110 / 173
六章 出会い
6、潔華ではない
しおりを挟む
未央宮に戻った桃莉は、興奮気味だった。
蘭淑妃にまとわりついて、さっき出会った潔華の話ばかりをしている。
「とってもすてきなおねえさまだったのよ。はるになったら、またあそびましょうって、やくそくしてくれたの」
「そう、よかったわね。桃莉」
椅子に座った蘭淑妃の膝に乗って、桃莉は楽しそうに語っている。
寿華宮に着くまでは、皇后に腹帯を渡すという大役に、緊張していたはずなのに。
「淑妃さま。湿布の貼り替えをしてもよろしいでしょうか」
キハダの木の皮である黄栢、クチナシの実、百草霜という様々な草の炭。それに薄荷などを粉にしたものを、湿布に用いる。
水で溶いた粉を布に塗り、捻挫した足に貼るのだ。
「ね、ツイリンもみたでしょ。ジエホアさま」
「はい。拝見しましたよ」
どろりとした黒っぽい緑の薬を、桃莉は興味深そうに覗いている。
「ジエホアさまにね、おてがみをだすの。タオリィ。もじのおべんきょうをしなくっちゃ」
いつになく桃莉ははしゃいでいる。
それほどに年の近い友達が嬉しかったのだろう。
(皇后陛下も罪なことをなさる)
翠鈴は心の中でため息をついた。
「桃莉。お母さまは今から、翠鈴に捻挫の手当てをしてもらうの。その間はお庭で遊んでいてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
蘭淑妃の膝からぴょんと飛び降りた桃莉は、走って部屋を出ていった。
扉が閉まった途端。蘭淑妃が声をひそめた。
「潔華という姪御さんは、皇后娘娘にはいらっしゃらないわ」
「ご存じでしたか」
翠鈴も低い声で応じる。
「あのお子さまは、男の子ですね。陛下のご子息以外は、子供といえども後宮には入れませんが」
皇后になら、親族や許可を得たものは謁見することができる。だが、皇后が暮らす寿華宮の奥に広がる後宮に立ち入ることはできない。
外部の人間は寿華宮の使用できる門が限られているのだ。後宮へとつながる門は、男性には開かれていない。
「当然、陛下には内緒なのでしょうね。たしか施潔士という甥御さんがいたはずよ」
なるほど。清らかな花が女の子の偽名で、清らかな知識人が本当の名前か。
優しそうなあの男の子に、似合っている。
翠鈴はひざまずき、蘭淑妃の足首に湿布を貼る。
強烈なにおいに、蘭淑妃は顔をしかめた。せっかく焚きしめた香が台無しだが、しょうがない。
「皇后娘娘は、桃莉のことを気に入ってくださったのね」
「蝮草の毒に耐えたことも、お褒めくださったそうです」
「そう。きっと皇后娘娘のお心遣いね」
蘭淑妃は、穏やかな光を通す窗に目を向けた。
ひとりでおとなしく遊んでいるのだろう。桃莉公主の声は聞こえない。
とても静かな午後だ。
「陛下のご意向であれば、桃莉は他国に嫁ぐことになります。それが国同士の繋がりを深めるのであれば、なおのこと」
「政略結婚ですか」
家同士が縁続きになるために、娘を嫁がせることはよくある。皇帝の血筋ともなれば、国同士になるのだろう。
そうなれば桃莉に断る術はない。
「桃莉は、陛下の初めての子供ですから。赤子の頃は、皇后娘娘にも可愛がってもらったのですよ」
「もしかすると。皇后陛下が潔華さまを招いたのは、淑妃さまのことを思いやってかもしれませんね」
「そうね」
蘭淑妃は目を細めた。
「わたくしも、桃莉が遠い国に嫁いで、二度と会えなくなるのは寂しいわ」
侍女が部屋にいないからだろうか。
湿布に使う薬のにおいに、思考が麻痺してしまったのだろうか。蘭淑妃は、語りはじめた。
入内した頃のことを。
蘭淑妃にまとわりついて、さっき出会った潔華の話ばかりをしている。
「とってもすてきなおねえさまだったのよ。はるになったら、またあそびましょうって、やくそくしてくれたの」
「そう、よかったわね。桃莉」
椅子に座った蘭淑妃の膝に乗って、桃莉は楽しそうに語っている。
寿華宮に着くまでは、皇后に腹帯を渡すという大役に、緊張していたはずなのに。
「淑妃さま。湿布の貼り替えをしてもよろしいでしょうか」
キハダの木の皮である黄栢、クチナシの実、百草霜という様々な草の炭。それに薄荷などを粉にしたものを、湿布に用いる。
水で溶いた粉を布に塗り、捻挫した足に貼るのだ。
「ね、ツイリンもみたでしょ。ジエホアさま」
「はい。拝見しましたよ」
どろりとした黒っぽい緑の薬を、桃莉は興味深そうに覗いている。
「ジエホアさまにね、おてがみをだすの。タオリィ。もじのおべんきょうをしなくっちゃ」
いつになく桃莉ははしゃいでいる。
それほどに年の近い友達が嬉しかったのだろう。
(皇后陛下も罪なことをなさる)
翠鈴は心の中でため息をついた。
「桃莉。お母さまは今から、翠鈴に捻挫の手当てをしてもらうの。その間はお庭で遊んでいてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
蘭淑妃の膝からぴょんと飛び降りた桃莉は、走って部屋を出ていった。
扉が閉まった途端。蘭淑妃が声をひそめた。
「潔華という姪御さんは、皇后娘娘にはいらっしゃらないわ」
「ご存じでしたか」
翠鈴も低い声で応じる。
「あのお子さまは、男の子ですね。陛下のご子息以外は、子供といえども後宮には入れませんが」
皇后になら、親族や許可を得たものは謁見することができる。だが、皇后が暮らす寿華宮の奥に広がる後宮に立ち入ることはできない。
外部の人間は寿華宮の使用できる門が限られているのだ。後宮へとつながる門は、男性には開かれていない。
「当然、陛下には内緒なのでしょうね。たしか施潔士という甥御さんがいたはずよ」
なるほど。清らかな花が女の子の偽名で、清らかな知識人が本当の名前か。
優しそうなあの男の子に、似合っている。
翠鈴はひざまずき、蘭淑妃の足首に湿布を貼る。
強烈なにおいに、蘭淑妃は顔をしかめた。せっかく焚きしめた香が台無しだが、しょうがない。
「皇后娘娘は、桃莉のことを気に入ってくださったのね」
「蝮草の毒に耐えたことも、お褒めくださったそうです」
「そう。きっと皇后娘娘のお心遣いね」
蘭淑妃は、穏やかな光を通す窗に目を向けた。
ひとりでおとなしく遊んでいるのだろう。桃莉公主の声は聞こえない。
とても静かな午後だ。
「陛下のご意向であれば、桃莉は他国に嫁ぐことになります。それが国同士の繋がりを深めるのであれば、なおのこと」
「政略結婚ですか」
家同士が縁続きになるために、娘を嫁がせることはよくある。皇帝の血筋ともなれば、国同士になるのだろう。
そうなれば桃莉に断る術はない。
「桃莉は、陛下の初めての子供ですから。赤子の頃は、皇后娘娘にも可愛がってもらったのですよ」
「もしかすると。皇后陛下が潔華さまを招いたのは、淑妃さまのことを思いやってかもしれませんね」
「そうね」
蘭淑妃は目を細めた。
「わたくしも、桃莉が遠い国に嫁いで、二度と会えなくなるのは寂しいわ」
侍女が部屋にいないからだろうか。
湿布に使う薬のにおいに、思考が麻痺してしまったのだろうか。蘭淑妃は、語りはじめた。
入内した頃のことを。
36
お気に入りに追加
704
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?
朱音ゆうひ
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!
「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」
王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。
不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。
もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた?
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる