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一章 姉の仇

12、呼び出しはイヤだなぁ

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 翌日の午後。翠鈴は光柳の元へ向かった。
 嫌な予感がした。なぜなら由由は呼ばれなかったからだ。

「面倒だなぁ。目立つことはしたくなかったんだけど」

 とはいえ、苦しんでいる桃莉タオリィ公主を放っておくことなど、できるはずがなかった。
 
 書令史や書史の詰める建物の前で、翠鈴はため息をつく。

 重い心と裏腹に、空はこれでもかというほどに青が鮮やかだ。上空は風が強いのだろうか。雲が散っていくさまが、白い花弁が崩れてほどけるように見えた。

「未央宮の司燈しとう陸翠鈴ルーツイリンです」

 翠鈴は、部屋の前で声をかけた。
 中に通されると、壁には天井までも届きそうな棚が設えられていた。巻物が積んである。古い時代のものは竹簡だ。
 紙と竹の匂いが部屋には満ちていた。

 まどから射す日を背中に受けて、光柳が机について座っている。
 格子の窗に張られているのは、綿繭わたまゆから作られた紙だ。絹としての糸には適さないが、紙としては最上級となる。未央宮の蘭淑妃の部屋の窗と同じだ。

 書令史ひとりに一部屋をあてがうとは。後宮自体が広いとはいえ、ありえないほどの贅沢だ。
 
(どういうこと?)

 翠鈴は、まばたきをくり返した。

「よく来てくれた」

 光柳が目で合図すると、隣に立っていた杜雲嵐ドゥユィンランが翠鈴に椅子を勧めようとする。

「わたしはただの司燈です。お話を伺うのに、座っては失礼です」
「そうか。ならば手短に話を済ませよう」

 光柳は、筆をおいた。墨汁の匂いが微かにした。

「昨夜は助かった。感謝する。蘭淑妃からも褒美を授けるとの話だ」

 儀礼的に感謝の言葉を述べる翠鈴を、椅子に座ったままの光柳は見据えている。
 次に来る言葉は予想できる。
 目立たず、凡庸な宮女であることを己に課していたのに、と翠鈴は息を呑んだ。

「どうして公主の痛みに、牛乳が効くと分かった? もうひとつ。なぜ内廷に牛乳があると思った? 君は宮女だ。後宮から出ることもなかろうに」

 今の光柳からは、ふだん見かける柔和な笑顔は消えていた。
 自分によく似た鋭い目つきだ。翠鈴は思った。そう、何かを隠し、警戒している目だ。

「お答えします。まず、公主さまは唇が腫れ、舌が痛いと訴えておられました。口からかぶれる原因となるものを、摂取したと考えられます」
「それは分かる」
「未央宮では、漆や櫨といったかぶれる植物は植えられておりません。それに葉や枝を口に運ぶこともないでしょう」

 翠鈴は淡々と説明を続ける。

凌霄花のうぜんかずらも皮膚炎を起こします。『花を頭にのせると頭を痛め、花蜜が目に入れば目が潰れる。だから庭に植えるべきではない』ともいわれる花です」
いわれは知らぬが。橙色のあでやかな花だな」
「花の時季は夏ですので。こちらも違います」

 なるほど、と光柳がうなずく。
 ひたと見据えてくる姿は、凍てついた冬を思わせた。知り得たすべてを、推理した内容を開示しなければ、光柳は納得しないだろう。

「わたしは、公主さまが口になさったのは蝮草まむしぐさの実であると考えました。蛇が出ぬように対策がしてある未央宮で、公主さまはしきりに蛇がいると訴えておられました。おそらくは蛇に似た蝮草でしょう」
「なぜそう思う?」

「蝮草は三尺(九十センチ)にも満たない植物です。形は鎌首を上げて、舌を出した蛇に見えます。大人からすれば、足もとに咲く変わった花ですが。お小さい公主さまでしたら、かがめば蛇に見下ろされる形になります。襲われると感じても差し支えないでしょう」

 問題はここからだ。
 翠鈴は口もとに手をあてて考えた。
 蛇が出るので庭が怖い桃莉が、なぜ蝮草の実を食べたのか。銀木犀の花を拾いに行くのでさえ、脅えていたのに。

「その実にはかぶれる原因が含まれているのだな」
「はい」

 翠鈴はうなずいた。

「毒があります」
「毒……」

 室内の空気が、ぴしりと音を立てたように張りつめた。
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