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二章 麟美の偽者

10、光柳の依頼

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「どうしたの? このあいだ頼んだ枇杷と無花果いちじくの葉よね。蘭淑妃から追加の注文があったの?」

 翠鈴ツイリン胡玲フーリンに問いかけた。

 北風が吹き、胡玲が身を震わせる。未央宮にこの荷を届けて、すぐに医局に戻るつもりだったのだろう。胡玲は厚着をしていない。
 すっと足を横に動かして、翠鈴は風上に立った。

翠鈴姐ツイリンジェが使うって、聞いてますよ。違うんですか?」
「聞いてないわ」

 翠鈴はふるふると首をふる。
 そもそも薬湯は高価だ。宮女が気軽に使えるものではない。

 だからこそ、翠鈴も剪定された木の葉や、たくさん生えているよもぎは、せっせと集めている。
 地面にむしろを敷いて、天気の良い日に乾かしておくのだ。

 今から光柳の元へ行くのに、荷物にはなるけれど。一度、未央宮に戻るのも面倒だ。

「まぁ、このままでもいいかな」

 胡玲は翠鈴と分かれて、歩きだした。
 去っていく胡玲が、立ちどまった。ふり返り、翠鈴に手をふる。

「ありがとう、翠鈴姐。やっぱり私、翠鈴姐といたいです」

 翠鈴が風を防いでくれていたことに、胡玲は気づいたらしい。晴れやかな笑顔だった。

――ツイリンジェ。明日もまたあそんでね。

 子供の頃の胡玲も、やっぱり夕暮れに思いっきり手を振ってくれていた。

 山に生える木イチゴを摘んだり、花冠を作ったり。
 白三葉草シロツメクサ紫雲英レンゲソウで編んだ首飾りや花冠を、胡玲はとても喜んでくれた。
 どちらも姉の明玉メイユィが、生前に翠鈴に編み方を教えてくれたのだ。

 胡玲フーリンには、年の離れた兄がいる。薬師の勉強で忙しい彼は、まだ幼い妹の相手などするはずもない。
 翠鈴と胡玲は、花畑で甘い花の香りに包まれて笑っていた。。ミツバチが寄ってきて、怖い思いをしたこともあるが。
 姉を喪って寂しい思いを抱えていた翠鈴にとって、胡玲との日々は今でも大事な思い出だ。

「あの子ったら」

 ふふ、と笑みをこぼしながら、翠鈴は歩きだした。

「ところでわたしが薬湯を使うって、どういうことなんだろ」

 その問いの答えはすぐに分かった。

 書令史の部屋の扉を、宦官の杜雲嵐ドゥユィンランが開けてくれる。雲嵐は、光柳の護衛だ。煌びやかな光柳の傍で控えていることが多いから、あまり目立たないが。
 雲嵐は精悍な体躯に、柔和な面立ちをしている。

「大荷物だな」

 席についていた光柳が、筆をおく。背筋を伸ばして、所作のひとつひとつが丁寧だ。
 今日も光柳は、美しさが有り余っている。

「さきほど、医官の胡玲から渡されました」
「ああ、もう薬湯の用意できたのか。それは助かる」
「光柳さまが、医局に依頼なさったんですか?」

 意外だった。まさか宮女の肌荒れを気にかけてくれるんだろうか。

 胡玲に話したように、翠鈴は椿油を髪にも肌にも使っている。それでも朝夕の仕事で冷たく乾いた風に吹かれるので、乾燥気味ではある。

「そうだ。君には麟美リンメイとして表に出てもらう」
「は?」

 自分が麟美になるということは、彼女の代理である光柳のさらに代理?

 訳が分からなくて、混乱する。
 しかも代理と薬湯の関係が理解できない。

「この間、話しただろう? 麟美の偽物の詩が出回っていると」
「ああ。わたしも見ました。甘露宮の侍女が、えーと名前はなんだったっけ、まぁいいや。その侍女が高値で買ったと話していましたね」

 紙に毒が塗りつけてあったので、よく覚えている。
 たしか麻で作った紙だ。
 麻のぼろ布をほどいて、その繊維を用いる。

(侍女の名前はなんだっけ。記憶力はいいはずなんだけどな)

 嫌がらせをして、しかも自慢しにくるような意地の悪い陳燕の名前は、翠鈴の頭から抜けていた。

(ま、いいか。必要のない情報は捨てた方が、頭の中が整理できるものね)

 哀れ、陳燕の情報は処理されてしまった。

「その薬湯で美しさに磨きをかけて、偽の麟美を叩きのめしてやれ」

 指示を出す光柳の声は、妙に張りがあった。

「えーっ?」
「詩の才も、美しさも私の方が上だ」
「だったら、ご自分でやればいいじゃないですかっ」
「男が女装して勝てるわけなかろう」

 光柳は立ち上がった。目が真剣だ。

(ダメだ。この人、偽者に対してめちゃくちゃ怒ってる)

 しかも翠鈴を巻きこもうとしている。
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