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一章 姉の仇

6、甘美な恋の詩

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 秋が深まると、夏よりも日の出はずいぶんと遅い。
 そのぶん、灯籠の消灯の時刻が遅れるのは、翠鈴ツイリンにはありがたい。寒いけど。

「昨日、淑妃さまが、書き写してくださったのよ」
「わたしにも見せて」
「いちどお目にかかりたいわね。麟美リンメイさまに」

 庭で、蘭淑妃の侍女たちがはしゃいでいる。まだ眠っている淑妃を起こさぬために、庭に出ているのだろう。
 昇りはじめた太陽が、未央宮びおうきゅうの菊の花に宿る朝露をきらきらと輝かせた。

颯々さっさつと秋雨が降り、我はあなたに手を伸ばす。指に触れるは銀のしずく。あなたはいない。夢と知っていたならば、ずっと眠っていたものを」

 侍女の一人が、紙に書かれた文章を読みあげる。

(詩かな? えらく甘ったるくて情緒的だな)

 翠鈴は軒の灯りを消す棒を下げた。
 淑妃が書き写してくれたと話していたが。蘭淑妃が詩作が得意とは聞いたことがない。
 他の妃が詠んだ詩だろうか。

(まぁ。後宮勤めの間は、簡単には外には出られないし。恋愛も難しいから。空想と妄想にふけるのは、しょうがないかな)

 次の灯りを消そうと翠鈴は進んだ。だが、由由ヨウヨウは立ちどまったままだ。

麟美リンメイさまの詩って、やっぱり素敵ねぇ」

 うっとりとした目で、由由は侍女たちを眺めている。

「麟美って誰?」
「知らないの? 翠鈴。女流詩人よ。恋の歌が得意なの。後宮にいらっしゃるらしいんだけど」

 由由は字は読めないが、恋の詩には興味があるようだ。
 翠鈴は植物の名を書き写すことで、文字を覚えた。だが、文字は薬草の効能を覚えるためのものであって、詩には疎い。

(姉さんが詩が好きだったから。教えてもらったことはある程度かな)

「翠鈴。颯々ってどういう意味?」
「風が吹いて音を立てる様子ね。字はこう」

 翠鈴は空中でひとさし指を動かした。「えー、わかんないよ」と、由由は唇を尖らせる。
 けれど、憧れの詩人の新作を偶然でも耳にした由由の顔は輝いていた。
 光きらめく朝露のように。

◇◇◇


 数日後。翠鈴と桃莉公主は、未央宮の庭に出た。
 銀木犀の花を集めると約束したからだ。

 秋の庭には、瓔珞草ようらくそうとも呼ばれる秋海棠しゅうかいどうが、淡い桃色の花を咲かせている。

(秋海棠かぁ。すり潰したら皮膚病に効くんだよね。それと、人には言いづらい恥ずかしい部分の強烈なかゆみ。密かに悩んでいる女性もいるだろうから。うまく売ればいい商売になるんだけどなぁ)

 後宮は人が多いから。山里の村にいるよりも、よほど儲かるはずだ。

(あんなにたくさん生えてるのに、眺めるだけなんてもったいない。ああ、売りたいなぁ)

 とはいえ、手入れされた庭の草花を抜いてまわる訳にもいかない。
 花期が終われば、枯れる前に刈ってしまうのだろうか。

 瓔珞は宝石と金を編んだ飾り。海棠は桜に似た、贅沢に咲きほこる春の花。秋に咲く海棠に似た花、で秋海棠だ。

 美しい名前とは、かけ離れた薬効を持つ花を翠鈴は凝視した。
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