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二章 麟美の偽者
22、詩の才がない
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「これは推測ですが。宋雨桐さまは、光柳さまのことをよくご存じだと思います」
「宋雨桐。その名は、聞いたことがない」
そうだろうか? 光柳の答えを、翠鈴は訝しんだ。
だが光柳は、とぼけているようにも嘘をついているようにも見えない。
「無礼を承知で申し上げるなら。雨桐さまの詩は、直情的です。感情が重すぎて、気持ちをぶつけてくる感じです」
詩をよく知らないのに、よく言えたものだと、翠鈴は自分に呆れた。
それでも姉が見せてくれた恋の詩や、光柳が詠んだ詩ならば知っている。
男性から女性に贈る詩ならば、まっすぐな思いを詠むこともあるだろう。
けれど女性が詠む場合は、もっと繊細な心の機微を謳いあげるはずだ。
つまり雨桐には、詩の才がない。残念だけれど。
麟美に似せようとして作るのに。恋の歌ではあるのに。決定的に感性の差が表に出てしまう。
詩作だけではなく、字や絵もだ。
年のせいで手が震えるのか。あるいはもともと筆が苦手なのか。
それは翠鈴には分からないけれど。犬の絵すらも、線がしっかりしていない。
「雨桐さまは、かつて後宮にいらした頃の麟美さまをご存じなのでしょう。そしてお子さまでいらした光柳さまも」
光柳がいまの麟美であることを、雨桐は知っているはずだ。
だからこそ、自分の詩を次の麟美に見せたかった。知ってほしかった。存在を示したかった。
――あなたの母を慕う女官は、まだおりますよ。私はずっと詩を詠んでおります。
悲しいことに、その思いは光柳には届いていない。
光柳は麟美であり続けることを、先帝から求められた。己にも麟美であることを課した。
言葉を磨き、感性を研ぎ澄ませ、美だけではなく優しさも追求してきたはずだ。
詩にたずさわる真剣さが、雨桐とは桁違いだ。
身を削る思いで、詠み続けてきたのだろう。
雨桐は真面目に詩を作っているのだろうが。詩は、決して真面目であればよいというものではない。
「毒は、宦官の仕業だと言っていたな。雨桐は関わっていると考えるか?」
「いえ」
翠鈴は背筋を伸ばして、まっすぐに光柳を見据えた。
「光柳さまに、そして偽の麟美の詩を買った陳燕に毒を仕込んだのは、丁宇軒ひとりの仕業です」
宇軒と雨桐が、どのような関係なのかは知らない。
けれど、宇軒は考えたのだろう。
長年、麟美に憧れて詩を作り続けた雨桐こそが、真の麟美になるべきだと。
宇軒は、今の麟美が誰であるかを知らなかった。
ただ、未央宮の翠鈴という宮女が麟美の詩を手に入れた。未央宮の蘭淑妃が、麟美の詩を買った。その情報は知っていた。
だから、翠鈴と喧嘩をした陳燕が買った詩に毒を仕込んだ。
あれは麟美の代理をおびき寄せるためだ。
そして、毒の件で光柳が未央宮にやってきた。あの夜。光柳は誰かにつけられていると、雲嵐が話していたではないか。
「ですが。詩が上手ではないからといって、気持ちがないわけではありません」
翠鈴は言葉に力を込めた。
これまで雨桐に詩の才がないと言っていたのに。どういうことなのか、と蘭淑妃の目が語っている。
光柳もまた、翠鈴の言葉の続きを待っている。
「他人から見れば、雨桐さまは漫然と詩を量産しておられただけでしょう。それでも当人にとっては、詩作こそがすべて。本気かどうかは周囲の者が判断することではなく、本人が決めることです」
雨桐の詩は、麟美の子である光柳に届けるためのものだ。
ただ、それだけの。自分の存在を、自分はここにまだいるのだと示すだけの詩。
どれだけ考えても、翠鈴はその考えに行き着いてしまう。
「麟美さまは、かつて甘露宮にお勤めでしたか?」
「ああ。そうだ。話したことはあったか?」
「いえ。伺っておりません。そう思っただけです」
翠鈴は首を振った。
雨桐は昔も今も、甘露宮で夢を見ている。
光柳と麟美の姿が重なって。「よく精進しましたね」と声をかけてもらえる日を。
三十年もの間、ずっと。
「宋雨桐。その名は、聞いたことがない」
そうだろうか? 光柳の答えを、翠鈴は訝しんだ。
だが光柳は、とぼけているようにも嘘をついているようにも見えない。
「無礼を承知で申し上げるなら。雨桐さまの詩は、直情的です。感情が重すぎて、気持ちをぶつけてくる感じです」
詩をよく知らないのに、よく言えたものだと、翠鈴は自分に呆れた。
それでも姉が見せてくれた恋の詩や、光柳が詠んだ詩ならば知っている。
男性から女性に贈る詩ならば、まっすぐな思いを詠むこともあるだろう。
けれど女性が詠む場合は、もっと繊細な心の機微を謳いあげるはずだ。
つまり雨桐には、詩の才がない。残念だけれど。
麟美に似せようとして作るのに。恋の歌ではあるのに。決定的に感性の差が表に出てしまう。
詩作だけではなく、字や絵もだ。
年のせいで手が震えるのか。あるいはもともと筆が苦手なのか。
それは翠鈴には分からないけれど。犬の絵すらも、線がしっかりしていない。
「雨桐さまは、かつて後宮にいらした頃の麟美さまをご存じなのでしょう。そしてお子さまでいらした光柳さまも」
光柳がいまの麟美であることを、雨桐は知っているはずだ。
だからこそ、自分の詩を次の麟美に見せたかった。知ってほしかった。存在を示したかった。
――あなたの母を慕う女官は、まだおりますよ。私はずっと詩を詠んでおります。
悲しいことに、その思いは光柳には届いていない。
光柳は麟美であり続けることを、先帝から求められた。己にも麟美であることを課した。
言葉を磨き、感性を研ぎ澄ませ、美だけではなく優しさも追求してきたはずだ。
詩にたずさわる真剣さが、雨桐とは桁違いだ。
身を削る思いで、詠み続けてきたのだろう。
雨桐は真面目に詩を作っているのだろうが。詩は、決して真面目であればよいというものではない。
「毒は、宦官の仕業だと言っていたな。雨桐は関わっていると考えるか?」
「いえ」
翠鈴は背筋を伸ばして、まっすぐに光柳を見据えた。
「光柳さまに、そして偽の麟美の詩を買った陳燕に毒を仕込んだのは、丁宇軒ひとりの仕業です」
宇軒と雨桐が、どのような関係なのかは知らない。
けれど、宇軒は考えたのだろう。
長年、麟美に憧れて詩を作り続けた雨桐こそが、真の麟美になるべきだと。
宇軒は、今の麟美が誰であるかを知らなかった。
ただ、未央宮の翠鈴という宮女が麟美の詩を手に入れた。未央宮の蘭淑妃が、麟美の詩を買った。その情報は知っていた。
だから、翠鈴と喧嘩をした陳燕が買った詩に毒を仕込んだ。
あれは麟美の代理をおびき寄せるためだ。
そして、毒の件で光柳が未央宮にやってきた。あの夜。光柳は誰かにつけられていると、雲嵐が話していたではないか。
「ですが。詩が上手ではないからといって、気持ちがないわけではありません」
翠鈴は言葉に力を込めた。
これまで雨桐に詩の才がないと言っていたのに。どういうことなのか、と蘭淑妃の目が語っている。
光柳もまた、翠鈴の言葉の続きを待っている。
「他人から見れば、雨桐さまは漫然と詩を量産しておられただけでしょう。それでも当人にとっては、詩作こそがすべて。本気かどうかは周囲の者が判断することではなく、本人が決めることです」
雨桐の詩は、麟美の子である光柳に届けるためのものだ。
ただ、それだけの。自分の存在を、自分はここにまだいるのだと示すだけの詩。
どれだけ考えても、翠鈴はその考えに行き着いてしまう。
「麟美さまは、かつて甘露宮にお勤めでしたか?」
「ああ。そうだ。話したことはあったか?」
「いえ。伺っておりません。そう思っただけです」
翠鈴は首を振った。
雨桐は昔も今も、甘露宮で夢を見ている。
光柳と麟美の姿が重なって。「よく精進しましたね」と声をかけてもらえる日を。
三十年もの間、ずっと。
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