45 / 184
二章 麟美の偽者
22、詩の才がない
しおりを挟む
「これは推測ですが。宋雨桐さまは、光柳さまのことをよくご存じだと思います」
「宋雨桐。その名は、聞いたことがない」
そうだろうか? 光柳の答えを、翠鈴は訝しんだ。
だが光柳は、とぼけているようにも嘘をついているようにも見えない。
「無礼を承知で申し上げるなら。雨桐さまの詩は、直情的です。感情が重すぎて、気持ちをぶつけてくる感じです」
詩をよく知らないのに、よく言えたものだと、翠鈴は自分に呆れた。
それでも姉が見せてくれた恋の詩や、光柳が詠んだ詩ならば知っている。
男性から女性に贈る詩ならば、まっすぐな思いを詠むこともあるだろう。
けれど女性が詠む場合は、もっと繊細な心の機微を謳いあげるはずだ。
つまり雨桐には、詩の才がない。残念だけれど。
麟美に似せようとして作るのに。恋の歌ではあるのに。決定的に感性の差が表に出てしまう。
詩作だけではなく、字や絵もだ。
年のせいで手が震えるのか。あるいはもともと筆が苦手なのか。
それは翠鈴には分からないけれど。犬の絵すらも、線がしっかりしていない。
「雨桐さまは、かつて後宮にいらした頃の麟美さまをご存じなのでしょう。そしてお子さまでいらした光柳さまも」
光柳がいまの麟美であることを、雨桐は知っているはずだ。
だからこそ、自分の詩を次の麟美に見せたかった。知ってほしかった。存在を示したかった。
――あなたの母を慕う女官は、まだおりますよ。私はずっと詩を詠んでおります。
悲しいことに、その思いは光柳には届いていない。
光柳は麟美であり続けることを、先帝から求められた。己にも麟美であることを課した。
言葉を磨き、感性を研ぎ澄ませ、美だけではなく優しさも追求してきたはずだ。
詩にたずさわる真剣さが、雨桐とは桁違いだ。
身を削る思いで、詠み続けてきたのだろう。
雨桐は真面目に詩を作っているのだろうが。詩は、決して真面目であればよいというものではない。
「毒は、宦官の仕業だと言っていたな。雨桐は関わっていると考えるか?」
「いえ」
翠鈴は背筋を伸ばして、まっすぐに光柳を見据えた。
「光柳さまに、そして偽の麟美の詩を買った陳燕に毒を仕込んだのは、丁宇軒ひとりの仕業です」
宇軒と雨桐が、どのような関係なのかは知らない。
けれど、宇軒は考えたのだろう。
長年、麟美に憧れて詩を作り続けた雨桐こそが、真の麟美になるべきだと。
宇軒は、今の麟美が誰であるかを知らなかった。
ただ、未央宮の翠鈴という宮女が麟美の詩を手に入れた。未央宮の蘭淑妃が、麟美の詩を買った。その情報は知っていた。
だから、翠鈴と喧嘩をした陳燕が買った詩に毒を仕込んだ。
あれは麟美の代理をおびき寄せるためだ。
そして、毒の件で光柳が未央宮にやってきた。あの夜。光柳は誰かにつけられていると、雲嵐が話していたではないか。
「ですが。詩が上手ではないからといって、気持ちがないわけではありません」
翠鈴は言葉に力を込めた。
これまで雨桐に詩の才がないと言っていたのに。どういうことなのか、と蘭淑妃の目が語っている。
光柳もまた、翠鈴の言葉の続きを待っている。
「他人から見れば、雨桐さまは漫然と詩を量産しておられただけでしょう。それでも当人にとっては、詩作こそがすべて。本気かどうかは周囲の者が判断することではなく、本人が決めることです」
雨桐の詩は、麟美の子である光柳に届けるためのものだ。
ただ、それだけの。自分の存在を、自分はここにまだいるのだと示すだけの詩。
どれだけ考えても、翠鈴はその考えに行き着いてしまう。
「麟美さまは、かつて甘露宮にお勤めでしたか?」
「ああ。そうだ。話したことはあったか?」
「いえ。伺っておりません。そう思っただけです」
翠鈴は首を振った。
雨桐は昔も今も、甘露宮で夢を見ている。
光柳と麟美の姿が重なって。「よく精進しましたね」と声をかけてもらえる日を。
三十年もの間、ずっと。
「宋雨桐。その名は、聞いたことがない」
そうだろうか? 光柳の答えを、翠鈴は訝しんだ。
だが光柳は、とぼけているようにも嘘をついているようにも見えない。
「無礼を承知で申し上げるなら。雨桐さまの詩は、直情的です。感情が重すぎて、気持ちをぶつけてくる感じです」
詩をよく知らないのに、よく言えたものだと、翠鈴は自分に呆れた。
それでも姉が見せてくれた恋の詩や、光柳が詠んだ詩ならば知っている。
男性から女性に贈る詩ならば、まっすぐな思いを詠むこともあるだろう。
けれど女性が詠む場合は、もっと繊細な心の機微を謳いあげるはずだ。
つまり雨桐には、詩の才がない。残念だけれど。
麟美に似せようとして作るのに。恋の歌ではあるのに。決定的に感性の差が表に出てしまう。
詩作だけではなく、字や絵もだ。
年のせいで手が震えるのか。あるいはもともと筆が苦手なのか。
それは翠鈴には分からないけれど。犬の絵すらも、線がしっかりしていない。
「雨桐さまは、かつて後宮にいらした頃の麟美さまをご存じなのでしょう。そしてお子さまでいらした光柳さまも」
光柳がいまの麟美であることを、雨桐は知っているはずだ。
だからこそ、自分の詩を次の麟美に見せたかった。知ってほしかった。存在を示したかった。
――あなたの母を慕う女官は、まだおりますよ。私はずっと詩を詠んでおります。
悲しいことに、その思いは光柳には届いていない。
光柳は麟美であり続けることを、先帝から求められた。己にも麟美であることを課した。
言葉を磨き、感性を研ぎ澄ませ、美だけではなく優しさも追求してきたはずだ。
詩にたずさわる真剣さが、雨桐とは桁違いだ。
身を削る思いで、詠み続けてきたのだろう。
雨桐は真面目に詩を作っているのだろうが。詩は、決して真面目であればよいというものではない。
「毒は、宦官の仕業だと言っていたな。雨桐は関わっていると考えるか?」
「いえ」
翠鈴は背筋を伸ばして、まっすぐに光柳を見据えた。
「光柳さまに、そして偽の麟美の詩を買った陳燕に毒を仕込んだのは、丁宇軒ひとりの仕業です」
宇軒と雨桐が、どのような関係なのかは知らない。
けれど、宇軒は考えたのだろう。
長年、麟美に憧れて詩を作り続けた雨桐こそが、真の麟美になるべきだと。
宇軒は、今の麟美が誰であるかを知らなかった。
ただ、未央宮の翠鈴という宮女が麟美の詩を手に入れた。未央宮の蘭淑妃が、麟美の詩を買った。その情報は知っていた。
だから、翠鈴と喧嘩をした陳燕が買った詩に毒を仕込んだ。
あれは麟美の代理をおびき寄せるためだ。
そして、毒の件で光柳が未央宮にやってきた。あの夜。光柳は誰かにつけられていると、雲嵐が話していたではないか。
「ですが。詩が上手ではないからといって、気持ちがないわけではありません」
翠鈴は言葉に力を込めた。
これまで雨桐に詩の才がないと言っていたのに。どういうことなのか、と蘭淑妃の目が語っている。
光柳もまた、翠鈴の言葉の続きを待っている。
「他人から見れば、雨桐さまは漫然と詩を量産しておられただけでしょう。それでも当人にとっては、詩作こそがすべて。本気かどうかは周囲の者が判断することではなく、本人が決めることです」
雨桐の詩は、麟美の子である光柳に届けるためのものだ。
ただ、それだけの。自分の存在を、自分はここにまだいるのだと示すだけの詩。
どれだけ考えても、翠鈴はその考えに行き着いてしまう。
「麟美さまは、かつて甘露宮にお勤めでしたか?」
「ああ。そうだ。話したことはあったか?」
「いえ。伺っておりません。そう思っただけです」
翠鈴は首を振った。
雨桐は昔も今も、甘露宮で夢を見ている。
光柳と麟美の姿が重なって。「よく精進しましたね」と声をかけてもらえる日を。
三十年もの間、ずっと。
44
お気に入りに追加
732
あなたにおすすめの小説

