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四章 猛毒草
6、あなたには聞いてない
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明らかに具合の悪い蔡昭媛だが。
翠鈴が診る限りでは、病気という訳ではなさそうだ。
(まぁ、わたしは薬師だから。ちゃんと医師に診てもらったほうがいいんだけど)
対面して座る蔡昭媛の指は細い。たおやかというよりも、肉が落ちている感じだ。手にも厚みがない。
蘭淑妃は、内側から輝くような白い肌をしているが。蔡昭媛の肌は、不健康に青白い。
(影が薄いだけじゃなくて。体自体も細くて薄いんだ)
生きる気力が弱いのだろう、と翠鈴は考えた。
「食事はちゃんと摂っておいでですか?」
「あまり食欲がなくて」
「そうですよ。せっかく厨房でこしらえた食事も、残しておしまいになるんですから」
翠鈴に答える蔡昭媛の言葉よりも、侍女の范敬の声の方が大きい。
困るなぁ。こういうの。
患者さんの声の調子や、言葉や思考が明瞭であるかも知りたいのに。
「夜は、ちゃんと眠っていらっしゃいますか? 眠りが浅いのではありませんか?」
「何を言うの! ちゃんと湿気がこもらないように、布団だって日に干して乾燥させているわ。主が嬪だからって、手を抜いたりしていないわよ」
范敬がまくし立てる。
いきり立つ侍女をなだめようとして、蔡昭媛はそっと手を伸ばした。
けれど范敬は、女主人がかすかに諫めているのにも気づく様子がない。
「あなた達は、淑妃さまにお仕えしているから。さぞや鼻が高いでしょうね。確か特別に観月の宴を、陛下が催されたそうじゃない。皇后さまと四夫人。それぞれに趣向を変えて月見を楽しむとか。せめて九嬪にももっと心を配っていただきたいものだわ」
だめだ。
カタンッ! と音が響いた。
范敬は驚いたように、口を開いたままで固まった。
翠鈴が椅子から立ち上がったのだ。
「うるさいですね。わたしは、患者さんに伺っているんです」
「な、なによ」
「あなたがさっきから何度も口にしているように。ここは蘭淑妃さまの未央宮。侍女が同席せずとも、昭媛さまに危害など加えません」
翠鈴は扉を指さした。
「出ていけ」とは言えない。一介の宮女が、侍女に命じることなどできないからだ。
「どうぞ、別室でお待ちください」
「そんなこと、できるわけないでしょう」
「わたしは『別室でお待ちください』と、お願いしているんです」
自分でも声が尖っているのを、翠鈴は感じた。
「主のことは、私が一番よく知っているわ。昭媛さまは、ご自分では何もおっしゃることができないのだから。意見すら持っていないのだから。私が代わって答えた方が早いのよ」
「それはあなたが昭媛さまが口を開くより先に、答えてしまうからでしょう?」
まくしたてる侍女の声は熱を帯びているが。翠鈴の声は冷ややかだ。
「薬師としての私は、患者ではないあなたには話を訊いていないんです」
范敬は肌がひりつくのか、手の甲をさすっている。その指が小刻みに震えていた。
「お願い。薬師のかたの言うとおりに、して」
「ですが。雪雪さま」
なおも、退出を拒もうとする范敬だが。翠鈴は「おや?」と片方の眉を上げた。
侍女が女主人をさしおいて、でしゃばっているのかと思ったが。そうではないようだ。
主を雪雪と呼ぶとは。かなり近しい仲なのだろう。
昭媛を守ろうとして、逆上しているのかもしれないけれど。やはり、場はわきまえてほしい。
侍女が部屋を出て行った後。室内はあまりにも静かだった。
炭が爆ぜる幽かな音さえも、大きく聞こえるほどだ。
雪交じりの風が、窗に張られた紙を叩いている。
「わたくしが眠れないの……わかりますか?」
「はい。食事も、味があまりお分かりにならないのではないですか」
「そのとおりです」
蔡昭媛はうなずいた。
「気虚の状態かもしれません。まずは睡眠をしっかりととること。と言っても、寝られないんですよね」
てっきり「睡眠をとること」で話を切り上げられると思ったのだろう。蔡昭媛は、驚いたように目を開いた。
「そうです。そうなんです」
椅子から身を乗りだして、蔡昭媛が翠鈴の両腕にしがみつく。袖の布を通しても、彼女の指の冷たさが分かる。
「聞いてほしいことがあれば、伺いますよ」
「ですが……」
蔡昭媛は、扉の方をちらっと見遣った。
「大丈夫です。侍女に知られたくないのでしたら、他言はしません」
気虚の状態ならば、医局で薬を出してもらえるだろう。服薬までいかずとも、ナツメを蜂蜜で甘く煮て食べるのもよい。
けれど、蔡昭媛に必要なのは言葉だろう。
彼女の口から、鬱々とした思いを吐きだすことで。それを人に聞いてもらうことで、気持ちは軽くなる。
翠鈴が診る限りでは、病気という訳ではなさそうだ。
(まぁ、わたしは薬師だから。ちゃんと医師に診てもらったほうがいいんだけど)
対面して座る蔡昭媛の指は細い。たおやかというよりも、肉が落ちている感じだ。手にも厚みがない。
蘭淑妃は、内側から輝くような白い肌をしているが。蔡昭媛の肌は、不健康に青白い。
(影が薄いだけじゃなくて。体自体も細くて薄いんだ)
生きる気力が弱いのだろう、と翠鈴は考えた。
「食事はちゃんと摂っておいでですか?」
「あまり食欲がなくて」
「そうですよ。せっかく厨房でこしらえた食事も、残しておしまいになるんですから」
翠鈴に答える蔡昭媛の言葉よりも、侍女の范敬の声の方が大きい。
困るなぁ。こういうの。
患者さんの声の調子や、言葉や思考が明瞭であるかも知りたいのに。
「夜は、ちゃんと眠っていらっしゃいますか? 眠りが浅いのではありませんか?」
「何を言うの! ちゃんと湿気がこもらないように、布団だって日に干して乾燥させているわ。主が嬪だからって、手を抜いたりしていないわよ」
范敬がまくし立てる。
いきり立つ侍女をなだめようとして、蔡昭媛はそっと手を伸ばした。
けれど范敬は、女主人がかすかに諫めているのにも気づく様子がない。
「あなた達は、淑妃さまにお仕えしているから。さぞや鼻が高いでしょうね。確か特別に観月の宴を、陛下が催されたそうじゃない。皇后さまと四夫人。それぞれに趣向を変えて月見を楽しむとか。せめて九嬪にももっと心を配っていただきたいものだわ」
だめだ。
カタンッ! と音が響いた。
范敬は驚いたように、口を開いたままで固まった。
翠鈴が椅子から立ち上がったのだ。
「うるさいですね。わたしは、患者さんに伺っているんです」
「な、なによ」
「あなたがさっきから何度も口にしているように。ここは蘭淑妃さまの未央宮。侍女が同席せずとも、昭媛さまに危害など加えません」
翠鈴は扉を指さした。
「出ていけ」とは言えない。一介の宮女が、侍女に命じることなどできないからだ。
「どうぞ、別室でお待ちください」
「そんなこと、できるわけないでしょう」
「わたしは『別室でお待ちください』と、お願いしているんです」
自分でも声が尖っているのを、翠鈴は感じた。
「主のことは、私が一番よく知っているわ。昭媛さまは、ご自分では何もおっしゃることができないのだから。意見すら持っていないのだから。私が代わって答えた方が早いのよ」
「それはあなたが昭媛さまが口を開くより先に、答えてしまうからでしょう?」
まくしたてる侍女の声は熱を帯びているが。翠鈴の声は冷ややかだ。
「薬師としての私は、患者ではないあなたには話を訊いていないんです」
范敬は肌がひりつくのか、手の甲をさすっている。その指が小刻みに震えていた。
「お願い。薬師のかたの言うとおりに、して」
「ですが。雪雪さま」
なおも、退出を拒もうとする范敬だが。翠鈴は「おや?」と片方の眉を上げた。
侍女が女主人をさしおいて、でしゃばっているのかと思ったが。そうではないようだ。
主を雪雪と呼ぶとは。かなり近しい仲なのだろう。
昭媛を守ろうとして、逆上しているのかもしれないけれど。やはり、場はわきまえてほしい。
侍女が部屋を出て行った後。室内はあまりにも静かだった。
炭が爆ぜる幽かな音さえも、大きく聞こえるほどだ。
雪交じりの風が、窗に張られた紙を叩いている。
「わたくしが眠れないの……わかりますか?」
「はい。食事も、味があまりお分かりにならないのではないですか」
「そのとおりです」
蔡昭媛はうなずいた。
「気虚の状態かもしれません。まずは睡眠をしっかりととること。と言っても、寝られないんですよね」
てっきり「睡眠をとること」で話を切り上げられると思ったのだろう。蔡昭媛は、驚いたように目を開いた。
「そうです。そうなんです」
椅子から身を乗りだして、蔡昭媛が翠鈴の両腕にしがみつく。袖の布を通しても、彼女の指の冷たさが分かる。
「聞いてほしいことがあれば、伺いますよ」
「ですが……」
蔡昭媛は、扉の方をちらっと見遣った。
「大丈夫です。侍女に知られたくないのでしたら、他言はしません」
気虚の状態ならば、医局で薬を出してもらえるだろう。服薬までいかずとも、ナツメを蜂蜜で甘く煮て食べるのもよい。
けれど、蔡昭媛に必要なのは言葉だろう。
彼女の口から、鬱々とした思いを吐きだすことで。それを人に聞いてもらうことで、気持ちは軽くなる。
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