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二章 麟美の偽者
14、見られると恥ずかしい
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翠鈴の前に置かれたお茶は、澄んだ色も香りも上等だ。
食堂で使われている茎が多くて、葉の硬い茶葉とは違う。
柔らかな茶葉を用いたお茶は、まろやかで。すっと喉をすべり落ちていく。
(なんておいしいの)
はーぁ、と翠鈴は瞼を閉じた。
「芽丁玉竹という緑茶です」
雲嵐が、最高級の緑茶だと説明してくれた。
清らかな味が、口のなかに広がる。
父が薬のお礼として、高価なお茶をもらうことも多かったから。翠鈴は、子供の頃からいいお茶に親しんで育った。
それでも、こんな香り高いお茶など飲んだことがない。
空になった碗ですら、気高い香気が残っている。
ふと視線を感じて、目を開く。
卓の向かいの席に着いた光柳が、すぐに視線を逸らした。
たしかに目が合ったと思ったのに。見られていると思ったのに。
どうしたというのだろう。
「何かお話ししたいことでも、おありですか?」
「あー、いや」
ずけずけと物を言う光柳にしては、歯切れが悪い。
しかも、淹れたばかりのお茶を一気飲みした。
「あつっ」
「大丈夫ですか? 光柳さま」
雲嵐が慌てて光柳に寄り添う。
どうしたんだろ、ぼーっとしてるな。
「舌や口のなかの火傷は、すぐに水を飲んだ方がいいですよ。皮膚の火傷は冷やしますが。口のなかは、わざわざ冷やさない人が多いんです。でも、水を飲んで冷やしておけば治りも早いです」
翠鈴の説明を受けて、すぐに雲嵐が水甕のある方へ向かった。
(やっぱり大事にされてるなぁ。この人)
「たいした火傷ではない」
光柳は、空になった碗を見つめている。
「それは何よりです」
「ところで、月餅は好きか?」
もったいぶった態度をとっていたのに。尋ねたい内容がそれなのか、と翠鈴は肩透かしをくらった。
「蓮の実の餡がいいだろうか。それともナツメ、緑豆もあるな」
どれもおいしい。どれも違って、どれも好物だ。
「時間外の手当てだけではなく、月餅も用意させよう」
「いいんですか?」
翠鈴の声が弾む。
今年は中秋の月餅を食べていない。
故郷の村にいるときは、必ずと言っていいほど大きい月餅を切り分けていたというのに。
「月餅はどの餡も好きです」
そう言いかけて、翠鈴は思いだした。
「あ、でも五仁月餅だけは苦手です」
五仁月餅は、餡にクルミ、杏の種、橄欖の種、ひまわりの種、胡麻を使っている。
栄養価は高いのだが。木の実や種を使っているので、味のクセが強い。
「そうか。ではさっき話した三種類は用意しよう。だが、一番はなんだ?」
どうしたんだろう。妙に質問を重ねてくる。
三種類の月餅がもらえるのは嬉しいし、由由や医官の胡玲にもわける分があるのは助かる。
桃莉公主には、自分からはお裾分けできないのは残念だけれど。
光柳は、翠鈴の答えを待っている。
翠鈴は小さく首を傾げた。
「いや、すまない」
何かに気づいたのだろう。光柳が口もとを手でおさえて、うつむく。
「どうして私は、君の好物や苦手なものを知りたがるのだ?」
「さぁ。どうしてなんでしょう」
さっぱり分からない。
たしかに五仁月餅は苦手だけれど。もらったものに文句を言うつもりはない。
「他人の好みとか、気になる性質なんですか?」
「いや。まったく」
しれっと光柳は答えたが。それはそれで、どうなんだろう。
仮にも甘美で切ない恋の詩を詠む人が、他人の趣味や嗜好に興味を示さないのは、違うんじゃないかな。
(なのに、わたしの好みは気になるんだ)
訳が分からなくて、翠鈴は対面する光柳をじーっと見つめた。
「……見ないでくれ」
「射殺しそうな目だから、ですか?」
「射抜かれそうな目だ」
耐え切れず、といった風に光柳が視線をそらす。
その耳が、わずかに赤く染まっている。
光の加減だろうか。でも、まだ夕日ではない。日中の光は白いのに。
末端が冷えるにしても、茶を飲んでいるのだから、体は温まっているはず。
さらに、翠鈴は光柳を見据える。とうとう光柳は、横を向いてしまった。
まったくもって訳が分からない。