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。
辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。
お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました
蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。
家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。
アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。
閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。
養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。
※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。

大好きだった旦那様に離縁され家を追い出されましたが、騎士団長様に拾われ溺愛されました
Karamimi
恋愛
2年前に両親を亡くしたスカーレットは、1年前幼馴染で3つ年上のデビッドと結婚した。両親が亡くなった時もずっと寄り添ってくれていたデビッドの為に、毎日家事や仕事をこなすスカーレット。
そんな中迎えた結婚1年記念の日。この日はデビッドの為に、沢山のご馳走を作って待っていた。そしていつもの様に帰ってくるデビッド。でもデビッドの隣には、美しい女性の姿が。
「俺は彼女の事を心から愛している。悪いがスカーレット、どうか俺と離縁して欲しい。そして今すぐ、この家から出て行ってくれるか?」
そうスカーレットに言い放ったのだ。何とか考え直して欲しいと訴えたが、全く聞く耳を持たないデビッド。それどころか、スカーレットに数々の暴言を吐き、ついにはスカーレットの荷物と共に、彼女を追い出してしまった。
荷物を持ち、泣きながら街を歩くスカーレットに声をかけて来たのは、この街の騎士団長だ。一旦騎士団長の家に保護してもらったスカーレットは、さっき起こった出来事を騎士団長に話した。
「なんてひどい男だ!とにかく落ち着くまで、ここにいるといい」
行く当てもないスカーレットは結局騎士団長の家にお世話になる事に
※他サイトにも投稿しています
よろしくお願いします

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました
歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。
昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。
入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。
その甲斐あってか学年首位となったある日。
「君のことが好きだから」…まさかの告白!

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。
よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる