110 / 184
六章 出会い
6、潔華ではない
しおりを挟む
未央宮に戻った桃莉は、興奮気味だった。
蘭淑妃にまとわりついて、さっき出会った潔華の話ばかりをしている。
「とってもすてきなおねえさまだったのよ。はるになったら、またあそびましょうって、やくそくしてくれたの」
「そう、よかったわね。桃莉」
椅子に座った蘭淑妃の膝に乗って、桃莉は楽しそうに語っている。
寿華宮に着くまでは、皇后に腹帯を渡すという大役に、緊張していたはずなのに。
「淑妃さま。湿布の貼り替えをしてもよろしいでしょうか」
キハダの木の皮である黄栢、クチナシの実、百草霜という様々な草の炭。それに薄荷などを粉にしたものを、湿布に用いる。
水で溶いた粉を布に塗り、捻挫した足に貼るのだ。
「ね、ツイリンもみたでしょ。ジエホアさま」
「はい。拝見しましたよ」
どろりとした黒っぽい緑の薬を、桃莉は興味深そうに覗いている。
「ジエホアさまにね、おてがみをだすの。タオリィ。もじのおべんきょうをしなくっちゃ」
いつになく桃莉ははしゃいでいる。
それほどに年の近い友達が嬉しかったのだろう。
(皇后陛下も罪なことをなさる)
翠鈴は心の中でため息をついた。
「桃莉。お母さまは今から、翠鈴に捻挫の手当てをしてもらうの。その間はお庭で遊んでいてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
蘭淑妃の膝からぴょんと飛び降りた桃莉は、走って部屋を出ていった。
扉が閉まった途端。蘭淑妃が声をひそめた。
「潔華という姪御さんは、皇后娘娘にはいらっしゃらないわ」
「ご存じでしたか」
翠鈴も低い声で応じる。
「あのお子さまは、男の子ですね。陛下のご子息以外は、子供といえども後宮には入れませんが」
皇后になら、親族や許可を得たものは謁見することができる。だが、皇后が暮らす寿華宮の奥に広がる後宮に立ち入ることはできない。
外部の人間は寿華宮の使用できる門が限られているのだ。後宮へとつながる門は、男性には開かれていない。
「当然、陛下には内緒なのでしょうね。たしか施潔士という甥御さんがいたはずよ」
なるほど。清らかな花が女の子の偽名で、清らかな知識人が本当の名前か。
優しそうなあの男の子に、似合っている。
翠鈴はひざまずき、蘭淑妃の足首に湿布を貼る。
強烈なにおいに、蘭淑妃は顔をしかめた。せっかく焚きしめた香が台無しだが、しょうがない。
「皇后娘娘は、桃莉のことを気に入ってくださったのね」
「蝮草の毒に耐えたことも、お褒めくださったそうです」
「そう。きっと皇后娘娘のお心遣いね」
蘭淑妃は、穏やかな光を通す窗に目を向けた。
ひとりでおとなしく遊んでいるのだろう。桃莉公主の声は聞こえない。
とても静かな午後だ。
「陛下のご意向であれば、桃莉は他国に嫁ぐことになります。それが国同士の繋がりを深めるのであれば、なおのこと」
「政略結婚ですか」
家同士が縁続きになるために、娘を嫁がせることはよくある。皇帝の血筋ともなれば、国同士になるのだろう。
そうなれば桃莉に断る術はない。
「桃莉は、陛下の初めての子供ですから。赤子の頃は、皇后娘娘にも可愛がってもらったのですよ」
「もしかすると。皇后陛下が潔華さまを招いたのは、淑妃さまのことを思いやってかもしれませんね」
「そうね」
蘭淑妃は目を細めた。
「わたくしも、桃莉が遠い国に嫁いで、二度と会えなくなるのは寂しいわ」
侍女が部屋にいないからだろうか。
湿布に使う薬のにおいに、思考が麻痺してしまったのだろうか。蘭淑妃は、語りはじめた。
入内した頃のことを。
蘭淑妃にまとわりついて、さっき出会った潔華の話ばかりをしている。
「とってもすてきなおねえさまだったのよ。はるになったら、またあそびましょうって、やくそくしてくれたの」
「そう、よかったわね。桃莉」
椅子に座った蘭淑妃の膝に乗って、桃莉は楽しそうに語っている。
寿華宮に着くまでは、皇后に腹帯を渡すという大役に、緊張していたはずなのに。
「淑妃さま。湿布の貼り替えをしてもよろしいでしょうか」
キハダの木の皮である黄栢、クチナシの実、百草霜という様々な草の炭。それに薄荷などを粉にしたものを、湿布に用いる。
水で溶いた粉を布に塗り、捻挫した足に貼るのだ。
「ね、ツイリンもみたでしょ。ジエホアさま」
「はい。拝見しましたよ」
どろりとした黒っぽい緑の薬を、桃莉は興味深そうに覗いている。
