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一章 姉の仇

3、桃莉公主【1】

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 翠鈴の仕事である司燈は、夕暮れに宮の室内や回廊の灯りをともし、朝に消す。昼には照明の油を補給する。
 使うのは菜種油であったり、桐油とうゆという、油桐あぶらきりの種を搾ったものだ。

 とはいえ、仕事はそれだけではない。空いた時間には、食後の皿を下げるのを手伝うことがある。

 女官ではないので、主の蘭淑妃と直接話をすることもない。
 四夫人のひとりである蘭淑妃は、正一品しょういっぽんという高位である。まさに神々しい蘭の花のような美しさだ。
 淑妃には公主である娘がひとりいる。

「ツイリン。タオリィもはこびたい」

 昼餉の後の皿を運ぶ翠鈴に、公主の桃莉タオリィがとびついてくる。桃莉公主は五歳になったばかりだ。
 ぴょんぴょんと跳ねるたびに、二つに結んだ公主の柔らかな髪が上下に揺れる。

 本来、公主は年頃の娘になってから冊せられるものだが。初めての子の誕生を祝って、桃莉は幼いながらも公主の地位を授けられた。

「公主さま。お皿が割れてしまいます」

 なんとか腕にしがみつこうとしてくる桃莉を、翠鈴は軽やかにかわす。両手に皿と器を積み上げているのに、ずれることも音を立てることもない。

「タオリィもしたいぃ」
「いけません。これは宮女の仕事です」

 翠鈴にたしなめられて、桃莉はぷうっと頬をふくらませた。

「でも、お手伝いをしてくださる気持ちはとても嬉しいですよ」

 翠鈴は右手に持った器を、左手の皿の上に移す。まるで塔のような高さの食器をものともせず、翠鈴は懐から小さな包みを取りだした。

「うわぁ。いいにおい。タオリィ、このにおい、しってるよ」
「銀木犀ですよ。桂花けいかともいいますね。この未央宮びおうきゅうでも植えられていますから、ご存じでしょう?」
「ごぞんじです。なまえはしらなかったけど」

 桃莉は、肺がいっぱいになる勢いで息を吸いこんだ。

「一介の宮女から公主さまに、物を差しあげることはできませんが。香りはこの場で楽しめますので。存分にどうぞ」

 翠鈴に勧められて、桃莉はてのひらに載せた袋を鼻に近づけている。

「このしろいおはな、おにわにこぼれてるから。タオリィも、あつめたいなぁ」

「そうですね。庭には毒のある草もありますから。何でも拾わない方が安全ですよ。知識のある者と一緒の方がいいですね」
「でも……だれかにおねがいするの、こわいもん。それに、おにわはへびもいるし」

 もじもじと桃莉は体を左右に振った。

 公主のお願いを、誰も無下にはしないだろうが。本来の仕事とは違う用事に、時間を割きたい者もいないだろう。
 しかし蛇が入りこんでいるのは問題だ。四夫人や九嬪の住まう宮の外には、林がある。そこから紛れ込んだのかもしれない。

まむしだったら、捕まえて酒に浸けるといいんだけど。蝮酒は滋養強壮にもなるし、胃の病や貧血にも効くから)

 とはいえ、まさか宮女が毒蛇を踏んづけて、甕に入れて白酒パイチュウを注ぐわけにもいかない。村では当たり前にしていたけれど。後宮では大騒ぎになってしまう。

――いやだ。あの司燈。蛇と闘っているわ。
――きゃああ。甕に放りこんだわ。噛みつこうとする蛇に、酒を浴びせているわ。なんて恐ろしいの。

 なんて噂が広まりでもしたら、大変だ。
 目立たず、控えめに生きていかなければならないのに。

(蝮酒は高く売れるんだけど。とはいえ、蛇の入った甕を並べるわけにもいかないし。自重しないとね)

 翠鈴は小さく息をついた。
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