冷え性の四逆だろうから、どの薬湯がよいか考えようかと思っていたのに。
「光柳さま……」と、彼の側に立つ雲嵐がたしなめるように呟いた。
食堂で使われている茎が多くて、葉の硬い茶葉とは違う。
柔らかな茶葉を用いたお茶は、まろやかで。すっと喉をすべり落ちていく。
(なんておいしいの)
はーぁ、と翠鈴は瞼を閉じた。
「芽丁玉竹という緑茶です」
雲嵐が、最高級の緑茶だと説明してくれた。
清らかな味が、口のなかに広がる。
父が薬のお礼として、高価なお茶をもらうことも多かったから。翠鈴は、子供の頃からいいお茶に親しんで育った。
それでも、こんな香り高いお茶など飲んだことがない。
空になった碗ですら、気高い香気が残っている。
ふと視線を感じて、目を開く。
卓の向かいの席に着いた光柳が、すぐに視線を逸らした。
たしかに目が合ったと思ったのに。見られていると思ったのに。
どうしたというのだろう。
「何かお話ししたいことでも、おありですか?」
「あー、いや」
ずけずけと物を言う光柳にしては、歯切れが悪い。
しかも、淹れたばかりのお茶を一気飲みした。
「あつっ」
「大丈夫ですか? 光柳さま」
雲嵐が慌てて光柳に寄り添う。
どうしたんだろ、ぼーっとしてるな。
「舌や口のなかの火傷は、すぐに水を飲んだ方がいいですよ。皮膚の火傷は冷やしますが。口のなかは、わざわざ冷やさない人が多いんです。でも、水を飲んで冷やしておけば治りも早いです」
翠鈴の説明を受けて、すぐに雲嵐が水甕のある方へ向かった。
(やっぱり大事にされてるなぁ。この人)
「たいした火傷ではない」
光柳は、空になった碗を見つめている。
「それは何よりです」
「ところで、月餅は好きか?」
もったいぶった態度をとっていたのに。尋ねたい内容がそれなのか、と翠鈴は肩透かしをくらった。
「蓮の実の餡がいいだろうか。それともナツメ、緑豆もあるな」
どれもおいしい。どれも違って、どれも好物だ。
「時間外の手当てだけではなく、月餅も用意させよう」
「いいんですか?」
翠鈴の声が弾む。
今年は中秋の月餅を食べていない。
故郷の村にいるときは、必ずと言っていいほど大きい月餅を切り分けていたというのに。
「月餅はどの餡も好きです」
そう言いかけて、翠鈴は思いだした。
「あ、でも五仁月餅だけは苦手です」
五仁月餅は、餡にクルミ、杏の種、橄欖の種、ひまわりの種、胡麻を使っている。
栄養価は高いのだが。木の実や種を使っているので、味のクセが強い。
「そうか。ではさっき話した三種類は用意しよう。だが、一番はなんだ?」
どうしたんだろう。妙に質問を重ねてくる。
三種類の月餅がもらえるのは嬉しいし、由由や医官の胡玲にもわける分があるのは助かる。
桃莉公主には、自分からはお裾分けできないのは残念だけれど。
光柳は、翠鈴の答えを待っている。
翠鈴は小さく首を傾げた。
「いや、すまない」
何かに気づいたのだろう。光柳が口もとを手でおさえて、うつむく。
「どうして私は、君の好物や苦手なものを知りたがるのだ?」
「さぁ。どうしてなんでしょう」
さっぱり分からない。
たしかに五仁月餅は苦手だけれど。もらったものに文句を言うつもりはない。
「他人の好みとか、気になる性質なんですか?」
「いや。まったく」
しれっと光柳は答えたが。それはそれで、どうなんだろう。
仮にも甘美で切ない恋の詩を詠む人が、他人の趣味や嗜好に興味を示さないのは、違うんじゃないかな。
(なのに、わたしの好みは気になるんだ)
訳が分からなくて、翠鈴は対面する光柳をじーっと見つめた。
「……見ないでくれ」
「射殺しそうな目だから、ですか?」
「射抜かれそうな目だ」
耐え切れず、といった風に光柳が視線をそらす。
その耳が、わずかに赤く染まっている。
光の加減だろうか。でも、まだ夕日ではない。日中の光は白いのに。
末端が冷えるにしても、茶を飲んでいるのだから、体は温まっているはず。
さらに、翠鈴は光柳を見据える。とうとう光柳は、横を向いてしまった。
まったくもって訳が分からない。
冷え性の四逆だろうから、どの薬湯がよいか考えようかと思っていたのに。
「光柳さま……」と、彼の側に立つ雲嵐がたしなめるように呟いた。
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