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三章 湯泉宮と雲嵐の過去

15、親切と毒

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「毒? どういうことだ?」

 光柳の声に、船着き場に集まった人たちが注目する。
 翠鈴は、唇の前で人さし指を立てた。

「金持ちが狙われます。光柳さまも雲嵐さまも、身なりがよろしいですからね。あれ、たぶん馬醉木あせびの毒ですね」
「馬醉木とは、鈴蘭に似た花を咲かせる木か」

 光柳の問いかけに、翠鈴はうなずいた。

「あの箒には、葉が何枚も付着していました。馬醉木の葉は特徴があるんです。葉の上半分に浅いぎざぎざの鋸歯きょしがあります」

 くたくたに煮込まれてしまえば見分けにくいが。中には、湯の表面から出ていたものもあるのだろう。
 目を凝らせば、葉は判別できる。

「観察眼が鋭いな」
「そのせいで、目つきが悪いんですが」

 翠鈴は、周囲の景色に視線を向けた。
 生えているのは水辺らしく柳が多い。だが、それ以外の木も植えられている。

「ああ、ありますね。花が咲いていないし、遠いので確実ではないですが。馬醉木あせびです」

 次の舟を決めないといけないので、翠鈴は手短に話した。

「馬醉木の葉を集めて、釜でぐつぐつと煮ると。毒液の完成です」
「そんな簡単な料理みたいに」

 雲嵐はひたいを手で押さえた。

「虫よけに効くんですよ。箒を毒液にひたして、それを畑にまくんです。青虫、毛虫、葉ダニ、アブラムシ。野菜や薬草を食い荒らす害虫退治に用いるんです」
「我々は虫か。客を退治してどうする」

 光柳は、呆れたような声を出した。

「客を退治はしませんが。馬醉木は人間にも有毒です。嘔吐やめまいを起こします。舟の上ならば、毒にやられても船酔いで済まされます」

 箒に毒液をしみこませておいて、客が触れそうな場所を箒で拭う。
 舟頭は馬醉木の液に触れることもなく、簡単に毒舟の出来上がりだ。

 人は自分でも気づかぬうちに、口や鼻、目の辺りに触れるクセがある。
 わざわざ毒液を飲ませなくてもいい。むしろ飲ませないことで、足がつかない。

 客の具合が悪くなっても、さすがに金品を盗んで客を水路に落とすことまではないだろう。
 悪い噂が立てば、他の客に警戒されるからだ。翠鈴は考えた。

「巧妙な罠ですよ。親切な舟頭はきっと哀れな舟酔いの客を医者へと連れていきます」
「客は感謝するな。当然」

 光柳の言うとおりだ。

「舟頭と医者がグルなのでしょうね。医者も患者を連れてきてもらえますし。朝食の時に女給さんが話していたでしょう? 最近、舟に酔う人が多いと」

 そうして近場の医者へと、せっせと舟酔いもどきの患者を運ぶ。

 最初に契約した行先がどんなに遠くとも、結局客は町からは出られない。
 舟頭が親切に医者まで連れて行ってくれたのだから、前払いの運賃を戻せとも言いづらい。

「たちの悪い商売だな」
「地元の人を狙わないところが、いやらしいですね。旅の者なら、どこで医者に診てもらえばいいのかすら、分かりませんから」

 光柳は「気をつけるとしよう」と、うなずいた。

 ◇◇◇

 新たに選んだ舟は快適だった。
 舟頭の櫂の遣い方がうまいのだろうか。まるで滑るように水面を進んでいく。

 川沿いの長廊ちょうろうに吊るされた紅灯籠は、五つが連なった派手なものが多い。夜には赤い光が川面に映りこんで、さぞや幻想的だろう。

 狭い川に掛かる石橋は弓状になっており、舟を通す半円の部分が水面に映り、完全な円に見える。

「月は満ち 鳥はさえずり 花海棠はなかいどうは水に落つ 一夜の約束は守られず 橋の上にて我は待つ 舟の水脈みおが消えるまで 次の舟が過ぎるまで せめて空が白むまで」

 吐息のように、光柳が詩を詠んだ。
 待てども待てども来ぬ人を、せめてあと少し、ほんの少しと。そんな切なさが伝わってくる。

「おっ。兄さん、うまいねぇ」
「ありがとうございます。ちょっとした趣味程度ですが」

 初老の舟頭に褒められて、光柳ははにかんだ。

 ちょっとしたどころか。本職です。後宮では妃たちが新作を焦がれている詩人なんですよ、この人。

(ああ、言いたい)

 翠鈴は思った。けれど、それは無理だ。

 光柳自身が詩を生業とすることを明かしていないのに。どうして周囲の者が、本人に代わって自慢できるだろう。
 いや、それよりもさっきの詩を書きとめておいた方が、いいんじゃないかな。

「雲嵐さま。筆と紙をお持ちですか?」
「あ、ああ。毛筆ではなく、竹の筆記用具だが」
「充分です」

 礼を告げて、翠鈴は筆記具を借りた。墨壺すみつぼに筆をつける。
 さっき光柳が戯れに詠んだのはどんな詩だったか。

 思いだそうとするが、うまくいかない。

「雲嵐さま」
「なんですか? 翠鈴」
「もしかして光柳さまは、ああやって戯れに詩を無駄に吐いてしまってませんか?」

 無駄に吐くって、とでも言いたげに雲嵐が目を丸くした。

「そうですね。心を動かされたときは、なにやら言葉を風に乗せておられますね」

 もったいない!
 翠鈴は頭を抱えた。

 光柳には、誰かひとり筆記する者をつけるべきだ。
 彼は何の気なしに、才能をぽろぽろとこぼしている。
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