上 下
56 / 175
三章 湯泉宮と雲嵐の過去

7、困った人

しおりを挟む
 今から十六、七年前のことだ。
 十一歳になった雲嵐は、宦官としての修行をしていた。

 本来、子供のうちに宦官になった者は、女性のような声になる。つるりとした肌と、中性的な外見になる。
 雲嵐は、妖艶な宦官というよりも均衡のとれた体つきの武官に見える。声も高くはない。

「光柳さまが十歳の頃でしたね。後宮にいらっしゃった頃も、離宮に移られてからも。同年代の遊び相手もおらず、大人の中に、子供ひとりでいらっしゃいました」

 なるほど、雲嵐は光柳の話し相手に任命されたわけか。
 主従であり、友としてふるまえと命じられる。
 母が女官とはいえ、父は帝の子。かたやかつては奴隷であった異民族の子。
 なかなかに大変だ。

 翠鈴はうなずいた。

「仲よくなるのは、難しかったのでは?」
「はい。光柳さまはクソ生意気なガキ……いえ、お子さまでいらっしゃいましたよ」

 うわぁ。言いたい放題だ。
 翠鈴はちらっと横目で、椅子に座る光柳に目を向けた。

 そんなことは重々承知なのか。光柳は、山査子条さんざしじょうをつまんでいる。
 山査子の実と砂糖、水飴を煮詰めて、棒状に固めたものだ。

 甘酸っぱくておいしいのだが。まだ菜包ツァイパオ肉包ロウパオも食べ終えていないのに。
 女装のままだから、山査子条も似合うけれど。やっぱり摘まみ方が雑というか、男性だ。

(まぁ、ほかの人がいる前では雲嵐さまも、光柳さまには丁寧に接してるし。ここだけで、かな?)

 そこに雲嵐の信頼があることを、翠鈴は気づいていない。

 翠鈴はふだんから口が堅く、余計なことを言いふらしもしない。無神経に、ずかずかと心の中に踏み込まない。
 それらは翠鈴の美点ではあるが。彼女にとっては当たり前のこと過ぎて、自分では長所であることに気づいていない。

「ところで光柳さま。もうお着替えになってはいかがですか? 動きづらくありませんか?」

 いまだ女装のままの光柳に、雲嵐が声をかける。

「このままでいい」
「着替えの部屋を借りれるように、わたしが店の人に頼んできましょうか」

 椅子から立とうとした翠鈴の袖を、光柳がつまんだ。

「あの?」
「宿に着くまで、このままでいい」

「どうしてですか? 後宮どころか、杷京もかなり遠いですよ。光柳さまが、司燈しとうであるわたしを連れていても、誰も気にしません」
「私が気にする!」

 思いがけない大きな声だった。
 翠鈴も雲嵐も、いや近くの席に座っている男性たちも、光柳に注目する。

「お待たせしましたぁ」と、接客係の娘の声が響いて聞こえた。

 これはどうしたことかな?
 翠鈴は、茶壺チャフに入ったお茶を、光柳の碗についだ。

 茉莉花ジャスミンの香りはするが、うすい緑茶だ。
 それでも後宮の食堂で供されるような、茎の多い茶葉ではない。

(手間のかかる人だなぁ。きっと子供の頃の話を、わたしに聞かれたくないんだろうなぁ)

 そう翠鈴は考えた。
 けれど彼女にしては珍しく見当違いだった。

「私が長く席を外すのは避けたい」
「料理が冷めるからですか? 頼めば、包子は蒸しなおしてくれるかもしれませんよ」

 菜包も肉包も温かさが命だ。都会は勝手が違うだろうが。冷めて固くなったものを、蒸籠であたためてくれる茶館もある。

「……だ」
「はい?」

 問い返す翠鈴を、光柳はキッとにらんだ。
 美人だから、怖くない。むしろ美人に睨まれて喜ぶ、特殊な男性もいるだろう。翠鈴は喜ばないが。

「私が席を外すと、雲嵐と君が懇意になる。それが嫌なんだ」

 一息に言ったあと。光柳ははっと目を見開いた。

「わ、私はなにを」

 とりかえしのつかない失態でも犯したかのように、光柳の目が泳いでいる。
 とうとう光柳は、卓に肘をついて両手で顔を覆った。

 翠鈴と雲嵐は、顔を見あわせる。

「困った人ですね」

 ふっと翠鈴は笑みをこぼした。

(この人は、口よりも指のほうが雄弁だから)

 手から生み出される詩も。去ろうとする翠鈴を引き留めるために、服を掴む指も。
 手も指も素直で、彼の感情と直結している。

「わたしに側にいてほしいのですね?」
「たぶん、そうだ」

 恋に疎い翠鈴には、光柳の感情が何なのかはうまく分析できない。
 ただの人恋しさなのか、寂しさなのか。
 他の女官や宮女と違い、光柳に心酔しないからなのか。

 とはいえ「この私になびかないとは、面白い奴だ」と言うほど、光柳の性格はひどくはない。口は悪いけど。

(まぁ、光柳さまを前にしても、見惚れてしまう女官や宮女がほとんどだよね)

 甘い物ばかり食べていると飽きてしまって、しょっぱい漬物が欲しくなるようなものかもしれない。

(きっと、わたしは漬物女。しょっぱい女)

 翠鈴は、そう結論づけた。

「光柳さまが、女装が窮屈でないのなら、問題ありませんよ」
「問題はない」

 周囲の席のざわめきに、まぎれるほどの小さな声だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

別に構いませんよ、離縁するので。

杉本凪咲
恋愛
父親から告げられたのは「出ていけ」という冷たい言葉。 他の家族もそれに賛同しているようで、どうやら私は捨てられてしまうらしい。 まあいいですけどね。私はこっそりと笑顔を浮かべた。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...