「ジエホアさまにね、おてがみをだすの。タオリィ。もじのおべんきょうをしなくっちゃ」
いつになく桃莉ははしゃいでいる。
それほどに年の近い友達が嬉しかったのだろう。
(皇后陛下も罪なことをなさる)
翠鈴は心の中でため息をついた。
「桃莉。お母さまは今から、翠鈴に捻挫の手当てをしてもらうの。その間はお庭で遊んでいてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
蘭淑妃の膝からぴょんと飛び降りた桃莉は、走って部屋を出ていった。
扉が閉まった途端。蘭淑妃が声をひそめた。
「潔華という姪御さんは、皇后娘娘にはいらっしゃらないわ」
「ご存じでしたか」
翠鈴も低い声で応じる。
「あのお子さまは、男の子ですね。陛下のご子息以外は、子供といえども後宮には入れませんが」
皇后になら、親族や許可を得たものは謁見することができる。だが、皇后が暮らす寿華宮の奥に広がる後宮に立ち入ることはできない。
外部の人間は寿華宮の使用できる門が限られているのだ。後宮へとつながる門は、男性には開かれていない。
「当然、陛下には内緒なのでしょうね。たしか施潔士という甥御さんがいたはずよ」
なるほど。清らかな花が女の子の偽名で、清らかな知識人が本当の名前か。
優しそうなあの男の子に、似合っている。
翠鈴はひざまずき、蘭淑妃の足首に湿布を貼る。
強烈なにおいに、蘭淑妃は顔をしかめた。せっかく焚きしめた香が台無しだが、しょうがない。
「皇后娘娘は、桃莉のことを気に入ってくださったのね」
「蝮草の毒に耐えたことも、お褒めくださったそうです」
「そう。きっと皇后娘娘のお心遣いね」
蘭淑妃は、穏やかな光を通す窗に目を向けた。
ひとりでおとなしく遊んでいるのだろう。桃莉公主の声は聞こえない。
とても静かな午後だ。
「陛下のご意向であれば、桃莉は他国に嫁ぐことになります。それが国同士の繋がりを深めるのであれば、なおのこと」
「政略結婚ですか」
家同士が縁続きになるために、娘を嫁がせることはよくある。皇帝の血筋ともなれば、国同士になるのだろう。
そうなれば桃莉に断る術はない。
「桃莉は、陛下の初めての子供ですから。赤子の頃は、皇后娘娘にも可愛がってもらったのですよ」
「もしかすると。皇后陛下が潔華さまを招いたのは、淑妃さまのことを思いやってかもしれませんね」
「そうね」
蘭淑妃は目を細めた。
「わたくしも、桃莉が遠い国に嫁いで、二度と会えなくなるのは寂しいわ」
侍女が部屋にいないからだろうか。
湿布に使う薬のにおいに、思考が麻痺してしまったのだろうか。蘭淑妃は、語りはじめた。
入内した頃のことを。
37
お気に入りに追加
729
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました
歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。
昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。
入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。
その甲斐あってか学年首位となったある日。
「君のことが好きだから」…まさかの告白!
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

〖完結〗死にかけて前世の記憶が戻りました。側妃? 贅沢出来るなんて最高! と思っていたら、陛下が甘やかしてくるのですが?
藍川みいな
恋愛
私は死んだはずだった。
目を覚ましたら、そこは見知らぬ世界。しかも、国王陛下の側妃になっていた。
前世の記憶が戻る前は、冷遇されていたらしい。そして池に身を投げた。死にかけたことで、私は前世の記憶を思い出した。
前世では借金取りに捕まり、お金を返す為にキャバ嬢をしていた。給料は全部持っていかれ、食べ物にも困り、ガリガリに痩せ細った私は路地裏に捨てられて死んだ。そんな私が、側妃? 冷遇なんて構わない! こんな贅沢が出来るなんて幸せ過ぎるじゃない!
そう思っていたのに、いつの間にか陛下が甘やかして来るのですが?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる