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四章 猛毒草

5、頭を抱える光柳

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 光柳クアンリュウは、書令史の部屋で頭を抱えていた。

「こういうのは私の仕事ではないだろう」

 机上には、帝からの書状が置いてある。

――蔡昭媛ツァイしょうえんが虐げられていると伝え聞いた。妃嬪の間のことに朕は口を挟めぬ。そなたが善処するように。

「善処ってなんだよ」

 とうとう光柳は、机に突っ伏してしまった。ぶつぶつと吐いた言葉が、天井へと昇っていく。
 雲嵐ユィンランがお茶を淹れてくれたが。悩んでいたせいで、飲む前に冷めてしまった。

蔡昭媛ツァイしょうえんさまですか。あまりお聞きしない名ですね」
「だろうな。九嬪の中でも印象が薄いからな。陛下もろくに関係も持っておらぬだろう。蔡家自体も過去に栄えた家だからな」

 光柳はため息をついた。
 皇后や四夫人ともなれば、陛下も足しげく通うのだが。
 その下の側室となると、愛される者と愛されない者の差が、あまりにも明確だ。

「なんで妻と側室で、百二十一人もいるんだよ。考えてもみろ、雲嵐。世継ぎが必要にしても、妃嬪が多すぎる。後継者ばかりになるから、王位をめぐって内乱が勃発する」

 妃や側室だけの問題ではない。
 彼女たちの背後には、実家である貴族や名家が存在する。外戚がいせきが国政に口を挟むこともある。

 光柳がしばらく後宮を空けていた間に積まれていた仕事は、手早く済ませたのだが。
 仕事が早いのも問題なのだろう。
 こうして、余分な案件が持ち込まれてしまう。

「女性の園である後宮でいじめがあった場合。宦官というていをとっておられますが、男性である光柳さまが介入なさるのは、悪手かと思います」
「だよなっ。そうだよな」

 雲嵐の言葉に、光柳は声に力を込めた。
 さすがに付き合いが長いので、雲嵐は主の気持ちを代弁もできる。
 そのせいで、雲嵐の気苦労が多いともいえるが。

(まぁ、仕方のないことだ。光柳さまには理解はできても、感情として納得はおできにならないだろう)

 陛下はアホほど……いや、膨大な数の側室をお持ちになりながら。目を配ることもなさらず、面倒ごとがあれば下の者に「なんとかしろ」と放り投げる。
 しかも内密に解決しろとは、無茶苦茶すぎる。

「……なんか、会いたくなった」

 机の上に両腕をだらんと置いた光柳が、瞼を閉じる。

「ダメですよ。翠鈴ツイリンは忙しいんです」
「今は司燈しとうの仕事の時間ではないぞ」
「……昼間は雑事があるんですよ。光柳さま。そういう身勝手さは嫌われますよ」

 ただでさえ、翠鈴のことを振り回しているのに。

「光柳さまが向かうべきは、未央宮ではなく。蔡昭媛の元です」
「えー。今、行かないとダメなのか?」
「行ったという事実だけでも、作っておかないと。陛下も納得なさらないでしょう」

 光柳は渋々立ち上がった。

「そういえば、私は誰に会いたいとまでは口にしていないのに。なんで翠鈴だと分かるんだ?」
「分かりますよ」

 というか、分からないわけないでしょう。雲嵐は呆れた。

「やっぱり後宮を……いや、王宮を出たいなぁ」と、呟きながら光柳は部屋を出た。

◇◇◇

 未央宮を訪れた蔡昭媛は、歩くだけでも息が上がっている。

 上空の風に雲が流されたのだろう。
 晴れているのに、粉雪が落ちてきた。

「椅子にお座りになれますか? 横になった方が楽でしたら、長椅子を用意してもらいますが」
「いえ、平気、です」

 はかない笑顔だ。蔡昭媛は、今にも消えそうに影が薄い。年は二十一、二歳といったところか。
 本来の翠鈴の年に近いだろう。
 側に立つ昭媛の侍女は、顔をしかめている。

(医者を呼ぶか、医局に行けばいいものを、って感じかな。まぁ、普通はわたしの所には来ないよね)

「失礼します」と声をかけて、翠鈴は蔡昭媛の手を取った。

 脈を測る。
 次に目を見る。瞳孔、瞼の裏ともに問題はなさそうだ。
 咳もない。座っているあいだに、呼吸の荒さも治まったようだ。

「熱もないですね」
「あの?」
「何か変わったものを召し上がりましたか?」

 目の前の椅子に座る翠鈴を、蔡昭媛は凝視した。

「いいえ……いいえ。わたくしは、なにも」
「そうですよ。食事にはちゃんと気をつけております。こちらの淑妃さまほど厳重にではなくとも、異物が混入していないか、管理はちゃんとしています」

 脇から侍女の范敬ファンジンが口を挟んだ。
 語調がきつい。明らかに怒っている。

「あの。別に毒を盛られましたか? とは訊いていませんよ」

 翠鈴は目をすがめた。
 ただでさえ目つきの悪い翠鈴に睨まれて、范敬は口をつぐむ。

「これ以上、問題を起こさないでいただきたいんです」

 侍女の言葉は、翠鈴にではなく主である蔡昭媛に向けられていた。
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