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五章 女炎帝

6、不審すぎる

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 橋を渡りはじめた陳燕チェンイェンを見て、翠鈴ツイリンは目をすがめた。

 陳燕の体の動きがおかしい。歩き方が左右で均等ではないのだ。妙に上体がぶれている。
 くんに隠れているが。陳燕は右足を引きずっていた。

 しかも左の頬が腫れている。布に油で溶いた薬を塗った湿布を張りつけてあるのだろう。ゴマ油の独特な匂いがした。

「どうかしたの?」
「え?」

 翠鈴に問いかけられて、今度は陳燕が呆気にとられた。

「女炎帝さまは、民に気さくでいらっしゃるの?」

 だから女神ではないんだけど。けれど、自分はあなたが毛嫌いしていた司燈ですよ、とも言いづらい。
 翠鈴は圍巾ウェイジンを引きあげた。
 絹のような、柔らかな手触りの襟巻だ。

「怪我は花盆沓かぼんくつのせいでしょうね。よろけたか、つまずいた? 顔は誰かに叩かれた?」
「すごいです!」

 夜の静けさを破るほどの大きな声だった。
 木の枝で眠っていた鳥が目を覚ましたのだろう。夜更けなのに「コォ」と啼く声が聞こえた。

 陳燕が一歩を踏みだす。橋の板が一部、ぎしりと音を立てた。

「さすがは女炎帝さまでいらっしゃいます。お分かりになるのですね。わたくしが叔父に足を引っかけられて、転んだことまで」

 いや、さすがにそこまでは分からないって。あなたの親族なんて知らないし。
 翠鈴はたじろいで、一歩下がった。

 けれど、陳燕は瞳を煌めかせている。
 今ここで正体を明かせば、どうなるだろう。陳燕は、最近はおとなしかったけれど。再び翠鈴にケンカをふっかけてくるのだろうか。
 それも面倒だ。

 さらに圍巾ウェイジンを上げて、目もとだけが見えるようにする。明らかに変質者だ。上質すぎる圍巾の使い方としては、間違っている。
 こんな不審な女神なんて、いないでしょ。

「湿布を貼っているということは、医局に行ったのでしょう? ならば、わたしの薬は不要です」

 陳燕に関わると、ろくなことがない。
 翠鈴は「それでは」と、立ち去ろうとした。
 だが、首が締まった。

「ちょ、なに、くるしっ」

 ふり返れば、陳燕が翠鈴の圍巾を掴んでいた。
 まるで「行かせてなるものか」とでもいうように。

「どうかわたくしをお救いください」
「だから、あなたを救うのは医局であって。わたしではないです」

 首が締まらないように、圍巾の間に翠鈴は指を突っ込んだ。
 なんなの? 彼女のこの必死さは。

「医師や医官は、叔父を懲らしめてはくれません。罰を与えてはくれません。だって……」

 陳燕は、目に涙を浮かべた。彼女の指先が震えている。

「叔父が、罰を与える側なんですもの」

 とうとう陳燕は、しゃくりあげて泣きはじめた。
 するりと陳燕の手が、翠鈴の圍巾から離れる。そのまま彼女は橋の上にしゃがみこんだ。

 あれほど高慢だった陳燕が、まるで幼女のように泣いている。肩を震わせ、声を殺して。
 
 橋面には夜露が降りて、しっとりと濡れている。陳燕がはいている裙の裾も濡れてしまうだろうに。気にする余裕もなさそうだ。

「話ぐらいなら聞きますよ」

 もう帰ろうと思ったのに。翠鈴は肩を落とした。

「女炎帝さまぁ」

 うん、違うから。
 そういう純粋な瞳で見つめるのは、やめてくれないかな。どうせ正体を知った途端に「騙された」とか「嘘つき」って罵るだろうに。

 それでも。きれいな涙をぽろぽろとこぼす陳燕に、翠鈴は手帕ハンカチを差しだした。
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