後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

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二章 麟美の偽者

21、ふたりいる

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「桃莉公主。この間、犬の絵を見せてくださいましたね」
「……うん」

 翠鈴に声をかけられて、桃莉公主はおずおずと顔を上げた。

「もう一度見せていただけませんか?」
「いいよっ」

 桃莉は蘭淑妃の膝から、ぴょんと降りた。
 自分が見せた絵を、翠鈴が覚えていてくれたことが嬉しいのだろう。
「とってくるね」と、裾をひるがえしながら走り出す。

 侍女が「お待ちください」と、慌てて桃莉を追いかけた。

「翠鈴。今は公主と遊んでいる場合では……」
「遊びではありません」

 怪訝な様子で問いかける光柳に、翠鈴はぴしりと答える。

「偽の麟美は、ふたりで成り立っています。表に出る者と、詩を書く者。それぞれ担当が違うのです」
「ひとりでは出来ぬのか?」

 こくりと翠鈴はうなずいた。

「天は二物を与えずと申しますが。麟美さまは美と詩の才の両方を天から授かったのでしょう」

 光柳も、母と同じく美と詩の才の二つを持ちあわせているが。
 性格がよろしくないので、せっかくの美点が相殺されてしまっている。

「偽の麟美のひとりは、観月楼から逃げた宦官だな。もうひとりは誰だ?」
「その前に質問させてください」

 翠鈴が光柳に問いかけた時。ぱたぱたと軽やかな足音が聞こえた。

「ツイリン。あったよー」と、明るい声で桃莉公主が部屋に入ってくる。

 礼を告げて、翠鈴は紙を受けとった。
 やはり子犬を描いた線は、細かく揺れている。

 毛並みを表したものかと思ったが、そうではない可能性が高い。あの時、桃莉公主は「ちょっとおばあさんがくれた」と話していた。

 翠鈴はこの一年間、後宮で働いているが。まだ一度も老女を見かけたことはない。
 ただ、年を取った女官は知っている。

「この絵。見たことがあるな」

 光柳は、まじまじと子犬の絵を見据えていた。

「どこでだったろう。思いだせないが」

「光柳さまは以前、三十年以上も勤めている女官がいるとおっしゃいましたね」
「あ、ああ。そんなことも言ったかな」
「甘露宮の女官ですね」

 年をとって後宮に留まり続ける女官は、ほとんどいない。
 きっとこれは当て推量ずいりょうではない。

宋雨桐ソンユィートンさまですね」

 翠鈴は、はっきりと言い切った。

 宋雨桐。いちど話をしたことがある。
 翠鈴に嫌がらせをしたあげく、麟美の詩を手に入れたと見せびらかした陳燕を諫めていた女官だ。雨桐は四十代後半に見えた。

 秋明菊の毒に触れた陳燕チェンイェンの手を、翠鈴が井戸の水で洗った時。女官の宋雨桐と宦官の丁宇軒ティンユーシェンが、陳燕を迎えに来た。

 どうして陳燕が、この未央宮にいることが分かったのか。あのふたりは、陳燕を探しまわった風でもなかったのに。
 きっとまっすぐに未央宮へやってきた。

(わたしが未央宮にいるから、か)

 ただの宮女が麟美の詩を手に入れたことは、広く知れ渡っている。

「桃莉公主にこの絵を描いてあげたのも、宋雨桐さまでしょう。幼い桃莉さまからご覧になれば、妙齢と初老の区別はつきません。ですから『ちょっとおばあさんがくれた』のです」

 翠鈴は、子犬の絵を桃莉公主に返した。

「陛下の御前に、偽の麟美として現れたのは丁宇軒です」

 あまりにも無礼だったので。宇軒の官位は知らないが、あえて敬称は省いておく。

 陳燕の衣裳は、紙の毒の事件以前に盗まれていた。
 宇軒は偽の詩を売りさばきながら、麟美として表に出る機会を窺っていたのだろう。
 公に麟美の代理が認められていることが許せない。そいつを断罪してやる、と。

 なかなかの執念だ。

「宇軒が開いた紙に書かれていた詩は、やはり文字が震えていました。あのような緊張する場面でも、彼の手は震えていないのに」

 だから、偽の麟美はふたりいると気づいた。

「雨桐さまは、子供がお好きでいらっしゃるのでしょう。ですから、蝮草まむしぐさの毒から快復なさった桃莉さまに絵をさしあげた。本来なら咎められるでしょうから、こっそりと」

 その先を言っていいのかと、翠鈴は口もとを手で押さえた。
 だが、光柳の目は説明を促していた。
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