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一章 姉の仇

21、三十年を経た贈り物

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 光柳クアンリュウの母である麟美リンメイは、後宮の女官だったという。
 詩の才を認められて、先帝の寵愛を受けた。

 ひんに召し上げようという話も出たが。麟美は頑なに断ったという。
 後ろ盾もない庶民の出である麟美が、嬪になっても幸せになれるはずもないからだ。

 だが、先帝も后も麟美の詩を好んだ。妃である四夫人や九嬪きゅうひんでさえも、麟美の詩に夢中になったという。

 女官でありつづけた麟美と先帝との間の子供。それが光柳だった。

 光柳は幼い時に、毒を盛られたという。
 大事には至らなかったが。我が子が狙われることに麟美は胸を痛め、後宮を出ることを決意した。

「皇帝の血を引く皇子は、東宮以外は別の宮に移るか封地へと移る。私も南の離宮で母と共に暮らしていた。後宮にいた頃は女官に遊んでもらったり、絵を描いてもらったりして可愛がられていたから。離宮での母との暮らしはひっそりとして寂しいものだった。私が少年の頃に母が亡くなり、後宮に呼び戻されたのだ」

 光柳は天井を見上げて、息をついた。

「妃たちが、麟美の新しい詩が読めぬことで気鬱になったらしい。一人ならばまだしも、妃嬪に侍女に女官、何人もだ。無論、私は断った」
「でも、ここにいらっしゃるということは、陛下のご意向に背くことは、できなかったのですね」

 それが皇帝の御子であっても、平民の子であっても。子供がどう生きるかなど、自分では選べない。

「さすがに切除は命じられなかった。異例ではあるが、当然だろう。宮刑と同じ処置をされてまで、後宮に戻るはずがない。陛下はこう提案なさった。『お前には詩作の才がある。母の跡を継げばよい。これからは女流詩人、麟美を学び、麟美として生きよ』と」

 母と顔が似ていたことも災いした。母が、ほとんど表には出ない女官であったことも。
 光柳が少年である間に、後宮で女性の好む詩を学び。大人になれば外廷で文官として暮らしながら、詩を詠めばいいと。

「だが……それを認めない者がいるものだ。先帝の弟君、いや『君』などつけるのも虫唾が走るが。後宮に戻った、まだ少年だった私は……」

 その先の言葉を、光柳は飲み込んだ。瞼を閉じて、息を吸ってから寂しく笑った。

「この後宮から出たくて仕方がない。だが、後宮でしか生きていけない体だ。陛下は激怒なさり、その弟は身分を剥奪されて辺境へ追放されたよ」

 結局、光柳は書令史という、目立たぬ職を選んだ。人を意のままに操ろうとする権力に、関わりあいたくはない。
 一度断りはしたが。それでも、麟美の新作を心待ちにする人たちを見捨てることもできない。

「きついですね」

 重要な話を、宮女である自分が聞いていいのだろうか、と翠鈴は思った。

 けれど。きっと光柳は聞いてほしかったのだろう。
 本当の自分を隠し、女流詩人のふりもしなければならない。
 二重に周囲を欺いて。それでも欺くことで褒めそやされる。

 それは、なかなかに大変だ。

「あなたが逃げることを選ばなかったのは、後宮の皆を救いたかったのではないですか? 麟美さまの詩があることで、癒しとなる妃嬪がいらっしゃる。いっとき、つらい日々を忘れることのできる宮女もいる。光柳さまは、言葉はきついことがありますが。きっとお優しいんですよ」
「そう……だろうか」

 光柳はぽつりと呟いた。
 今にも泣きそうな笑顔を浮かべて。

 彼は後宮で生まれ、後宮に戻った。戻らされてしまった。
 ここから出ていけぬ人たちのために、彼は詩を詠む。本当の麟美なら、何を詠んだか。どう感じたか。どのような技巧を凝らしたか。

「不思議なものでな。麟美の詩は、長い空白期間があったというのに。三十年前と作風が変わらぬままだ。なのに、誰も気づかない。いや、気づかぬふりをしてくれているのかもしれない」
「変わらぬものが存在するのは、後宮暮らしでの心の拠り所になると思います」

 翠鈴は口もとをほころばせた。

「そうか……拠り所か」

 瞼を閉じて、光柳は静かに言った。不思議と彼の声が軽やかに聞こえた。
 光柳のしなやかな指が、筆をとる。

「そう考えると、責任重大だな」
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