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三章 湯泉宮と雲嵐の過去
1、沙汰
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雪がちらついている。
昼が短くなってきたので、夕刻の司燈の仕事の時間も日に日に早くなる。
翠鈴は回廊で、火種のついた棒を上げた。下げ灯籠の明かりが灯り、ぽわっと蜜柑の色が宙に並ぶ。
東の空は群青や濃藍。西の空はまだ昼の名残を留めて、薔薇色に染まっている。
ほんの一瞬の美しい時間だ。
昼と夜のあわいに、翠鈴は立ちどまった。吐く息がすでに白い。
「翠鈴ーっ。ご飯たべに行こうよ」
静寂を打ち破って、由由の声が響く。
室内や未央宮の門の明かりを灯し終えたようだ。回廊に向かって、手覆をはめた手を振りながら走ってくる。
そういえば今夜は、光柳が来ると聞いている。
(厄介な相談じゃなければいいけど)
けれど、最近の自分は少し変だと翠鈴は感じている。
光柳は面倒くさい相手だ。
きらきらと煌めいていて、感受性も鋭くて繊細だ。人には弱いところを見せないのに、翠鈴にだけは妙に甘えてくる。
そんな光柳のことを、わずらわしいと思っていた。
なのに。
(なんでかな。前ほど、光柳さまのことが嫌じゃないんだよね)
そういえば最近は「人を射殺すような目だ」と、翠鈴のことを酷評しない。
あれは失礼だった。年頃の女性に向かって、言っていい表現ではない。
(どんな心境の変化なんだろ。大人になったってことなのかな)
食堂で夕食をとっていると、離れた席に座る陳燕と目が合った。
甘露宮の侍女だ。以前は翠鈴に張り合って、ケンカをふっかけにきていたが。最近はおとなしい。
むしろ、ぺこりと頭を下げる始末だ。
「明日は雨かもしれない。むしろ嵐かも」
料理の載った盆を、卓に置いた翠鈴は呟いた。とろみのついた汁物の羹から、湯気が立っている。
「えっ! そうなの? 沓も服も濡れちゃうし、困るわ」
由由は、翠鈴の向かいの席に着いた。
献立は肉の細切りと青菜の入った羹。今日は贅沢に茹でた羊肉だ。発酵させた韮の醤がかかっている。
じっくりと茹でた羊肉は、箸でほろりと崩れるほどの柔らかさだ。
韮の醤はショウガや黒酢が入っており、複雑な味がする。
「おいしいねぇ」
肉好きの由由は満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
夕食後。雲嵐を伴って光柳が未央宮を訪れた。
女官や宮女たちのはしゃぐ声が聞こえてくるので、光柳が来たのだとすぐに分かる。
「仰ってくだされば、応接室を用意いたしますのに」
未央宮の侍女頭である梅娜が、光柳と雲嵐を空いた部屋に通す。
さすがに梅娜は立場をわきまえている。光柳が傍にいても、浮ついた様子を見せない。
調度品もほとんどない簡素な部屋に、黒檀の卓と椅子が運び込んである。
「いや。蘭淑妃がお使いになっている応接室は、私には分不相応ですから」
光柳は柔らかく微笑んだ。
何の用なのか。問題でも起こったのかと、翠鈴は身構えながら部屋に入ったが。そうではなかった。
「陛下の観月の宴の邪魔をした丁宇軒のことだが」
お茶を出した侍女が部屋を出ていってから、光柳は話を切りだした。
「沙汰はどうなりましたか?」
光柳が麟美の代理と見抜いて、詩を書いた紙に毒を塗ったこと。陛下の宴をめちゃくちゃにしたこと。
釈放はありえないだろう、と翠鈴は推測した。
「流刑だ」
光柳は、持っていた碗を卓に置いた。コツン、と硬い音がした。
昼が短くなってきたので、夕刻の司燈の仕事の時間も日に日に早くなる。
翠鈴は回廊で、火種のついた棒を上げた。下げ灯籠の明かりが灯り、ぽわっと蜜柑の色が宙に並ぶ。
東の空は群青や濃藍。西の空はまだ昼の名残を留めて、薔薇色に染まっている。
ほんの一瞬の美しい時間だ。
昼と夜のあわいに、翠鈴は立ちどまった。吐く息がすでに白い。
「翠鈴ーっ。ご飯たべに行こうよ」
静寂を打ち破って、由由の声が響く。
室内や未央宮の門の明かりを灯し終えたようだ。回廊に向かって、手覆をはめた手を振りながら走ってくる。
そういえば今夜は、光柳が来ると聞いている。
(厄介な相談じゃなければいいけど)
けれど、最近の自分は少し変だと翠鈴は感じている。
光柳は面倒くさい相手だ。
きらきらと煌めいていて、感受性も鋭くて繊細だ。人には弱いところを見せないのに、翠鈴にだけは妙に甘えてくる。
そんな光柳のことを、わずらわしいと思っていた。
なのに。
(なんでかな。前ほど、光柳さまのことが嫌じゃないんだよね)
そういえば最近は「人を射殺すような目だ」と、翠鈴のことを酷評しない。
あれは失礼だった。年頃の女性に向かって、言っていい表現ではない。
(どんな心境の変化なんだろ。大人になったってことなのかな)
食堂で夕食をとっていると、離れた席に座る陳燕と目が合った。
甘露宮の侍女だ。以前は翠鈴に張り合って、ケンカをふっかけにきていたが。最近はおとなしい。
むしろ、ぺこりと頭を下げる始末だ。
「明日は雨かもしれない。むしろ嵐かも」
料理の載った盆を、卓に置いた翠鈴は呟いた。とろみのついた汁物の羹から、湯気が立っている。
「えっ! そうなの? 沓も服も濡れちゃうし、困るわ」
由由は、翠鈴の向かいの席に着いた。
献立は肉の細切りと青菜の入った羹。今日は贅沢に茹でた羊肉だ。発酵させた韮の醤がかかっている。
じっくりと茹でた羊肉は、箸でほろりと崩れるほどの柔らかさだ。
韮の醤はショウガや黒酢が入っており、複雑な味がする。
「おいしいねぇ」
肉好きの由由は満足そうに微笑んだ。
◇◇◇
夕食後。雲嵐を伴って光柳が未央宮を訪れた。
女官や宮女たちのはしゃぐ声が聞こえてくるので、光柳が来たのだとすぐに分かる。
「仰ってくだされば、応接室を用意いたしますのに」
未央宮の侍女頭である梅娜が、光柳と雲嵐を空いた部屋に通す。
さすがに梅娜は立場をわきまえている。光柳が傍にいても、浮ついた様子を見せない。
調度品もほとんどない簡素な部屋に、黒檀の卓と椅子が運び込んである。
「いや。蘭淑妃がお使いになっている応接室は、私には分不相応ですから」
光柳は柔らかく微笑んだ。
何の用なのか。問題でも起こったのかと、翠鈴は身構えながら部屋に入ったが。そうではなかった。
「陛下の観月の宴の邪魔をした丁宇軒のことだが」
お茶を出した侍女が部屋を出ていってから、光柳は話を切りだした。
「沙汰はどうなりましたか?」
光柳が麟美の代理と見抜いて、詩を書いた紙に毒を塗ったこと。陛下の宴をめちゃくちゃにしたこと。
釈放はありえないだろう、と翠鈴は推測した。
「流刑だ」
光柳は、持っていた碗を卓に置いた。コツン、と硬い音がした。
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