後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃

文字の大きさ
上 下
10 / 184
一章 姉の仇

10、応急処置

しおりを挟む
「桃莉さま。何か変わったものを口になさいましたか?」
「いたい……よぉ」

 翠鈴は桃莉に問いかけた。
 ぼろぼろと涙を流しながら、桃莉が手を伸ばす。
 横たわった寝台の布団は、すでに涙と唾液で湿っていた。

「お口が、痛いんですね?」
「した、はり、みたい」

 要領を得ない言葉だ。しかも腫れた唇から発しているので、ちゃんと聞き取れない。

「桃莉。お願い、ちゃんとお話して」

 翠鈴の横に並んでしゃがみこんだ蘭淑妃が、娘に声をかける。だが桃莉は苦しげに首をふるばかり。顔には脂汗が滲んでいる。

 桃莉は蛇がいると主張していた。それに唇の腫れと激しい痛み。菓子は不揃いの山査子さんざしだった。

(もしかして)

 翠鈴は立ち上がった。

「牛乳を用意してもらってもいいですか?」
「牛乳? あれを飲むのか? 薬ではなく?」

 答えたのは光柳クアンリュウだった。困惑したように、眉を寄せている。

 仕方あるまい。指示を出しているのは、司燈しとうの宮女なのだから。
 しかも牛乳を飲む習慣など、新杷国しんはこくにはない。

「牛乳で痛みが減るのなら、原因が分かります。小さなお体に無駄に負担をかけるような薬を効くまで試し続けるよりは、有効かと存じます」
「分かった。すぐに用意させよう」

 光柳の返事を受けて、侍女たちが厨房へと走ろうとした。

「待ってください。後宮では牛乳は手に入らないと思います」
「では、どうすれば」

 おろおろと立ちどまる侍女たちが、不安そうに翠鈴を見つめてくる。

「後宮ではなく、内廷の厨房にあるかと」
「内廷ならば、私が向かおう」

 光柳は、すぐに部屋を出た。

 杷京はきょうの宮城では、内廷のさらに奥に後宮がある。後宮は女性と宦官のみが暮らしているが。
 内廷のさらに奥に、後宮があるが。皇帝の生活の場である内廷ならば、牛乳が手に入るかもしれない。

 光柳が戻る間も、桃莉は右に左にと体を動かしながら呻いている。
 ほんのすこしでも唇が枕に触れれば激痛が走るのだろう。声を上げれば、口が痛むのだろう。

 翠鈴は「失礼いたします」と声をかけて、桃莉の手を取った。
 小さな手がびくりとこわばる。冷えきった手だ。
 翠鈴は両手で桃莉の右手を包み込んだ。刺激にならぬ程度に、軽くさする。 

 翠鈴の読みは当たった。
 しばらくして、松光柳が壺を手に戻ってきたのだ。

「分けてもらったぞ。牛乳だ」
「ありがとうございます」

 翠鈴は内廷の宮がどのような配置になっているのかは知らない。後宮暮らしの下女では知る術もない。
 壺を渡してくれた光柳は息は上がっているが、汗ばんではいない。髪も乱れてはいない。

「誰かに頼んでくださいましたか?」
「あ、ああ。雲嵐ユィンランに頼んだ。体力馬鹿の彼が走った方が、私よりも速いからな」

 見た目の柔和さに反して、意外と言葉がきつい。
 まぁ、どうでもいいことだけど。翠鈴は聞き流した。

 壺を嗅いでみれば、確かに牛乳だ。新鮮なのだろう、嫌な臭いもしない。

「失礼いたします」と、翠鈴はてのひらに牛乳を少し出した。白い牛乳の中に、小さな脂肪の塊がある。
 それを翠鈴は口に含んだ。
 問題はなさそうだ。侍女から杯をもらい、牛乳を注ぐ。

「桃莉さま。この牛乳で、痛みが楽になるはずです」

 翠鈴の言葉に、桃莉はうつろな目で見つめてきた。泣きすぎたのだろう、目の周囲が赤く腫れてしまっている。

「こわい」
「何も問題はございませんよ。わたしが悪いものが入っていないか、確かめましたから」
「あかいの、ない?」
「ございません。これを飲んでくだされば、治りますよ」

 断言する翠鈴の背後で、蘭淑妃と光柳が顔を見あわせている。
 信じきってはもらえないのは分かる。けれど、大人が不安な様子を見せていては、患者である子供の不信感は募るばかりだ。

「牛乳が、桃莉さまの痛い原因を包み込んで、防いでくれるのです」
「わか、た」

 侍女に背中を支えられて、かろうじて桃莉は上体を傾けて起こした。
 熱を持って腫れた唇に、冷たい器と牛乳は心地よいのだろう。こくこくと喉が動くのが分かる。

「もっとお飲みください。桃莉さまなら、頑張れますね?」
「お小さい桃莉さまに、そんなに飲ませて大丈夫なの?」

 侍女が不安そうな声を上げる。

「大丈夫です。陸翠鈴ルーツイリンの言うとおりになさってください」

 凛とした女性の声が聞こえた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。

お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました

蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。 家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。 アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。 閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。 養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。 ※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。

大好きだった旦那様に離縁され家を追い出されましたが、騎士団長様に拾われ溺愛されました

Karamimi
恋愛
2年前に両親を亡くしたスカーレットは、1年前幼馴染で3つ年上のデビッドと結婚した。両親が亡くなった時もずっと寄り添ってくれていたデビッドの為に、毎日家事や仕事をこなすスカーレット。 そんな中迎えた結婚1年記念の日。この日はデビッドの為に、沢山のご馳走を作って待っていた。そしていつもの様に帰ってくるデビッド。でもデビッドの隣には、美しい女性の姿が。 「俺は彼女の事を心から愛している。悪いがスカーレット、どうか俺と離縁して欲しい。そして今すぐ、この家から出て行ってくれるか?」 そうスカーレットに言い放ったのだ。何とか考え直して欲しいと訴えたが、全く聞く耳を持たないデビッド。それどころか、スカーレットに数々の暴言を吐き、ついにはスカーレットの荷物と共に、彼女を追い出してしまった。 荷物を持ち、泣きながら街を歩くスカーレットに声をかけて来たのは、この街の騎士団長だ。一旦騎士団長の家に保護してもらったスカーレットは、さっき起こった出来事を騎士団長に話した。 「なんてひどい男だ!とにかく落ち着くまで、ここにいるといい」 行く当てもないスカーレットは結局騎士団長の家にお世話になる事に ※他サイトにも投稿しています よろしくお願いします

玉の輿を狙う妹から「邪魔しないで!」と言われているので学業に没頭していたら、王子から求婚されました

歌龍吟伶
恋愛
王立学園四年生のリーリャには、一学年下の妹アーシャがいる。 昔から王子様との結婚を夢見ていたアーシャは自分磨きに余念がない可愛いらしい娘で、六年生である第一王子リュカリウスを狙っているらしい。 入学当時から、「私が王子と結婚するんだからね!お姉ちゃんは邪魔しないで!」と言われていたリーリャは学業に専念していた。 その甲斐あってか学年首位となったある日。 「君のことが好きだから」…まさかの告白!

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

契約婚なのだから契約を守るべきでしたわ、旦那様。

よもぎ
恋愛
白い結婚を三年間。その他いくつかの決まり事。アンネリーナはその条件を呑み、三年を過ごした。そうして結婚が終わるその日になって三年振りに会った戸籍上の夫に離縁を切り出されたアンネリーナは言う。追加の慰謝料を頂きます――

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...