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二章 麟美の偽者
13、寂しいような?
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月見の季節は、ふた月も前に終わっているというのに。
帝は次の満月の夜に、また月見の宴を催すらしい。
昨夜が弦月なので、満月はちょうど十四日後になる。
凍月の鑑賞会だ。
規模は小さく、今回は蘭淑妃のみが同席するらしい。
「先々月は皇后、先月は馬貴妃を月見に伴っていたな」
「よほど月がお好きなのですね」
採寸が終わり、服を着た翠鈴は衝立の陰から出てきた。すでに司衣の女官は部屋を出た後だ。
陛下は、もしかして月餅がお好みなのだろうか、と翠鈴は考えた。
中秋の名月の時季の月餅は、特別に鹹蛋という、アヒルの卵の塩漬けが入っている。
茹で卵にした、塩からい黄身が月。そしてあんこが夜空だ。卵白は使わない。
「陛下は、酒に映る月がお好みだな」
光柳の言葉に、それもそうかと納得する。
後宮の女性ばかりの中にいると、お酒よりも甘いものが好まれるから。
自分の感覚も、後宮に染まっているのだなと感じる。
「今回は、麟美の新作の詩を披露すると仰っている。蘭淑妃が、麟美の詩を好んでおられるからだ。しかも、麟美自ら、詩を読みあげるという演出を考えておられる」
「無茶ぶりですね」
「そうなんだよ」
光柳は、疲れた様子で机に突っ伏した。
先帝は、ご自身が愛した麟美の面影を求めて、光柳を後宮に呼び戻した。
麟美は永遠。そんなこと、あり得るはずもないのに。
光柳は、詩人であった母を演じ続ける。
先帝の第一子である今上帝も、麟美の詩に親しんで育ったに違いない。
光柳がぐったりしているのは、たぶん気疲れだろう。
ひっそりと暮らしたい光柳は、義兄である陛下とかかわりを持ちたくない。
なのに、陛下は光柳を嫌わない。むしろ後宮に居場所を与えるなんて、信頼しすぎだ。
(光柳が陛下の妃嬪に横恋慕するとか、お考えにならないんだろうか)
信用されすぎて、逆にそれが光柳の重荷になっているのかもしれない。
先帝の我儘で、光柳の人生を縛ってしまった。今の陛下は、義弟に対する負い目があるのだろう。
(この人、いつか後宮を出ていくんじゃないかな)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
後宮の門を、そして外廷の門を出ていく光柳の背中が見えた気がした。
晴れ晴れと、もう閉じられた世界に戻ることはないのだと。陽射しを受けた背が、小さくなっていく。
そんな未来が見えたように思えたのだ。
(あれ?)
胸の奥を風が吹き抜けた気がした。ひんやりとした風を、翠鈴はたしかに感じた。
扉も窗も開いていない。
外が雲で陰った様子もない。床には窗の格子の影が、くっきりと落ちているからだ。
(なんだろう。なんか、寂しいような。そうでもないような)
翠鈴は首を傾げた。
今日は採寸だけだったが。今後は仮縫いの時にも呼び出されるだろう。
本縫いの前に、しつけ糸で止めた生地を体にあてがって、微調整をしていく。
帯で結ぶだけの服ならば、そんな面倒なことはしないのだが。今回は気合の入った衣裳なので、生地に合わせた仕立てが必要みたいだ。
「まぁ、座りなさい」
窗ぎわに置かれた卓で、光柳がお茶を勧めてくれた。
淹れたのは雲嵐だけど。
「どうした? 私の顔になにかついているか?」
「いえ」
「おかしな奴だな」
何が面白いのか、光柳は小さく笑った。
風はもう、胸を吹き抜けない。
帝は次の満月の夜に、また月見の宴を催すらしい。
昨夜が弦月なので、満月はちょうど十四日後になる。
凍月の鑑賞会だ。
規模は小さく、今回は蘭淑妃のみが同席するらしい。
「先々月は皇后、先月は馬貴妃を月見に伴っていたな」
「よほど月がお好きなのですね」
採寸が終わり、服を着た翠鈴は衝立の陰から出てきた。すでに司衣の女官は部屋を出た後だ。
陛下は、もしかして月餅がお好みなのだろうか、と翠鈴は考えた。
中秋の名月の時季の月餅は、特別に鹹蛋という、アヒルの卵の塩漬けが入っている。
茹で卵にした、塩からい黄身が月。そしてあんこが夜空だ。卵白は使わない。
「陛下は、酒に映る月がお好みだな」
光柳の言葉に、それもそうかと納得する。
後宮の女性ばかりの中にいると、お酒よりも甘いものが好まれるから。
自分の感覚も、後宮に染まっているのだなと感じる。
「今回は、麟美の新作の詩を披露すると仰っている。蘭淑妃が、麟美の詩を好んでおられるからだ。しかも、麟美自ら、詩を読みあげるという演出を考えておられる」
「無茶ぶりですね」
「そうなんだよ」
光柳は、疲れた様子で机に突っ伏した。
先帝は、ご自身が愛した麟美の面影を求めて、光柳を後宮に呼び戻した。
麟美は永遠。そんなこと、あり得るはずもないのに。
光柳は、詩人であった母を演じ続ける。
先帝の第一子である今上帝も、麟美の詩に親しんで育ったに違いない。
光柳がぐったりしているのは、たぶん気疲れだろう。
ひっそりと暮らしたい光柳は、義兄である陛下とかかわりを持ちたくない。
なのに、陛下は光柳を嫌わない。むしろ後宮に居場所を与えるなんて、信頼しすぎだ。
(光柳が陛下の妃嬪に横恋慕するとか、お考えにならないんだろうか)
信用されすぎて、逆にそれが光柳の重荷になっているのかもしれない。
先帝の我儘で、光柳の人生を縛ってしまった。今の陛下は、義弟に対する負い目があるのだろう。
(この人、いつか後宮を出ていくんじゃないかな)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
後宮の門を、そして外廷の門を出ていく光柳の背中が見えた気がした。
晴れ晴れと、もう閉じられた世界に戻ることはないのだと。陽射しを受けた背が、小さくなっていく。
そんな未来が見えたように思えたのだ。
(あれ?)
胸の奥を風が吹き抜けた気がした。ひんやりとした風を、翠鈴はたしかに感じた。
扉も窗も開いていない。
外が雲で陰った様子もない。床には窗の格子の影が、くっきりと落ちているからだ。
(なんだろう。なんか、寂しいような。そうでもないような)
翠鈴は首を傾げた。
今日は採寸だけだったが。今後は仮縫いの時にも呼び出されるだろう。
本縫いの前に、しつけ糸で止めた生地を体にあてがって、微調整をしていく。
帯で結ぶだけの服ならば、そんな面倒なことはしないのだが。今回は気合の入った衣裳なので、生地に合わせた仕立てが必要みたいだ。
「まぁ、座りなさい」
窗ぎわに置かれた卓で、光柳がお茶を勧めてくれた。
淹れたのは雲嵐だけど。
「どうした? 私の顔になにかついているか?」
「いえ」
「おかしな奴だな」
何が面白いのか、光柳は小さく笑った。
風はもう、胸を吹き抜けない。
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