合は、それに性別も関わってくるんだけど)
「はやく、はやく」
桃莉に急かされて、翠鈴はたたまれた紙を開く。
潔華……本当の名は潔士だと聞いたが。七歳の男の子にしては、繊細できれいな字を書いている。
文字の最初の部分の墨が滲んでいるのは、何を書けばいいか迷ったのだろう。
まだ墨汁のにおいが残っている。潔華も、使いを急かして手紙を届けさせたのかもしれない。
「お元気ですか、桃莉さま。この間はたくさんお話しできて、楽しかったです」
「タオリィもたのしかったよ」
床に座った状態の翠鈴の背中に、桃莉がのしかかってくる。さらりとした黒髪が、翠鈴の頬を撫でた。
手紙を覗きこんでも、桃莉公主には何と書いてあるのかまだ読めないのだが。それでも興味津々だ。
その日にあったことを、潔華は日記のようにしたためている。その後で「接龍」をしようとの提案があった。
「せつりゅうって、なぁに?」
「しりとりですよ。たとえば、一心一意の次は、意味深長という風に。最後の言葉をつなげていくんです。これは四字熟語のしりとりなので、成語接龍といいます」
翠鈴の説明に、桃莉はぽかんとした表情を浮かべる。
「わかんない」
「わかんない、ですよね。難しいことは、潔華さまも求めていらっしゃらないと思いますよ。文字の勉強ですから。そうですね。初雪、次は雪白などどうでしょう。雪の文字が続いているでしょう?」
「……むずかしいよ」
桃莉は口を尖らせた。確かに難解ではあるが。近いうちに桃莉も公主として勉強を始めなければならない。
「わたしもお手伝いしますし。もちろんお母さまも、侍女頭の梅娜さまも一緒に考えてくださいますよ」
「それなら、いいよ」
翠鈴の首にまわした腕に、桃莉はぎゅっと力を込めた。
ここで接龍を断ってしまえば、潔華との縁が切れると恐れたのだろうか。
(潔士さまでしたっけ。そんなに冷たいようには、お見受けしなかったけれど。これは黙っておいた方がいいかな)
それにしても。いつか潔華は、女の子ではないと桃莉公主に明かさなければならない。
桃莉は、それを受け入れることができるだろうか。
◇◇◇
数日後の午後。光柳が未央宮にやって来た。
「ごようがあるなら、このタオリィをたおしてから、おはいりなさい」
どこで覚えたのやら。桃莉公主は、未央宮の門の前でふんぞり返った。
「はいはい。お姫さま。ご機嫌麗しゅう」
「うるわしくないもん」
どうやら桃莉は、ご機嫌斜めらしい。口を尖らせている。
まぁ、立ちはだかったところで所詮は五歳の女の子。
「失礼しますよ。公主」
そう告げて、光柳は桃莉公主の両脇に手を入れた。
そのままひょいっと持ちあげる。
宙に浮かんだことが楽しいのだろう。一瞬、桃莉の表情が輝いた。
「蘭淑妃の元に、お連れすればよろしいですか?」
「ち、ちがうもん。タオリィは……その」
勇ましい口調が、どんどん自信なさげに小さくなっていく。
桃莉が手に持っているのは筆だ。それに墨壺と、握りつぶされた紙。
「ははぁー。勉強から逃げてきましたね」
「光柳さま。しっ」
繊細なくせに無神経な光柳の言葉を、雲嵐が制する。だが、すでに時は遅し。桃莉はぷくーっと頬をふくらませてしまった。
「どうして光柳さまは、口から発する言葉を選ばないんですか」
「……そんなに失礼なことを言ったか?」
雲嵐に叱られて、光柳は首を傾げた。
――事実を指摘されると、人は傷つくこともあるのです。
口だけを動かして、なぜ桃莉が怒ったのかを雲嵐は説明してくれた。
(難しい)
光柳は頭を抱えたくなった。
とくに女性と話すときは、言葉を選ばないと後が厄介だ。だが、後宮には女性が溢れている。
「桃莉さま。ほら、ご覧なさい」
光柳は、桃莉をさらに高く持ちあげる。
「指で弾けば音がしそうな空でしょう? 寒さで空が張りつめたような青ですね」
「おと、するの?」
「耳には聞こえずとも、心には届きますよ」
おお、さすがは詩人だ。とでもいう風に、雲嵐が光柳の言葉にうなずいている。
桃莉は、右手を上げた。
親指にあてた人さし指を、ぴんっと弾く。
「はりつめた、あおっ」
「これが冬の空ですよ。杷京の冬は寒くて曇りがちですが。晴れた日はとても美しいんです」
光柳は、柔らかに目を細めた。
「うんっ。おてがみにかくね。あのね、もじ、おしえて」
桃莉の声は軽やかだ。
「手紙? どなたにですか?」
「ジエホアおねえさま」
誰だ、それは? と光柳と雲嵐が視線を交わした。
お坊ちゃまは、行動が早いなぁ。
翠鈴は驚いた。
施家の屋敷はこの杷京にあるから。たしかにすぐに手紙を後宮に届けることはできる。
皇后陛下にせっつかれたのか。それとも潔華自身で考えたのかは分からないが。
でも。桃莉公主のことを嫌がっていれば、手紙も遅いはずだ。
不思議なものだ。桃莉の母親である蘭淑妃も、皇后との間に階級や身分を越えた友情があるのだから。
(まぁ、桃莉さまの場合は、それに性別も関わってくるんだけど)
「はやく、はやく」
桃莉に急かされて、翠鈴はたたまれた紙を開く。
潔華……本当の名は潔士だと聞いたが。七歳の男の子にしては、繊細できれいな字を書いている。
文字の最初の部分の墨が滲んでいるのは、何を書けばいいか迷ったのだろう。
まだ墨汁のにおいが残っている。潔華も、使いを急かして手紙を届けさせたのかもしれない。
「お元気ですか、桃莉さま。この間はたくさんお話しできて、楽しかったです」
「タオリィもたのしかったよ」
床に座った状態の翠鈴の背中に、桃莉がのしかかってくる。さらりとした黒髪が、翠鈴の頬を撫でた。
手紙を覗きこんでも、桃莉公主には何と書いてあるのかまだ読めないのだが。それでも興味津々だ。
その日にあったことを、潔華は日記のようにしたためている。その後で「接龍」をしようとの提案があった。
「せつりゅうって、なぁに?」
「しりとりですよ。たとえば、一心一意の次は、意味深長という風に。最後の言葉をつなげていくんです。これは四字熟語のしりとりなので、成語接龍といいます」
翠鈴の説明に、桃莉はぽかんとした表情を浮かべる。
「わかんない」
「わかんない、ですよね。難しいことは、潔華さまも求めていらっしゃらないと思いますよ。文字の勉強ですから。そうですね。初雪、次は雪白などどうでしょう。雪の文字が続いているでしょう?」
「……むずかしいよ」
桃莉は口を尖らせた。確かに難解ではあるが。近いうちに桃莉も公主として勉強を始めなければならない。
「わたしもお手伝いしますし。もちろんお母さまも、侍女頭の梅娜さまも一緒に考えてくださいますよ」
「それなら、いいよ」
翠鈴の首にまわした腕に、桃莉はぎゅっと力を込めた。
ここで接龍を断ってしまえば、潔華との縁が切れると恐れたのだろうか。
(潔士さまでしたっけ。そんなに冷たいようには、お見受けしなかったけれど。これは黙っておいた方がいいかな)
それにしても。いつか潔華は、女の子ではないと桃莉公主に明かさなければならない。
桃莉は、それを受け入れることができるだろうか。
◇◇◇
数日後の午後。光柳が未央宮にやって来た。
「ごようがあるなら、このタオリィをたおしてから、おはいりなさい」
どこで覚えたのやら。桃莉公主は、未央宮の門の前でふんぞり返った。
「はいはい。お姫さま。ご機嫌麗しゅう」
「うるわしくないもん」
どうやら桃莉は、ご機嫌斜めらしい。口を尖らせている。
まぁ、立ちはだかったところで所詮は五歳の女の子。
「失礼しますよ。公主」
そう告げて、光柳は桃莉公主の両脇に手を入れた。
そのままひょいっと持ちあげる。
宙に浮かんだことが楽しいのだろう。一瞬、桃莉の表情が輝いた。
「蘭淑妃の元に、お連れすればよろしいですか?」
「ち、ちがうもん。タオリィは……その」
勇ましい口調が、どんどん自信なさげに小さくなっていく。
桃莉が手に持っているのは筆だ。それに墨壺と、握りつぶされた紙。
「ははぁー。勉強から逃げてきましたね」
「光柳さま。しっ」
繊細なくせに無神経な光柳の言葉を、雲嵐が制する。だが、すでに時は遅し。桃莉はぷくーっと頬をふくらませてしまった。
「どうして光柳さまは、口から発する言葉を選ばないんですか」
「……そんなに失礼なことを言ったか?」
雲嵐に叱られて、光柳は首を傾げた。
――事実を指摘されると、人は傷つくこともあるのです。
口だけを動かして、なぜ桃莉が怒ったのかを雲嵐は説明してくれた。
(難しい)
光柳は頭を抱えたくなった。
とくに女性と話すときは、言葉を選ばないと後が厄介だ。だが、後宮には女性が溢れている。
「桃莉さま。ほら、ご覧なさい」
光柳は、桃莉をさらに高く持ちあげる。
「指で弾けば音がしそうな空でしょう? 寒さで空が張りつめたような青ですね」
「おと、するの?」
「耳には聞こえずとも、心には届きますよ」
おお、さすがは詩人だ。とでもいう風に、雲嵐が光柳の言葉にうなずいている。
桃莉は、右手を上げた。
親指にあてた人さし指を、ぴんっと弾く。
「はりつめた、あおっ」
「これが冬の空ですよ。杷京の冬は寒くて曇りがちですが。晴れた日はとても美しいんです」
光柳は、柔らかに目を細めた。
「うんっ。おてがみにかくね。あのね、もじ、おしえて」
桃莉の声は軽やかだ。
「手紙? どなたにですか?」
「ジエホアおねえさま」
誰だ、それは? と光柳と雲嵐が視線を交わした。
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